戦争ができる国にする?
昨日、7月10日の選挙に向けて、共産党の女性候補者を支持するよう依頼する電話が掛かってきた。
「今の政権、憲法を改正して、戦争ができる国にしようとしているんですよね」
私「そんなこと、政府は言っていませんけど」
「今は言っていなくても、後で必ずそうするようになるんです」
私「どこにそんな証拠がありますか」
ガチャン(と電話は切れた。)
数年前までの私は、政治と距離を置く暮らしにどっぷり浸かっていた。新聞論調に毒されていたのだろうと思うが、(国政なんて、いくら一般国民のこちらが言っても変化しないものだ)と、不承不承、半ばあきらめムードだった。
ところが、先日亡くなった、1986年ノーベル平和賞受賞者のエリ・ヴィーゼル氏(1928−2016年)が、以下のような言葉を残されていることを知った。しかも、現在、言論活動を活発に行っている主導的なユダヤ系の人々に深い感化を及ぼしてきたのだということも知って、襟を正す気になった。
“We must always take sides. Neutrality helps the oppressor, never the victim. Silence encourages the tormentor, never the tormented."
(http://www.goodreads.com/quotes/99574)
「中立を保つことは、抑圧者を助ける。沈黙は苦しめる側を奨励する」という教えである。だから、「触らぬ神に祟り無し」とばかりに、「大人の態度」を取ることは、卑怯でしかない、ということだ。
勿論、何でも声を上げればいいというものではないが、しっかりと考えて、良識を働かせて、公共善を推進すべく、一人一人が役割を果たしていかなければならない。そこに、優劣や上下の差違はないはずだ。
冒頭の共産党の話に戻ると、若者から中年の中には混乱している人々もいるようなので、はっきりと申し上げるが、共産党はオウム真理教と同じく、長い間、公安調査庁の監視対象になっているのだ。これは、公安調査庁のホームページを見ればわかる(http://www.moj.go.jp/content/001177477.pdf)(http://www.moj.go.jp/psia/ITH/organizations/index.html#sec_02)。つまり、公共の秩序を転覆させ、危害を及ぼす可能性を秘めた思想と活動を展開しているということだ。
(http://blogs.yahoo.co.jp/bonbori098/34095489.html)
2016年4月1日
日本人ならば暗記しておきたい言葉
「皇国の興廃この一戦に在り、各員一層奮励努力せよ」
Z旗を掲げて日露戦争の雌雄を決した日本海海戦。
その5日後、東郷平八郎連合艦隊司令長官は捕虜となった敵の司令長官ロジェストウェンスキーを佐世保の海軍病院に見舞いました。東郷司令長官は「困難な大遠征の成功は見事で、最後までよく戦われた」と、その勇戦を讃えました。
それに対してロジェストウェンスキーは感激して返す言葉もなく、涙ながらに「このような名将と戦い、敗れて悔いなし」と言うのが精一杯でした。
以後、ロジェストウェンスキーは終生、東郷元帥を尊敬されたのです。
日露戦争の時の孫達が戦った大東亜戦争。
昭和17年3月1日、スラバヤ沖海戦で、日本の艦隊は英・米・蘭・豪の連合艦隊に遭遇し、15隻の連合国艦隊のうち11隻を撃沈し、4隻が逃亡しました。
この時、日本の駆逐艦は沈没した英国の重巡洋艦から投げ出された敵兵376名を救出しました。
そして、日本の海軍軍人達は沈みゆく敵艦に「敬礼」の号令が下され、全員で敬意をして沈む敵艦を見送りました。
その翌日、日本の駆逐艦は英国の駆逐艦が沈没して漂流しているところを発見。艦長は救助命令を下し、敵兵400名以上を救助しました。この時、救助命令を下した艦長は幼い頃から日露戦争を生きた祖父母から聞かされていた『上村将軍』の歌を思い出したのです。
蔚山沖(うるさんおき)の雲晴れて
勝ち誇りたる追撃に
艦隊勇み帰る時
身を沈め行くリューリック
恨みは深き敵なれど
捨てなば死せん彼等なり
英雄の腸ちぎれけん
「救助」と君は叫びけり
艦長は救助した敵兵に対して「諸君は勇敢に戦われた」と言って、名誉あるゲストとして迎え入れたのです。
(部分抜粋終)
上記は(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160429)の再掲。