2年前の以下の論考文によれば、防衛大学校の入試倍率が、2015年春の時点で32.4倍とは頼もしい限り。文系女子枠だというから、なおさら、喜ばしいニュースだ。現代のサイバー情報戦で、是非とも活躍していただきたい。目指すはイスラエル国防軍やテクニオンを上回る水準を!
私の高校時代には、「防衛大学校」は国立大学との併願で、お試し受験のような感覚があったが、それも時代背景がなせる業だったのだろうと申し訳なく思う。
実は1990年代前半、私から弟に進学を説得するように、と防衛大学校の教官から自宅に電話がかかってきたことがある。「将来の幹部候補生に」とのお話だったが、何と私はその場で断ってしまったのだった。
今振り返ると、本当に浅はかなことをした。甘ったれの愚弟など、防衛大学校で心身ともに鍛えられて、世の中のためになる実務に徹した方が、余程、役立ったかもしれないのに....。
(http://ironna.jp/article/2124)
「ノーベル平和賞は憲法9条ではなく自衛隊だ」
『月刊正論』 2015年6月号
潮匡人(評論家・拓殖大学客員教授)
・そもそも「集団的自衛権行使は海外で戦争すること」ではない。「戦争」は現在の国際法上、禁止されている。他方、集団的自衛権は国連憲章でも「固有の権利」として一定の要件下、行使が認められいる(ママ)。両者は別の概念であり、そもそも一緒にするのはおかしい。しかも行使する地域は「海外」に限らない。日本の領土・領海・領空の可能性もある。日本周辺の公海上で行使される蓋然性も高い。
・「海外で戦争する」のは自衛官だけである。大学生その他の民間人が「海外で戦争する」のは憲法違反である。法律上も許されない。その準備行為ですら犯罪となる(私戦予備及び陰謀罪)。実行はもちろん、海外に「ゆく」こと自体が許されない。
・たとえば私の娘。この春、第63期本科学生として防衛大学校に入校した。国際法上は集団的自衛権の行使として説明される任務も今後はあり得よう。父親としては受忍しがたいが、客観的な事実として最悪、殉職するリスクを完全には否定できない。だが、民間人にそのリスクは微塵もない。ポスターは杞憂である。
・いったい誰が、こんなデマを流すのか。その答えもポスターにある。井上ひさし、梅原猛、大江健三郎、奥平康弘、小田実、加藤周一、澤地久枝、鶴見俊輔、三木睦子(敬称略・以下同)。以上九名の顔写真と名前が並ぶ。
・ご存知の護憲左派団体「九条の会」、右九名はその「呼びかけ人」である。すでに物故者もいるが、会の存在感や影響力は衰えていない。
・集団的自衛権→自衛官が大量退職→徴兵制という護憲派定番のネタである。
・昨年七月一日の閣議決定以降、自衛官の大量退職など起きていない。逆に防大はじめ人気が高まっている。
・娘が受験した文系女子枠の倍率は32・4倍。とくに女子は合格者数を制限しているため、東大と並ぶ難関校であり人気も高い(娘も慶應を袖にした)。もはや大江らの感覚は通用しない。
・集団的自衛権によって「徴兵制が始まる」、だから一般の大学生も徴兵され「海外で戦争する」ことになる、そう不安を抱かせるためであろう。
・自らは安全な場所(大学や民間)にいながら、「事に臨んでは危険を顧みず、身をもつて責務の完遂に務め、もつて国民の負託にこたえること」を誓った自衛官の誇りをウソやデマで傷つけながら、恬として恥じない。自分は正しいと思い込み、改憲派や安倍政権を口汚く非難する。実に不潔な連中である。
・かつて太田光と中沢新一が『憲法九条を世界遺産に』(集英社新書)と訴え、一世を風靡した。同書の護憲論については当時、拙著『憲法九条は諸悪の根源』(PHP研究所)で反論したので繰り返さない。
・世界遺産とは、文化遺産か自然遺産、あるいはその両方の価値を備える複合遺産のいずれかである。結論から言えば、九条は右のいずれにも当たらない。「憲法九条」への評価はさておき、客観的な事実として憲法典の条文である以上、自然遺産に当たらないことは言うまでもない。ゆえに、複合遺産にも当たらない。
・価値の有無を議論する以前に、九条は建築物でもなければ、絵画や物件でもない。念のため付言すれば、建造物群でも遺跡でもない。ゆえに、九条の価値を最大限評価するとしても、有形の不動産でない以上、世界遺産にはできない。
・そこで登場したのが、「憲法九条にノーベル平和賞を」と訴える運動である。
・創設者のノーベルは「国家間の友好、軍隊の廃止または縮小、平和会議の開催や促進に最も貢献した人物に」と遺言した(矢野暢『ノーベル賞』中公新書他参照)。ゆえに、そもそも「人物」でない九条への授与はノーベルの遺志に反する。
・それは「憲法9条」ではなく「憲法9条を保持する日本国民」と申請されたからである。
・「ノーベル平和賞ウオッチャー」として知られるオスロ国際平和研究所のハルプビケン所長が昨年「憲法9条を保持する日本国民」を最有力候補に挙げ、話題を呼んだ。その所長が「9条を保持する日本国民」という名の団体が推薦されていると勘違いしていたというから笑えない(二〇一四年十二月十六日付読売新聞朝刊)。ちなみに、ノーベル委員会のルンデスタッド事務局長も、読売新聞の取材に対し、「誰が(授与式で)賞を受け取るのかとの問題が生じる。推薦した人たちが安倍首相に懐疑的なのに、首相が賞を受け取るのか」などと疑問を呈し、国民(全体)への授与は困難との認識を強く示唆した(同前)。
・予想に反し落選した。朝日新聞朝刊の名物コラム「天声人語」は「粘り強く続ける値打ちのある挑戦ではないか」と説いたが、異論を禁じ得ない。
・「戦後日本に平和をもたらした」のは、九条でなく日米同盟である。理想論はともかく、それが現実である。
・報道によると、すでに衆参両院の国会議員61人の推薦状がノーベル委員会に送られている。加えて大学教授ら19人も推薦した。ちなみに昨年も大学教授ら43人が推薦したが、推薦人の中に国会議員はいなかった。
・「日本平和憲法9条をノーベル平和賞に推薦する韓国委員会」が組織され、座長に李洪九元首相が就任。安倍政権の改憲の動きを牽制する推薦文を作成。すでに元最高裁長官や著名な文化人らが多数、署名している(二〇一四年十二月十九日付産経新聞朝刊参照)。
・前出のハルプビケン所長は、移民救援活動を続けるカトリック聖職者ムシエ・ゼライを最有力候補と予想。二位にロシア紙「ノーバヤ・ガゼータ」、三位にNGO「イラク・ボディー・カウント」を挙げる。注目すべきは四位にランクした候補である。それが「九条の会」。所長は共同通信の取材に「国民全体の受賞はあり得ない」との見方を示し、今年の予想候補も「九条の会」に修正したと説明する(共同通信記事参照)。
・ノーベル平和賞は他薦のみで推薦資格は国会議員や大学教授、過去のノーベル賞受賞者らに限定されている。以上の動きと併せて考えると、今後「九条の会」などの護憲団体が受賞する可能性は決して低くない。
・日本の護憲団体がノーベル平和賞を受賞するリスクが高い。戦後七十年であり日韓国交正常化五十周年にも当たる今年は、起こり得る。現に有力候補ではないか。もし実際に受賞したらどうなるか。憲法改正に与えるダメージは計り知れない。改憲に向けた歩みは間違いなく停滞ないし後退する。
・そもそも憲法9条は、ノーベル賞の候補になるほど価値のある条文なのだろうか。よく「平和憲法」と言われるが、実は現在、158か国もの国々が平和憲法を保持している。
・平和主義は日本国憲法から生まれた独創的な考えではない。事実、第一次世界大戦以前から、国際条約や諸外国の憲法で条文化されていた。しかし第一次世界大戦が勃発。その反省から国際連盟が誕生したが、やはり第二次世界大戦を防止できなかった。
・国際連合は憲章で「すべての加盟国は、その国際紛争を平和的手段によって国際の平和及び安全並びに正義を危うくしないように解決しなければならない」と明記した(2条3項)。国連海洋法条約も「平和的手段によって紛争を解決する義務」を定めている(279条)。いまや「紛争の平和的解決義務は、国際慣習法上の原則ないし普遍的義務」である(山本草二『国際法』有斐閣)。
・第二次大戦後に制定された憲法の多くが、何らかの表現で平和主義をうたっている。188か国中、158か国。全体の84%を占めている。日本だけが「平和憲法」を掲げているわけではない。たとえばハンガリーやイタリア、フィリピンなどの憲法も、日本と同じように「国際紛争を解決する手段としての戦争を放棄」している。
・改憲が平和に反するなら、とうに世界中が軍国主義化しているはずだ。
・世界最古の近代憲法は一七八七年制定のアメリカ合衆国憲法だが、すでに18回改正された。一九四七年制定のイタリア憲法も17回、一九四九年制定のドイツ憲法は59回など、敗戦国の独伊を含め、多くの国々が憲法を改正してきた。
・日本国憲法はどうか。ご存知のとおり、一度も改正されていない。“世界最古の憲法典”とも評し得る。あっさり言えば、時代遅れの憲法典である。ところが、なぜか憲法改正がタブー視されてきた。なぜ日本に限って「憲法を改正すると平和を守れなくなる」と危惧されるのか。
・「護憲派」がそう不安を煽るからである。要は、彼ら彼女らが、憲法改正を阻止するために流したデマに過ぎない。そもそも憲法のどこを、どう変えるのか。その中身を議論せずに、改正そのものを敵視するのは党派的な独断である。
・戦力不保持を定めた九条二項だけを改正し、侵略戦争の放棄を定めた一項は残す。そして新たな二項で自衛隊を「国防軍」などと位置付ける。国防軍は自衛隊に代わって、より積極的な国際貢献活動に参加する。(内閣の憲法解釈で禁止されている)武力を伴う集団安全保障措置にも参加する。こうした改正なら「平和主義を捨てる」どころか、現在より「積極的」な「平和主義」とも評し得る。
・読売新聞による最新の世論調査では(三月二十三日付)、「今の憲法を、改正する方がよい」が51%で「改正しない方がよい」の46%を上回った。時事通信の世論調査でも、「全面的に改め、新しい憲法とすべきだ」が14・4%、「平和主義や国民主権など現行憲法の柱は 堅持した上で、必要な改正を行うべきだ」が58・7%を占め、「憲法改正は行うべきでない」の18・6%を凌駕した(三月十三日配信)。憲法改正への理解や気運は確実に高まっている。絶好のチャンスを無駄にしてはならない。
・集団的自衛権で「平和が死ぬ、戦争になる」「徴兵制になる」等々デマを流し、不安を煽っている。護憲派は、かつて防衛庁が防衛省に昇格したときも、自衛隊がイラクに派遣されたときも、戦後初めて国連PKOに自衛隊が派遣されたときも「憲法違反、平和が死ぬ」と合唱した。だが、結果そうなっていない。すべてデマだった。
・危険を顧みず、わが国の平和と独立を守っている自衛隊を、日本国憲法は“無視”している。そんな「平和憲法」を守った結果、自衛官の生命や平和が失われる。それこそ本末転倒ではないだろうか。
・戦力不保持を明記した憲法は、日本の九条だけではない。スイス憲法もコスタリカ憲法も常備軍の不保持を明記している。
・エチオピア憲法のように、軍隊に対するシビリアン・コントロール(文民統制)を明記している国々もあるが、日本の憲法九条にそうした規定はない。六十六条二項に「内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない」と定めただけである。
・カンボジア憲法のように、核兵器の廃絶を明記した国々もあるが、日本の「非核三原則」は憲法で明記されていない。政府は「自衛のためなら核兵器の保有も可能」と解釈しており、日本国はアメリカの「核の傘」に入っている。
・またモンゴル憲法のように、外国軍の基地を置かないと明記した国々もあるが、沖縄はじめ日本には米軍基地がある。等々「わが国憲法よりもよほど徹底した平和主義条項をそなえている国が多くみられる」(西修『日本国憲法を考える』文春新書)。
・日本国憲法第九条にノーベル平和賞の価値があると言えるだろうか。くどいようだが、戦後の平和を守ってきたのは九条ではなく日米同盟である。陸海空自衛隊と米軍である。
・自衛隊は憲法九条のもと、武器使用の手足を縛られながらも、危険を顧みず、内外で驚嘆すべき実績を重ねてきた。それなのに実任務で一人の犠牲者も出していない。命を奪ったこともない。以上の点が米軍とは決定的に違う。世界各国の軍隊とも違う。
(部分抜粋引用終)
こんなサイトを見つけた。以下に、無断で部分抜粋を。
2016年4月1日
・国防を担う自衛隊の幹部を育成する防衛大学校。日本有数の規律と規則が厳しい学校として有名
・防衛大学校は1952年に前身の「保安大学校」として創設され、2年後の1954年に防衛大学校という名前に改名
・軍港の街として知られる神奈川県横須賀市走水にあり、「省庁大学校」として位置づけ
・省庁大学校であるため、年間予算として約147億円が計上され、ここに入学した学生は特別国家公務員の自衛隊員という身分
・学生は国家公務員であるため授業料は無料であり、制服などの衣服や食事も提供されます。さらに公務員という立場上アルバイトが禁止されているため毎月108,300円の手当と6月・12月にそれぞれ159,500円の賞与が支給
・防衛大学生の一日は朝6時のラッパによる起床から始まり、5分で着替えとベッドメイキングして外に飛び出て整列・点呼・乾布摩擦をします。その後は朝の清掃、朝食、国旗掲揚、朝礼を行ってから授業のある教室まで行進
・授業は他の大学同様にいわゆる「一般教養」に加えて「防衛学」
・国防論、戦略・作戦、軍事史などがあり、自衛官として必要不可欠な内容
・国際関係や危機管理
・訓練課程では全員共通のものとして小銃射撃、戦闘訓練、水泳、スキーなど
・硫黄島研修など戦争のつめ跡を見学して戦争の悲惨さを目の当たりにする体験
・午後の授業を受けて16:30以降の放課後は校友会・クラブ活動
・夕食と入浴を済ませて洗濯とアイロンがけを実施
・防衛大学生の一日は厳格な規則と規律の中で文武両道を目指し、肉体、精神、学力を鍛錬する目まぐるしく忙しい一日
・偏差値に関しては一般入試の前期に限って言えば文系で63〜65、理系で56〜58となっています。倍率も一般の前期・後期ともにだいたい10〜12倍です。入試方法として一般試験、推薦、AO入試などがあります。基本的には21歳未満であることが求められ、日本国籍の者に限られます。
・防衛大学は毎年内閣総理大臣と防衛大臣が出席して首相が訓示を行うのが慣習
・「自衛隊が国民から歓迎されてちやほやされる事態とは外国から攻撃されて国家存亡の時とか、災害派遣の時とか、国民が困窮し、国家が混乱に直面している時だけなのだ。言葉を換えれば君達が日陰者である時の方が国民や日本は幸せなのだ。どうか、耐えてもらいたい。」(吉田茂総理)
・平和を我々国民が普段見ない、知らないところで毎日支えているのが自衛隊
・国民もその存在・役割・任務を頭の片隅にでも記憶した上で自分なりの理解とリスペクトを示すべき
・来日した海外将校や日本に滞在する駐在武官と交流を深める「軍人外交」も重要。外国軍隊の要人やその「大使」たる駐日駐在武官と交流を深めてコネクションや信頼・友好関係を構築することは安全保障の観点から見て望ましいこと
・軍人の世界でも人脈は必要不可欠
(部分抜粋引用終)