ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

西側指導者の不必要な偽善

結局、以下の文章に尽きる。これに先行するダニエル・パイプス先生の大量の言論活動は(http://ja.danielpipes.org/art/year/all)、学問的誠実さと政治的率直さに基いて展開されてきたと言えよう。

メムリ(http://memri.jp/bin/articles.cgi?ID=SP12817



緊急報告シリーズ 
Special Dispatch Series No 128 Jun/6/2017


「彼等は敗者やニヒリストではなく、死の崇拝者や病んだ卑怯者でもない―大義のために殺戮しユートピア的未来の為命を捧げる信仰の人である―」
イガル・カルモン


バラク・オバマ前大統領、フランソワ・オーランド仏大統領、ディビッド・キャメロン前英首相は、欧米で起きているジハード爆弾テロが、宗教と関係していることを否定する。それと同じように、ドナルド・トランプテリーザ・メイ英首相 も、ジハーディスト達を悪の敗者(evil losersトランプ)とか病んだ卑怯者(sick cowardsメイ)と別の呼び方で一蹴し、このジハード現象に誤まった特徴付けをしている。


トランプは、選挙キャンペーン時には、別の呼び方をしていた(過激イスラムテロリズム)。しかしその後、ほかの西側指導者達が好むアプローチに変えたようである。この指導者達は、テロの宗教的ルーツに言及するのは"有用ではない"と考えるのである。彼等と同じように、トランプは、14億のムスリムの機嫌を損ねるのは避けたいわけで、もっともな必要性にかられたわけである。


そこで、まず"有用ではない"という定義を考えてみよう。恐るべき犯罪を実行するジハーディストは、負け犬ではないしニヒリストでもない。死の崇拝者でもないし、病んだ卑怯者でもない。それどころか、彼等の圧倒的大多数は、献身的且つ熱烈な信者である。彼等は、ユートピア的未来―自分の信仰によって支配される世界―のため自己の生命を犠牲にする理想主義者である。彼等が犯す行動(テロ攻撃)は、敬虔の極致的行為である。彼等は、過去の栄光と壮大性を復活するため、初期信仰者の献身と肩を並べようとする。事実、彼等は訓練の一環として、敬虔なライフスタイルを送る。礼拝時には沐浴し、社会で恵まれぬ者を助け、借金は全部払う※1。そして、他者に対する倫理的宗教的役割のモデルになろうとする(自爆者ハナディ・ジャラダットの遺書を参照。ハイファのレストランで大量殺人を犯した人物。その遺書は、"慈悲深く慈愛あまねアッラーの御名において"で始まる)。


西側指導者達は、実行犯の悪しき性格を非難するが、実行犯が従う信仰は犯罪とは関係がないと免罪する。しかしこのアプローチと違って、実行犯は彼等自身の信仰の基準によって、コーランの教え、「異教徒にはきつく、仲間同志ではいたわり合え」(48章29)に忠実であり、これに従う有徳の人なのである。問題は、実行犯の人格にあるのではなく、彼等の宗教上の信仰体系の中核的価値観にある。彼等の信仰には―どのような信仰でも―美しいものと敵意の要素が含まれている。西側の指導者達がやっているように、この敵意の要素が信仰の一部であることを否定するのは、間違っている。役に立たないのは、このような否定である。これは自己欺瞞である。


テロリストの行為に誤った特徴づけをすることが、世界のムスリムに対する怒りの回避につながるのであろうか。答はノーである。西側指導者がやっているように、ジハーディストの行為を信仰の根源とは無関係とし、行為と教えを完全に切り離してしまえば、世界のムスリム達は、西側の指導者達が自分達の信仰を理解せず、誤った特徴づけをする知的傲慢に走っていると考えるだけである。ムスリムが誇りにするイスラムの偉大なる成果がある。その成果とは偉大なる文明の確立、ひとつではなく史上複数の帝国を築いた業績である。誤った特徴づけは、この成果の基礎にある核心的価値観を否定することである。


キリスト教の場合、コンスタンティヌス大帝がキリスト教を国教とし、武力による信仰の強制で拡散させた。この価値観(武力による信仰の拡散を目的とする自己犠牲の極度の献身)がイスラム拡散の基礎にある。これを認めることは、ムスリムに対する尊敬がはるかに高いということである。キリスト教の場合、ずっと前にこの価値観を放棄したが、その過去を否定しているわけではない。強制を捨てたのである。西側の指導者達は、その核心的価値観を否定することによって、ムスリムの過去を侮辱してはならない。むしろムスリムに同じ道をとるように要求すべきであるイスラム文明と栄光の基礎にある暴力的価値観は、現代の道徳観と調和しないことを、ムスリムに自覚させなければならない。ムスリムは(キリスト教がやったように)自分達の信仰の別の側面に焦点をあて、武力による宗教的ユートピアの顕現を強制することを完全に否定すべきである。


西側の指導者達が、ジハード現象のルーツ、即ち信仰と攻撃の間にある深い関係を否定し、認めようとしなければ、自国で起きる"テロリズム"の撲滅は期待できない。この結びつきを認めることは、ムスリムに敬意を払うことになるだけではなく、改革に貢献することにもなるムスリム改革派には助けとなる。改革派は、テロリストの思想が信仰に起因していることを認めている。信仰の家、神学校、社会に由来しているのである。否定するよりも本当の姿を直視しつつ、ムスリムに対する方が、余程誠実である。ムスリムには、その業績に誇りがある。しかし又、その業績をもたらした古めかしい価値観がある。その価値観の一部は現代に通用しない。つまり、誇りと共に批判も必要である。ムスリムは正常な態度を以て直視しなければならない。イスラムテロのルーツに関する、西側指導者の不必要な偽善の完全放棄のみが、ムスリムの直視を助ける。ヨーロッパ諸国が、ポスト帝国主義的地位に自分達を合わせたように、ムスリムポストカリフ的地位の役割を受入れなければならない※2。これは確かに苦痛の伴なうプロセスではあるが、不可避である。ローマ教皇ヨハネス23世による改革aggiornamento(教会の儀式、教理の時勢に合わせた改訂)があったようにムスリムの最高宗教指導者達は、ムスリムの教理改訂を追求しなければならない。


このメッセージは西側指導者達によって明確且つ執拗に伝えられなければならない。今日までの慣行であった知的怠慢即ち回避と否定に代って直言しなければならない。そしてこの要求はムスリムだけに求められたことではないことを、強調すべきである。西側とキリスト教はそれに合わせたのである。このプロセスを踏んで初めて、ジハードのイデオロギー基盤が根絶され、"テロリズム"は相当に減少する。言うまでもないが、これは長期に及ぶプロセスである。しかし、これが本当の問題解決であり、結果を生む唯一の方法である。


この識見を具体的な政策にするには、二つのステップをすぐにとる必要があると思われる。第1は、西側指導者達が、信仰とジハードの深い結びつきを否定するような偽善をやめムスリム世界の指導者達に直言し、宗教上の改革を実施するように求めなければならない。第2はムスリム指導者達の仕事である。この10年インターネットでジハーディストイデオロギーが拡散している。ジハーディストのインターネット使用の禁止法令を導入しなければならない。彼等はすべての団体の言い逃れを無視しなければならない。つまり、言論の自由にそぐわないといった言い訳である。言論の自由は、信仰をベースとした煽動を含め、殺人教唆を許さない。彼等は、ジェノサイド禁止協定を尊重すべきで、インターネット会社が民主々義諸国の法律を嘲笑することを許してはならない。インターネットのジハード煽動一掃戦略については、次を参照。


MEMRI Daily Brief No. 126, An Internet Clean Of Jihadi Incitement – Not Mission Impossible, May 1, 2017.


付録 ハナディ・ジャラダットの遺言

(ユーリ:以下省略)
(引用終)