ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

改憲か護憲かの頭越しに

普段、滅多にテレビを見ない生活の上(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20091029)、新聞購読も止めているので(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160401)、よろず世間の動きには疎い私。毎日の夕方のラジオ・ニュースとフェイスブック上で誰かが教えてくださるもので充分だ。
ここ数年、話題になっていた、神奈川県座間市の当時三十代の主婦(バプテスト系クリスチャン)が単独で始めた「憲法九条にノーベル平和賞を」という運動についても、概要を知ってはいたが、興味がなかったので、以下に綴るような実情があったとは、本当に、昨日まで知らなかった。
振り返ってみれば、意図したことではなかったものの、2012年3月以降、パイプス訳文に従事するようになって(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120330)、読む本の幅が急激に増え、時間の使い方がまるで変わってしまったため、何事もすっかりご無沙汰だった。さまざまな郵便物も送られてはいたが、開封しないまま、封筒が積み上がっていた状態だった。
そして、昨年も話題になっていた秋頃は、ちょうど欧州旅行から帰国したばかりだったので(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20161010)、全く知らずに過ごし、今年2月にも話題が上った頃には、右目のヘルペスの痛みと格闘していたので(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170219)、これまた知らないままに通過したのだった。
ところで、私の世代は、大学の一般教養でも、憲法と言えば、大東亜戦争第二次世界大戦の惨禍を踏まえ、軍国主義を反省の上、反戦平和の流れがごく自然のことであった。だが、冷戦末期でもあったので、今よりはもっと健全な形で「左がかった」ことには要注意、という風潮もあった。戦争を生き抜いた年配の方達がご健在だったので、まだ、戦前の暮らしの記憶が家の中で伝えられていた。何より、今よりも経済が上向きで勢いがあったので、根拠なき安心感のようなものもあった。
憲法九条について、10数年前頃までは、「改憲しなくても、解釈を変えれば対処できるのではないか」と考えていた。ちょうどその頃、健康面から商品を購入したことを契機に、主人が送ってもらっていた『通販生活』誌の記事で、「九条の会」を知った(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160817)。二、三度、アンケートに答えて、「九条の会」のチラシが送られてきたこともあるが、私の反応が鈍かったせいもあってか、気が付いたら、『通販生活』も「九条の会」も自然とストップしていた。但し、当時はよく知らなかった反原発、環境、反基地、高齢者等の問題について、一定の知見を得られたという意味はあった。
その後、近隣諸国の経済的、軍事的動向が大きく変わり始めたことに反比例して、日本は「失われた20年」を経由することとなり、同時に、アメリカからも同盟関係の維持に疑念が出されるような話が流れてくると(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150821)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150822)、私も「護憲のままでは現状に対処できない」と考えを改めるに至った。
それに、戦争絡みで「アジア諸国の人々」「貧しいアジア」等と一括りに語られることがあるが、1990年代前半にマレーシアで勤務していた頃、私の目に映ったのは、日本で見聞していた「アジアの人々」とは全く異なる姿だった。資本主義経済を当然のことと思い、次世代に期待を託して、活発で活気があって、楽しげに一生懸命に暮らしている人々に圧倒されたものである。亜熱帯気候のせいもあるが、まさにマレー半島は、飢えを知らぬ「豊饒」という言葉がぴったりだった。戦時中のことは、どの民族も生存者がまだ多かったので、「日本軍は怖かった」と聞かされたが(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160315)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160809)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20161208)、同時に「でも、今の日本人はいい」「あなたの世代は関係ない」と言ってくださる方も少なくなかった。マレーシアの軍隊も、私の教えていたマレー人の学生で、日本の防衛大学校に入った人が言っていたが、「日本の自衛隊より強いですよ」。
シンガポールでも、「英国軍に任せていたら日本軍にやられてしまったから、戦後、独立してからは、自分達の国は自分達で守るという教訓をシンガポール人は得た」と、日本に留学していた友人から聞かされたものである。兵役で軍の医師として働いているという友達の男性を紹介もしてくれた。さすがは、しっかりした若者だったことを覚えている(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20091026)。
そんなこんなで、単独で活動を始めたという上記の女性については、最初から違和感があった。2013年1月から、「憲法九条にノーベル平和賞を」と自薦するメールをノーベル委員会宛に送り始め、7回も挑戦して返答なしとの由。その後、署名を集め、書式を整えることを教えられ、やっと返信があったという。
メールだからと気楽に送ったのかもしれないが、普通に考えれば、賛否両論あれど、一応は世界的に著名な組織に対して、いかにも突拍子もない行為ではある。正直なところ、このプロセスそのものが、最初から、私には理解できなかった(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150403)。単独で?思いつきで?自宅でもできることを?
おとといの晩、なぜだか突然、この「九条」の件が気になってネット検索してみたところ、以下のような驚くべきサイトが現れた。
まず、場所が「神戸バイブルハウス」となっているので、私の過去ブログ一覧で検証してみたい。
実は、自分の本来の研究テーマであるマレー語の聖書翻訳について(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090418)、何か資料がないだろうか、あるいは、この分野をご存じの方と知り合いになれればと考えて、神戸へ赴くようになったのが、ちょうど10年ほど前の2007年12月のことである。関西出身でもないのに、怖いもの知らずというのか、インターネットで探したのであろうか、東京の日本聖書協会の聖書図書館のチラシか何かで知ったのであろうか、神戸バイブルハウスに一人で足を踏み入れたのだった。そして、2012年7月以降、全くのご無沙汰であった。(ユーリ後注:2013年3月のセデル後(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130403)、知り合いの先生の聖書学の連続講義に一度お邪魔した。)
[2017年9月13日ユーリ補遺:日本聖書協会のホームページ(http://www.bible.or.jp/library/lib01.html)を久しぶりに閲覧してみたところ、「聖書図書館は2017年6月30日(金)をもちまして閉館いたしました。長い間、ご利用ありがとうございました。」との公知に気づいた。この図書館へは、上京して時間がある時には、立ち寄りたい目的地の一つだった。2000年前後には、何度か書簡で問い合わせをして、論文の複写を送っていただいたりもした。リサーチとしては、稀少な聖書翻訳が保存されており、手探りで難航していた時期には、本当にありがたく、お世話になったものである。時代が変わったというのか、利用者が少なかったのだろうか。資料書籍は、どこへ移行されたのだろうか。]

以下のリストからもわかるように、実は、当初から今に至るまで、政治面や社会面は殆ど関係なく、ただ、言語文化面から各種の聖書翻訳史と翻訳理論に興味があったので(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20081010)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20081014)、その範囲で資料を求め、付随して関連する講義を聴きに行くことが主目的だったのである。

「神戸バイブルハウス」(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%BF%C0%B8%CD%A5%D0%A5%A4%A5%D6%A5%EB%A5%CF%A5%A6%A5%B9


• 2016-01-21   前田護郎先生と田川建三
• 2012-07-07   国際聖書フォーラムに出席して
• 2011-02-24   私がフランスに行けたなんて...
• 2011-01-27   配偶者呼称についての雑感
• 2011-01-22   他流試合の大切さ
• 2011-01-18   1.17の神戸
• 2011-01-14   充実した日々
• 2009-01-02   お正月二日目
• 2008-12-19   たのしいクリスマスの私的小話
• 2008-10-14   オランダ語訳聖書の話など
• 2008-10-10   英語訳聖書史のお話を聞く
• 2008-06-17   ムスリムによる自己批判の兆候
• 2008-03-18   組織や肩書ではなくその人自身を
• 2008-03-10   「ユーリの部屋」を再開します
• 2008-02-04   キリスト教セミナー「幸福の秘訣」
• 2008-01-26   神戸バイブルハウスにて(5)
• 2008-01-25   神戸バイブルハウスにて(4)
2008-01-24   閑話休題
2008-01-22   神戸バイブルハウスにて(3)
• 2008-01-21   神戸バイブルハウスにて(2)
• 2008-01-18   依存傾向があるのは夫か妻か?
2008-01-17   思い巡らすために休息を
• 2007-12-14   神戸バイブルハウスにて(1)

そのため、今年になっても、一人の主婦から始まった憲法9条をノーベル平和賞に結びつける運動が継続しており、しかも、神戸バイブルハウスが深く関与しているとは、全く知らなかった。

この「憲法9条をノーベル平和賞に推す神戸の会」(Headquarters of Executive Board of Kobe “Nobel Peace Prize for Article 9”)のサイト(http://kicc.sub.jp/)には、気になる表現が散見される。以下に、時系列に順を変えた上での部分抜粋を列挙する。

2014年受賞発表の前日に緊急集会を開きました。
日 時 : 2014年10月9日(木)午後6時半〜
場 所 : 神戸バイブル・ハウス  
主 催 : 憲法9条をノーベル平和賞に推す神戸の会
内 容 : 翌日の憲法9条ノーベル平和賞受賞に備えて,会として声明をどうするか(10日午後6時発表)


10月9日(木)午後6時半〜9寺に,神戸バイブル・ハウスにおいて憲法9条がノーベル平和賞を受賞するに際して,「憲法9条をノーベル平和賞に推す神戸の会」は声明文について話し合いました。

(部分抜粋引用終)
「受賞に備えて」「憲法9条がノーベル平和賞を受賞するに際して」とあるが、話の前提として、受賞することが当然視されているかのような文調は、如何なものか?

もし本年度受賞できずとも,来年度に備えて,推薦人も80余名に増えています。
8月15日には,神戸バイブル・ハウスにおいて「もらいまっせノーベル平和賞」と題する講座を開きました。
出席者23名の総意で,5人が残り,明日受賞発表に備えた声明文を検討しました。

(部分抜粋引用終)
ここでも「もらいまっせ」という関西表現だが、ノリが軽過ぎる上、そもそも「賞」というものは、自己推薦して「もらう」ものではないのではないか?

2015年1月30日(金),有資格者111名の推薦人がオスロに提出。


一、記者会見開催 ノーベル平和賞受賞発表 午後6時
日 時 :  2015年10月9日(金)  午後5時〜7時
場 所 :  神戸バイブル・ハウス 

(部分抜粋引用終)
「受賞発表」とあり「記者会見」まで準備されているが、受賞できなかったのでは?

ノーベル平和賞受賞に備えて」記者会見
2017年2月14日(火)午後5時 神戸バイブル・ハウス
主 催 :「憲法9条をノーベル平和賞推す神戸の会」(略称 推す会) 
オスロへの推薦は今年で4回目です。


2017年3月3日 オスロ委員会は「憲法9条をノーベル平和賞推す神戸の会」(略称 推す会)に対して受理。4回目

(部分抜粋引用終)
「推す」と名乗ってみても、これで4回目。かなり押しの強い話では?
まとめると、上記三点から、有志による自薦の形を取りながら、当然「受賞できるもの」という前提で話を進めていることが窺える。これが非常に違和感を覚えさせられるところである。
さらに、「憲法9条をノーベル平和賞に推す神戸の会」の「推薦人」は「127人」とあり、内訳は大半が大学(名誉)教授で、特に「神学」専門が目を引いた。「憲法9条は人類の叡知」と謳われているのだが、私の知る限り、神学ならば「人類の叡智」は別のところにあったはずでは?
別のサイトには、以下のようにあった。

http://nobel-peace-prize-for-article-9.blogspot.jp/


2017年3月9日木曜日


・2017年3月3日(金)17:25にノルウェー・ノーベル委員会から推薦状への受理通知を受け取りました。
・しかしながら、同日に東京新聞からご連絡があり、翌日東京新聞2017年3月4日の3面【ノーベル平和賞「九条を保持する日本国民」は不可】の記事が掲載されました。※1
・しかし、今まで報道されたノーベル委員会の発言などを考慮すると、2015年に安保法制が成立し、2016年に参議院選挙の結果が出て、安倍政権の憲法違反と憲法破壊を許してしまっている状態では、憲法違反を犯し続けている安倍首相を代表に授与するわけにもいかないため、この時期に「受賞対象外」と判断するに踏み切ったのではないかと考えております。
・それは、ノルウェー・ノーベル委員会に「憲法9条ノーベル平和賞授与してください」とお願いしたときには、「憲法は対象外です」とすぐに回答ありました。それでは、「日本国民は受賞対象になりますか?」とお尋ねしても回答はありませんでした。

(部分抜粋引用終)

私がショックだったのは、三点。

(1) 改憲か護憲かを決めるのは、あくまで日本国民の意向である。なぜ、その経過を経る前に、民主的な手続きを経て選挙で選ばれた現政権の頭越しに、ノルウェーのノーベル委員会に対して、国内の分裂状態を伝えているのか?このことは、戦後70年以上も経ったのだから、もうそろそろ外国に依存せずに、国防は自前ですべきだろうとの考えから改憲の意見を持っている、少なからぬ国内の有権者に対して、失礼ではないか?また、忙しいであろう外国の委員会に対して、不要な事務処理で煩わせているのではないか?
(2)「ノルウェー・ノーベル委員会に『憲法9条ノーベル平和賞を授与してください』とお願いした」とあるが、振る舞いとして、「授与して」と「お願い」するとは、そもそも変ではないか?賞とは、欲しくてもらえるものではなく、一つの結果として、他者が判断して授与するものでは?また、最初から受賞できるものという前提で話を進め、今年ダメでも翌年と、継続の意向を見せているのは、一体、いかなる経緯からなのだろうか。受賞できなかったのは何故なのか、よく検討して、改めるべき点は改め、諦めるなら早く諦めた方が、日本国民全体の名誉のためではないか?
(3)「憲法9条をノーベル平和賞に推す神戸の会」の推薦人127人中、何と20人を、過去の学会や大学講演や論文著作などで存じ上げている。聖書学や神学のご専門であり、業績として優れていると評判の方が大半なので、余計に驚愕した。これが一番、ショックだった。過去10年以上、基本的な思想やコミュニケーションの土台や認識が、最初からズレたまま、私は過ごしてきたということだったのだ。

ところで、肝心の「九条」だが、戦力を保持しない法律条項は他国にも過去にもあり、必ずしも現日本国憲法の「九条」のみではない、という指摘も、他のサイトで閲覧した。

http://www.seisaku-center.net/node/799


2014/10/27


・9条にあえて特筆すべきようなことは何もないということだ。1項はパリ不戦条約と国連憲章第2条4項の規定から導き出したものに他ならないし、2項の戦力不保持は規定はユニークな規定であることは確かなものの、実際には一度たりとも実現したことのない「空文」に他ならない。


ノーベル賞委員会はかつて「国連PKO」に平和賞を与えたが、そのPKOにかつて日本も参加するという話になった時、真っ先にそれに異を唱える根拠として持ち出されたのが、この憲法9条だったということだ。


日本政策研究センター代表 伊藤哲夫
〈ChannelAJERプレミアムメールマガジン平成26年10月23日付〉

(部分抜粋引用終)

これ以上は、専門ではないので、割愛させていただく。
それにしても、改めてショックだった。もう、神戸に近寄るのは止めよう。