ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

単純な本質

内戦が続いて疲弊しているシリア難民を米国に受け入れることについて(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130927)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150906)、事実上、大半のアメリカ系ユダヤ人は、かつてのホロコーストの犠牲者同胞を想起し、アメリカが難民を助けることに賛意を表しているという。
だが、「シリア難民を受け入れた後のユダヤ系共同体に対する対応を考えよ」という意見も出ている。「シリアから難民を受け入れると、中東の病弊も持ち込まれることになる。シリアの教育制度は徹底した反ユダヤ主義であり(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080516)、多元性を含まないイスラームが規範とされている」と講演で述べた博士に対して、約100名ほどが抵抗し、話を妨害したという。
こんな記事を転送したメールを、昨年9月の欧州旅団の一人からいただいた(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20161007)。
あの旅行の後、他のことに一時没頭していたせいもあるが、葛藤する欧米の願望(難民や移民に対して同情して助けるべきだ vs.もう援助には疲れてしまったから難民や移民を受け入れたくない)をまざまざと感じて、日本の立場として、どうしたものかと真面目に考えると、何だかぐったりしてしまう。
それに、本来は高い理念を掲げて戦勝国の先進国が主導していたはずの国連が、次々に独立を果たしたアジア・アフリカ・中東・南米など途上国加盟の増加によって、一国一票の形式的平等という名の下、多数決による採決では途上国に有利な結果になりがちである事実も、看過できない。
私の意見は、(1)難民を出さない国造りに尽力すること(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20151022)(2)受け入れ国への長期的な影響を充分に考えて、目先の安易な難民や移民の受け入れには断固反対、である。そのために、従来から日本は、スケールは小さいかもしれないが、海外援助を地道に続け、土地の人々が現地で暮らし続けられるような施策を選択してきたはずである。今後も、日本としてはその路線で行くのが最適だと思われる(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20151021)。
ともかく、イスラエル国家や世界中のユダヤ系の人々が、日々、寸暇を惜しまず活発に世界情勢の分析や各種の情報収集に努め、相互協力の下に連携を強めている理由が、ますます実感できるようになった。
一時期、ユダヤ系の勤勉さ、活気、知性の高さと努力を、見上げるような思いで羨ましく感じていた私だが、見方を変えれば、そうでもなければ自分達が生き延びられないという現実に迫られての要請でもあると言えよう。
さまざまな形で人類史に貢献してきた人々を、もっと助け、守らなければならない。
複雑な世の中では、思い切って枝葉末節を切り落とし、単純な本質に迫り、原則に忠実であることが、良き人生を歩む秘訣なのだろうと、最近つくづく感じるところである。