ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

不信仰の地に巣くうパラサイト

メムリ』(http://memri.jp/bin/articles.cgi?ID=IA9316


調査および分析シリーズ Inquiry and Analysis Series No 93
Jul/6/2016

「不信仰の地に巣くうパラサイト」
アルベルト・M・フェルナンデス(MEMRI副会長)


離散と避難の概念は、さまざまな文明、文化の域を越えて昔から存在する。オスマン帝国を初めムスリム諸国は、カトリック教徒の諸侯によってイベリア半島から追放されたスファルディ系のユダヤ人達に避難の家を与えてくれた。オスマン帝国は、ハプスブルグ王家の迫害から逃れたルーテル派キリスト教徒さえも、保護している。アメリカ合衆国は、そもそものはじめから、世界各地で政治、宗教その他さまざまな理由で迫害され逃げてきた人々を受入れた共産主義革命の思想家カール・マルクスは、ヨーロッパ大陸から逃れ、ビクトリア王朝下のロンドンに避難した。自分が打倒を願う帝国主義の本家、政治経済システムの本山に保護されたのである。



この数十年、多くのムスリムが同胞のムスリムに迫害され、自分の国を棄て国外へ逃れている。逃れた先の西側諸国は彼等を保護している。外国から逃れて来たムスリムは、避難の地を与えてくれた国々に、大半の者が感謝しているに違いない。しかし、西側諸国にいる移民の第二世代のなかに、慈悲深く自分達をかくまってくれた国自体を敵視する者がでてきた。憎しみをつのらせ、嫌悪するのである。2013年のボストンマラソンで爆破事件を起したツァマエフ兄弟がその例である。


ムスリム移民第二世代の過激化はまずヨーロッパで起き、ついでアメリカでもみられるように、今や偶発的ではないひとつの現象になってしまった※1。勿論、サラフィ・ジハーディズムが、既に出来合のイデオロギーと正当化を与えてくれる。つまり、忠誠と否定(Al-Wala wal-Bara)と称するお手本である。非イスラム支配下に住む過激ムスリムの行動ガイドブックといったらよかろうか※2。


アラブ・アメリカンイスラミストの教導師として強い影響力を持つジブリル(Ahmed Musa Jibril)の英語版ウェブサイトによると、忠誠(Al-Wada)は、神と信徒に対してのみ尽すべきであり、否定(al-Bara)は、不信仰者に対する憎悪を意味する。不信仰者を摸倣(ママ)するものはもってのほかである。不信仰者の地に住んではならず、彼等を助けることはおろか、彼等に情けをかけてもいけない※3。この教材は、著名なサウジの聖職者ファウザン(Salih Al-Fawzan)の著作の遂語訳と思われる。これは、数年前からカナダのカルガリーにあるサラフィ共同体が運用するオンラインで、読むことができる※4。


疎外されている子弟(移民家庭の)は確かに問題ではあるが、もっと深刻な問題、悪名高い問題が、アラブ・ムスリムの地から来た、大人のサラフィ・ジハーディズム支持者である。彼等は、西側世界を、ムスリムの子弟洗脳の場に使う。自分達に避難地を与え、保護してくれている国そのものを憎悪するように教え、その国に対する攻撃、破壊を公言するテロ集団に忠誠を誓うように叩きこむ。その扇動者は小さい子供ではない。人格形成期でアイデンティティに挑戦をうけている十代ではない。現地住民の改宗者でもない。彼等は、“不信仰者”の地に巣くったパラサイト同然の過激派になりきっているのである。保護を与えられているにも拘わらず、その国を憎悪して、破壊しようとする。本記事では、チョーダリー(Anjem Choudary)のような第二次世代の過激派青年の生態ではなく、ジハードを教唆煽動する者にかかわる問題をとりあげる※5。


この過激思考の大半は、聖職者の立脚点に根を持つ。逃げて行った先のモスクで移民とその子弟に劇薬を注入する。注入役として雇われている者もいる。スペインのカタロニア地方では、モスクの少なくとも3分の1は、サラフィに支配されている。サラフィ説教師の数は2001年には21名であったが、2016年には79名に増えたサウジアラビアクウェートにあるサラフィ組織から相当な支援を受けている。この傾向の行き着く先は、テロリズムであろうが、カタロニア警察当局は、彼等が自ら課した社会的孤立の方を、懸念している※6。西側社会でユダヤ人とキリスト教徒を攻撃し、暴力的イスラミストの優越性を説くイスラミスト聖職者なら、それこそごまんといる※7。もっとも、話し方に気をつけて表現する者もなかにはいる※8。



欧米に居住する外国生まれのムスリム聖職者で、寛容を説く者もいる。イスラムの中にあるリベラルで人道的側面を強調し、これを建設的に拡大する方途を模索する人もいる。バージニア州では、聖職者マンソール師(Dr.Ahmed Subhi Mansour)が、ムスリム女性と非ムスリム男性の結婚を執行している。ムスリム女性は、ムスリム男性と同等の権利を持ち、男性と同じく異教徒と結婚する権利があると主張する。師は、世界中のムスリム法学者の多くが拒否する見解を推進しているのである※9。フランスでは、ナジディ師(Imam Amine Najdi)が、ムスリムは、この国の法を尊重しこれに従うフランス市民であると説く※10。サラフィのなかには、サラフィ・ジハードのライバル達による批判に、オープンである者もいる※11。


過激な宗教思考の伝播は懸念材料であろう。しかし、信仰の自由は西側民主々義の礎石であったし、これからもそうでなければならない。民主々義国家は、外人聖職者を監督し、法をおかすようであれば取締まる権利を有する。とはいえ、言論の自由と信仰の自由はかえがたい大切なものであり、それを保証し、保護する必要がある。ひとりのキリスト教徒として、私は、同宗信徒のためにその保証、保護を願っており、信仰の自由を守るため身を以て戦う用意もある。ムスリムに対しても同じである。しかし同時に私は、外国から来た聖職者が国内の同宗信徒を指導する場合、西側諸政府はその任につく人が過激派でない者であるよう、もっときちんと対応できる筈、とも考えている※13。


西側民主々義諸国では、イスラミストの思考の多くを許容できるし、当然保護すべきであるが、なかには勿論その域を越える内容がある。例えば、西側を拠点とする外国の過激派が、テロ組織―西側に対する攻撃を繰返し呼びかけている組織―との連帯を、公然と表明し、これを教唆煽動する場合は、どうであろうか。


この種の薄汚い人物はいろいろいるが、初期の者としてエジプトのイスラミスト、アルシバイ(Hani Al-Sibai)がいる。1994年にイギリスへ来て、難民の申請をした。汎アラブメディアの世界では目立った存在で、いろいろ邪悪なコメントをしていることで知られ※14、法的な措置もとられたが、依然としてロンドンで生活している。MEMRIはアルシバイを過激派と呼んでいる。そのためであろうか、アルシバイは何度か喧嘩を吹っかけてきている。本人はウェストロンドンの一等地に居を構え、イギリス政府の補助金で豪邸に住んでいる※15。


2016年、アルシバイは2012年の事件にカギ的役割を果したとして非難された。スーダン出身で在英ムスリム2名がIS(イスラム国)に参加したが、この2名の洗脳役を果したのである※16。ISの処刑人エムワジ(Muhammad Emwazi、別称、ジハーディ・ジョン)に影響を与え、チュニジアでイギリス人観客者を殺した殺人鬼を洗脳したのも、アルシバイである※17。アルバシイにユーモアにセンスがあるのかどうか判らないが、イギリス人はトルコ人を侮辱していると言ったことがある。自分達がたべている鳥をターキー(七面鳥と呼んでいる。トルコ人侮辱だという訳である※18。自分が敵視する不信仰者の税金で支えられながら、いろいろ打撃を与えているわけであるから、さぞかし面白いことだろう。彼にユーモアのセンスがあればの話であるが。


アルシバイは、ジハード世界ではよく知られた人物である。他にも不信仰者の地に巣くうパラサイトが沢山いる。アルシバイに比べると影響圏が狭いがドイツにフンディ(Malik Fndy)というのがいる。ダルムシュタット工科大の卒業生であるが、数本のビデオをつくり、それをフェースブックに掲載して、しばらく逮捕されていた。注目されるようになったのは、2016年2月である。そのビデオのなかで、ISに忠誠を誓い、ヨルダンのパイロット(Muath Al-Kassasbeh)を生きながら焼き殺した事件や、不義を働いた女性に対する石うち刑を正当化した、彼は、パイロットの焼き殺しを写したビデオを見た後、「私はISに対する無限の誇りを抱いている。不信仰の者共や異端の者がどう言おうと、私は信仰の旗を高く揚げ、歯向ってくる豚共から同胞の血と名誉を守っているのだ」と言った※19。



昨年私は、よく知られた(悪名高いという表現もある)アルジャジーラTVのトークショーに参加した。アラビア語によるディベートである。相手はスエーデンを拠点にするイラク人“専門家”アルムラディ(Nuri Al-Muradi)。ヨーロッパを舞台にしたISの支持者である※20。アラビア語第一言語にしない者にとって、アラビア語を常用語とする相手と議論するのは、ハンディがあるが、彼等の根本的矛盾をつく機会と考え、私はアルムラディと話すことに決めた。根本的矛盾とは、先述のように、自分を守ってくれる体制に身をおきその恩恵に浴しながら、その体制を破壊することである。本人はスエーデン王国に住むIS支持者で、同じ矛盾を抱えているわけであるが、このタイプの人間にとかくありがちであるが、彼はこの問題に触れることを拒否した。


アルジャジーラTVは、彼に馬鹿馬鹿しい主張を開陳する機会を与えた。彼によると、シリアの凶暴な独裁者アサドはシオニストで、フリーメーソンのメンバー、西側がつくりだした怪物だそうである。私は即座に反論した。アサドと彼の犯罪は、アラブ世界の政治病根がつくりだしたもの、100%その産物である、と言ってやった。問題は、単なる忠誠の分裂問題ではない。はっきり指摘しておかなければならないが、IS自身のイデオロギーは、(ISを支持しないムスリムを含む)他者に対する忠誠と敵意にグレイゾーンを認めない。ISにとっては白か黒しかない。非ムスリムや非イスラムの戒律が嫌いかどうかの問題でもないのである。ISに敵意を以て立ち向かわなければ、それで済むという話ではない。その者は不信仰者と同類視されるのである21※。


このバカボンドの過激派をどうすべきであろうか。民主々義が保証する自由を使って、その民主々義を傷つけ、民主々義体制下の西側に住むムスリム子弟の心を毒する連中のことである。テロリストの脅威と対峙する民主々義は、しっかり対応できるのであろうか。不安のひとつは、火に対する火を以て応じる問題、政府が過剰反応をし過激主義と戦うに過激手段を使う問題である。水責めやドローン攻撃といった問題に関する論争はその一部である。


ジハードの拡声器役のケースについては、言論の自由を保証する問題として捉えられる場合が多い。評判のよくない主張、少数派の意見、或いは憎悪にみちた言説を許す、民主々義国家における表現の自由である。ヨーロッパの民主々義諸国における言論の自由は、アメリカよりも制約があるとはいえ、やはりこれも関心事である。



西側諸政府は、ISやアルカイダのようなサラフィ・ジハード集団がつきつけるイデオロギー上の(或いは政治・宗教上の言説)脅威について、きちんとした対応がとれず、不安気である。西側の大半は、自己の過去を忘れて、ポストモダンの論理性と理性を身につけたと考え、政治や宗教的イデオロギーが引き起す情念を超越したと思っている。しかし、マルクス・レーニン主義の武闘派が大学のキャンパスを占拠し、西ヨーロッパとアメリカでテロをやっていたのは、つい40年程前であったのだ※22。


このような過激派の声には公共の場で、精力的にチャレンジする必要がある。しかし、それだけでは十分ではない。ヨーロッパには、欧州人権裁判所があるが、テロ支持を自認する者について、弁護士が国外追放を回避するため、この人権裁判所を繰返し利用しているのである。イラククルド系ジハーディストであるクレカル(Mullah Krekar)は、普段にテロ攻撃を計画し、ノルウェー政府関係者を脅迫しているが、既に四半世紀もヨーロッパの保護下で暮らしている※23。彼が設立に一役かった組織のひとつは、ISの先駆である※24。クレカルの政治遍歴は曲折があるが、今や追放寸前にあるようである。それも中東ではなくイタリアになるらしい※25。



EUの態勢改善については話が実際に具体化するとすれば、抜け道を塞ぐことであろう。テロ支援者はヨーロッパの自由を悪用して教唆煽動している。これを無くすための対応である。


このような対応は二つの基本的理由から、大切なのである。ISのようなサラフィ・ジハーディの言説には、二つの要素がある。西側は基本的に脆く、西側には信仰がない。何も信じていないというのである。偏狭且つ全体主義的主張が現実世界で当然の帰結を持つことを示せば、ISをパンクさせ、ジハードの“必然的勝利”は軍事的敗北と同じような道をたどる。それは我々自身の主張を強めることになる。西側のリベラルな民主々義的秩序が守るに値するものであり、その秩序は誰でも迎え入れる寛容性があるが、同時に力強く確信にみちているのである。民主々義国家が己を守ることができず、信念を堅持することができなければ、過激主義者の思う壺である。恐れるより哀れに思うだろう。もっとも彼等が残忍性の代りに哀れみの心を持っていればの話であるが。


今日西側は力量を試されている。我々の理想を堅持し、我々の歴史と良き伝統を再発見し、これを固く守ると同時に、他者に対し、難民に対し、根無し草になった人々に対する思いやりを行動で示せるかである。ローマ法王ベネディクト16世は、“西側特有の病的な自己嫌悪”に、警告を発している※27。我々は、我々自身と我々の信念を本気で守ることを示さなければならない。西側に避難しながら、その西側の人間を打倒しようとするジハーディズムの教唆扇動者は、己れの行動に本当の帰結が待っていることを、知らねばならない。手加減することは、寛容や理解を示すことにはならず、自滅的弱さを露呈することになる



[1] Foreign Affairs, "Europe's Angry Muslims," July/August 2005.
[2] Tonyblairfaithfoundation.org, "Loyalty and Disavowal: Al-Wala Wal-Bara," November 7, 2014.
[3] Ahmadjibril.com, "Al-Walaa' wal-Bara," no date.
[4] Ahlehadith.files.wordpress.com/2010/05/alwalaalbarafawzaan.pdf.
[5] Telegraph.co.uk, June 22, 2016.
[6] Ccaa.elpais.com, June 18, 2016.
[7] MEMRI TV Clip #4396 - Friday Sermon at Italian Mosque: Kill the Jews to the Very Last One, July 29, 2014.
[8] MEMRI TV Clip #5164 - French Friday Sermon on Day of Paris Attacks: Our Children Can Become Rulers of France through Legal Means, November 13, 2015.
[9] Youtube.com/watch?v=lL8nTcFA49g.
[10] MEMRI TV Clip #5185, Friday Sermon in Tomblaine, France - Imam Nejdi Condemns Paris Bombings: We Are French Citizens in the Full Sense of the Word, November 20, 2015.
[11] Salafimanhaj.com.
[12] Russellmoore.com, June 8, 2016.
[13] Dayan.org, "Tel Aviv Notes: Educating Imams in Europe," no date.
[14] MEMRI TV Clip #2914 - Al-Jazeera TV Host Clashes with London-based Islamist Hani Al-Sibai over Glorification of Osama Bin Laden, May 2, 2011.
[15] Counterextremismproject.com, "Are British Taxpayers Supporting A Radical Cleric?" September 2, 2015.
[16] Buzzfeed.com, May 23, 2016.
[17] Telegraph.co.uk, April 25, 2015.
[18] MEMRI TV Clip #1513 - Egyptian Liberal Sayid Al-Qimni and London Islamist Hani Al-Sibai Debate Secularism and Fundamentalism in the Arab World, July 10, 2007.
[19] MEMRI Special Dispatch No. 6467, Germany-Based ISIS Supporter And Academic Malik Fndy, Arrested Following Release Of MEMRI TV Clip, Resumes Pro-ISIS Facebook Activity, June 10, 2016.
[20] MEMRI TV Clip #5151 - MEMRI Vice President Alberto Fernandez: We Need an Alternative to ISIS and the Al-Assad Regime, October 13, 2015.
[21] Carnegieendowment.org, "The Sectarianism of the Islamic State: Ideological Roots and Political Context," June 13, 2016.
[22] Reason.com, January 15, 2016.
[23] Weeklystandard.com, January 11, 2016.
[24] The Daily Caller, November 17, 2015.
[25] Newsinenglish.no, June 9, 2016.
[26] Independent.co.uk, May 30, 2015.
[27] Firstthings.com, "Europe and its Discontents," Pope Benedict XVI, January 2006.

(転載終)