ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

イラク参戦を巡る英国報告書

フェイスブックhttps://www.facebook.com/ikuko.tsunashima?fref=nf&pnref=story)からの転載。

イギリスのイラク戦争を巡る報告書が報道されている。こういう時、古いインタビューを訳しておいてよかったと...
http://ja.danielpipes.org/article/15251#.V38V5v5tasA.facebook


3年前の随想...
http://ja.danielpipes.org/blog/12655#.V38lfKYk9-E.facebook

(転載終)

ここで、久しぶりに池内恵先生(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%C3%D3%C6%E2%B7%C3&of=50)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%C3%D3%C6%E2%B7%C3)。
「これをネタに怒りたい人」は笑えるが、世論に直接間接に悪影響を及ぼしている責務の方が重大。

https://www.facebook.com/satoshi.ikeuchi?fref=pb&hc_location=profile_browser


・これまでに分かっている実行犯5人のプロファイル。3名はダッカの富裕層出身、3名とも私立高校で欧米流教育を受けた上で、2名はオーストラリアの有力大学のマレーシア分校にも留学している。


・2名は北部ボグラの庶民。一人は神学校を出ている。こちらがマバングラデシュムジャーヒディーン団(JMB)との関係が疑われている。


無料媒体で「これをネタに怒りたい人」たちがつるんでいるのを読んで時間と精神力を無駄にするぐらいなら、一定の入場料を払って、ついたての中でじっくり読んで考えたほうがいいですよ。

(部分転載終)

そして野口雅昭先生も(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160120)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160122)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160328)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160622)。

これを読むと、2003年から2008年頃までに書かれていたインターネット上の日本語によるダニエル・パイプス批判が、いかに的を外していて、「パイプスをネタに怒りたい人」だったかがわかる。まずは、こちらを。

http://www.marino.ne.jp/~rendaico/bushco/neocontotrokkizm_what.htm
(2003年)
ポーランドユダヤ人で1939年にアメリカに移住してきたハーバード大学教授でソヴィエット共産主義の一番の批判者であるリチャード・パイプスの息子ダニエル・パイプスは、イスラム主義を西欧の脅威となる新たな全体主義であると弾劾している。彼等は孤立主義者ではない。反対に彼等は一般的に幅広い教養の持ち主で外国についての深い知識を持っている。その国の言葉も往々にして完璧に話す。」


http://www.kokuminrengo.net/old/2003/200308-noiraq.htm
(2003年)
「また、ニューヨーク在住の作家、マーク・エングラーは、tompaine.comに次のように書いている。「ニューヨーク・ポスト紙にコラムを持つ保守派論客ダニエル・パイプスは、『戦争の根本的な理由は、大量破壊兵器の存在などではなかった…イラク国内のいまわしい抑圧でもなかったし、近隣諸国へのサダムの脅威でもなかった』と書く。…パイプスの論点は、サダム・フセインは多年にわたり兵器査察チームとイタチごっこを繰り返してきたので、その抹殺はアメリカの権利だったというものである。サダムが武器を持っていようがいまいが、なんの問題があろうか? 反抗的な態度を示すだけでも、アメリカ支配を貫徹するネオコンサーバティブ(新保守主義派)の目論見と衝突する悪行の前例になってしまうのだ。」」


http://www.jca.apc.org/stopUSwar/Movements/global_action_2005march19.htm
(2005年)
「憎悪の言葉は、ダニエル・パイプスからマイケル・サヴェッジおよびラッシュ・リンボーにいたる憎悪屋たちが、罰を受けることもなく公然と人種的偏見と偏狭で、あらゆる種類のメディアの発信元を満たすほどに、常態化している。この多面的な攻撃にもかかわらず、国内での市民的自由の防衛と、パレスチナ、ハイチからイラクを越えて拡大する植民地主義的占領と征服への反対との間の、反戦運動内にこれほどまでに作り上げられた明確な連携は、しっかり保持されているだけでなく、拡大し強くなってもいる。」


http://www.ohtaryu.jp/blog/old-articles/j-1214059814.html
(2006年)
「フレミング・ローズは、米国のシオニストネオコンダニエル・パイプスの同志である。パイプスは、ジャボチンスキー派的過激派シオニストである。」


http://satehate.exblog.jp/21811382/
(2007年)
「CIA長官であったジョージ・H.W.ブッシュの承認によって組織されリチャード・パイプス(ネオコンの中東研究家ダニエル・パイプスの父親)に指揮される、俗に「チームB」と呼ばれた反共主義の組織に加わっている。」


http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/e/213f60b69cf73f22adc6e019e55d2a0c
(2011年)
「米国の著名な中東問題専門家ダニエル・パイプス氏も「中東全域でもイラクだけはいま民主化要求デモが皆無だ」と述べ、「イラクではすでに自由な選挙、言論の自由、法の統治など民主主義の要件が備わったからだ」と理由を説明した。同氏はまた「ブッシュ氏の中東民主化構想は米国内部でもリベラル派から『イスラムの教徒や教義は本質的に民主主義には合致せず、あまりに非現実的だ』と非難されたが、現在の状況はその非難こそが的外れだったことを証明しつつあるようだ」と論評した。オバマ政権も今では中東の民主化を政策目標に掲げるに至ったが、パイプス氏は「民主主義の促進には時間と手間がかかることと、民主化の名の下にイスラム過激派が権力を握る危険があることを銘記すべきだ」と提言した。【2月20日 産経】
これも、イラク攻撃による多大の犠牲と混乱を捨象した自己正当化の議論のように思えます。」


http://www.international-press-syndicate-japan.net/index.php/news/politics-confict-peace/1668-books-us-outing-the-israel-lobby
(日付不明)
「AIPAC,ジョン・ハギーのイスラエルのためのキリスト教徒連合(Christians United for Israel)、米国主要ユダヤ組織会長会議、全米ユダヤ協会、ユダヤ国家安全問題研究所(Jewish Institute for National Security Affairs)、バーナード・ルイス、チャールス・クラウサマー、ダニエル・パイプス中東フォーラムイスラエル・プロジェクト、エリオット・エイブラムス、I.ルイス “スクーター”リビー、安全保障政策センター、ウィリアム・クリストル、ワシントン近東(Near East)政策研究所、エリオット・エンゲル議員(ニューヨーク州選出)などが含まれる。(順不同)」

(部分抜粋引用終)

野口先生の解説は、謙虚に「誰もが知っている経緯」とおっしゃっているが、知らない人が憶測で誤った情報を人目につくように書き連ねていたこと自体(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160328)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160425)、極めて深刻である。
大量破壊兵器がなかったのに戦争を始めた」ことについて、私が従来聞いていたのは、トラックか何かで夜間にシリア方面へ運ばれた航空映像がある、とのアメリカ情報だったが(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120811)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130820)、以下の説明も充分に納得がいく。

http://blog.livedoor.jp/abu_mustafa/archives/5072023.html


「英国のイラク戦争に関する独立委員会の報告」
2016年07月07日


・英国のイラク戦争参加についての独立委員会の報告書が6日発表され、委員会はその中で、あの戦争は最後の手段として正当化されるものではないと、時のブレア首相に対して厳しい立場を示した、とのことです。


イラク戦争に関する若干の個人的コメントだけ書いておきます。


・いずれにしても、当時サッダムが大量破壊兵器WMDを有していなかったこと(核兵器の開発はイスラエルの原子炉爆撃で頓挫し、化学兵器生物兵器については、国連の調査チームの活躍のおかげで、現存のものは廃棄されていた)は、その後明らかになっていて、その意味では、戦争が正当化されないという結論は、特段目新しいものではないでしょう。

イラク戦争に、その後のISの台頭をもたらした最大の責任があるという議論はよく聞くところで、非常に大局的には、そういうことかもしれませんが、現実にはもう少し詳しく検証の必要があると思います。


・まず、最大の疑問は、あの時点でなぜ、ブッシュがそれまでアフガニスタンに大軍を派遣して、オサマビンラーデンをパキスタンとの国境地帯の山岳地帯にまで追い詰めて、もうひと努力というところまで行っていたのに、突然イラク戦争を始めて、アルカイダをとり逃したのかということです
当時一般にはブッシュ政権の中枢を占めていた、対イスラル強硬派のネオコン(国防次官とか国務次官とかだったか?)が、イスラエルにとっての最大の敵であるイラクを叩くべし、という強硬な意見で、ブッシュがそれに引きずられたという説明だったかと思います。
・勿論、ブッシュが突然イラクに舵を切り替えなくとも、オサマの首を挙げられたかどうかはわかりませんが、当時の米国の情報機関の中の多くのものが、イラク戦争がオサマというかアルカイダの命を救ったとみていたことは間違いなさそうです
・そもそも、ISの元が「イラクアルカイダ」であったことを考えれば、仮にあの時オサマを追いつめていれば、その後のアルカイダの活動、ひいては現在のISの活動にも大きな影響が出てきたことは必定であったと思います。


・次の疑問は、イラク戦争に勝ち、実際上イラクの支配者となった米国が、これまた突然、イラクの正規軍(確か警察もか?)を全面的に解散してしまったことです
・サッダムの支持基盤である共和国防衛隊とか、その種の所謂バース党の私兵は、あまりにサッダムの手兵として血にまみれていた(クルドシーア派に対する弾圧その他)ので、これを解散するのは当然として、またバース党でもサッダームに近い上級幹部を追放、逮捕するのは当然だが、バース党員であったというだけですべての党員を追放にしたことも驚きでした
・何しろサッダムのイラクですから、正規軍の内部でも有能な幹部は粛清されていたとは思うが米国のように帰化イラク人も多く、CIAのような情報機関を有している国では当然、サッダムに代わる人間というかある程度のグループを用意していたのだろうと思っていましたが、正規軍の解散と聞いて唖然としてものです
これがイラクの秩序を完全に破壊し、その後の無秩序、テロの根源となったことは明らかだと思います。


・同時に、当時米主導でイラク全土で(たぶん共和国になって以来初めて)公正で自由な選挙があったことは大いに評価されたことで(当時ブッシュは「大中東民主化構想」などと大見えを切っていたかと思う)したが、問題は多数のグループからなるイラクで、最大の勢力がこれまで歴史的に常に圧迫されてきたシーア派であったことを考えると、単純な数の上での民主主義は、シーア派の優勢をもたらし、他のグループ、特にこれまでの支配階級スンニ派の反発を招き、クルドとの問題も起きることは必至、と思っていましたが、その通りになってしまいました。
・おそらくは、連邦制なり、なんなり少数派の利益を守る制度を考えておくべきで、あの頃の時点ならまだそれも可能であったかと思います。
・またそれをしておけば、その後のイランの影響力の増大も少しは食い止めえたかと思っています。
・今となっては手遅れでしょうかね?しかし、イラクという国家を守るためには、どうしても無視できない問題であると思います。


・もう一つの問題はオバマの責任です。オバマイラクアフガニスタンからの米軍の撤退を掲げて当選し、両国でこれを実行しましたが、少なくともイラクでは、彼のしたことがISの台頭を許しました
・というのは、米軍のぺトレウス司令官等は、特にアンバール県等スンニ派が多数居住する地域での過激派(当時はアルカイダ)をつぶすためには、米軍の増派とスンニ派部族の武装化が必要と考えて、これを実行し、2006年以降、過激派の拡大は食い止められ、民間人に対するテロも激減しました。
・ところがオバマが大統領となり、米軍を撤退させ、ISに対する戦闘の責任をイラク政府に渡したとたん、(ある意味では当然のことだろうが)マリキーというシーア派強硬論者でイランの手下が、スンニ派部族に対する支援を取りやめ、それを契機にスンニ派の中のIS支持派が増大し、テロも再活発化してきました。
・このため、米国もマリキーを見限り(それまでオバマはマリキーをほめそやしていたイラク軍の再建と空軍による空爆強化、更には米特殊部隊の派遣等に踏み切らざるを得なくなったもので、それらの効果がようやく出始めているというのが現状だろうと思います。


誰でも知っている経緯をもう一度書いてみたのは、物事というのは、それほど単純に一直線で動くものではなく、イラク戦争自体は過ちであったことは事実ではあるが、その後のやり方が、さらに事態を悪化させたもので、イラクでもオバマではなく共和党の大統領が当時出ていたら、もしかしたらISの興隆はなかったかもしれない(もちろん、さらに酷いことになっていた可能性もあり、歴史でif などということは意味がないが)という気がしています。
・勿論トランプのような候補であれば、共和党の大統領は世界の惨事であることは間違いないと思いますが・・・・

(部分抜粋引用終)
2016年7月11日追記:

http://blog.livedoor.jp/abu_mustafa/archives/5072023.html#comments


abu_mustafa
2016年07月08日


誤解されたとすれば、申し訳ありませんが、ISの台頭はオバマの責任だ、などと言うつもりは毛頭ありません。
客観的に見て、アルカイダ、ISをのさばらせた責任の80%かそれ以上は、ブッシュ等の共和党政府にあると思いますね。
それにもかかわらず、ブレアは一応遺憾の意は表明したようですが、ブッシュ本人と当時の豪州の首相は、今でもイラク戦争を始めたのは正しかったとうそぶいているみたいですね。


abu_mustafa
2016年07月09日


何しろ2006年当時のことですから、ご記憶も薄いかと思いますが、あの政策は、米軍のsurgeという大量再派遣とセットで、米軍の攻撃のあとの村落を守るために、スンニ派部族に軽武器(せいぜい旧式の小銃程度)を渡したもので、そのコンビが非常にうまく成功し、アンバール県からはアルカイダの勢力がほぼ一掃されたかと思います。
従って、この政策の成功には米軍の支援が不可欠なわけです。
いずれにせよ、ISが大量の兵器、特に戦車、ミサイル、大砲、大量の車両類等を捕獲したのは、モースル等から兵器を捨てて逃げ出したイラク軍からであって、部族からではありません。確か、あの時にも多くのイラク兵士は、とにかく大部分の指揮官が先に逃げ出して、何が何だかわからないうちに軍隊が全面的に崩壊したと言っていました。

(部分抜粋引用終)

イラク戦争を巡る過去ブログの一覧
http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140213)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140808)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/20131220)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/20140101)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/20150209

イラク・トピックの邦訳リスト
http://www.danielpipes.org/topics/11/iraq?language=25

イラク・トピックの英語リスト
http://www.danielpipes.org/topics/11/iraq?language=0

中東フォーラムのイラク戦争を巡る論説
http://www.meforum.org/topics/11/iraq

ネオコンと呼ばれたパイプス先生の経緯
http://ja.danielpipes.org/article/11560)(http://ja.danielpipes.org/article/11599)(http://ja.danielpipes.org/article/12683)(http://ja.danielpipes.org/article/13002)(http://ja.danielpipes.org/article/13357)(http://ja.danielpipes.org/article/14838

イラク戦争を巡るパイプス先生の立場
http://ja.danielpipes.org/article/11623)(http://ja.danielpipes.org/article/13357)(http://ja.danielpipes.org/article/15251)(http://ja.danielpipes.org/article/15324)(http://www.meforum.org/4183/let-iraqis-run-iraq)(http://www.meforum.org/4233/walking-back-the-cat-on-chalabi

最後に。イラク戦争を巡って、敗戦後のドイツと日本に対するアメリカ支配の事例を参照したという説が一部に出回っていたが、興味深い言述が、『季刊中東』誌にあるのを見つけた。

http://www.meforum.org/60/after-saddam-is-gone


After Saddam Is Gone
by Alexander H. Joffe
Middle East Quarterly
June 2000, pp. 33-41


Japan underwent an American military occupation but this did not achieve great results. The country was placed under American protection and constitutional limits were established on Japan's military; a small number of war crimes trials were held, both of the leadership and military officers accused of specific atrocities; and various institutions were reformed. But Japanese society never fully addressed its role in World War II. This is reflected in the begrudging legal admission of liability to compensate Korean "comfort women," the rejection of lawsuits by former Allied prisoners of war, and continuing denial of Japanese responsibility for atrocities in China. A sense of responsibility for aggression is still too often deflected into triumphal victimhood by continued genuflection toward Hiroshima and Nagasaki. Japan more than a half century later is haphazardly forgetting its fascist interlude, rather than systematically incorporating that knowledge into a new understanding of itself. The same applies, roughly to Austria.

(部分抜粋引用終)
なるほど。こういう論に対して、どのように我々が応対するか、だ。但し、16年前の考察であることに留意。