ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

アラブ・ムスリム世界の現状

久しぶりに、最新の『メムリ』(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%A5%E1%A5%E0%A5%EA&of=50)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%A5%E1%A5%E0%A5%EA)または(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=memri&of=50)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=memri)からの引用を。

『メムリ』(http://memri.jp/bin/articles.cgi?ID=SR4315

Special Report Series No 43
Feb/8/2015
殺戮から文化教養の時代へ
―アラブ・ムスリム世界の現状をどう理解するか―
Y・カルモン(MEMRI(中東報道研究機関)の創立者で会長)
2015年初春


アラブ・ムスリム世界は、この5年間転落を続け混沌の奈落へ沈んでいった。おぞましい暴力と大量殺戮の嵐がこの地域一帯に吹き荒れ、社会の基盤構造が崩壊しつつある。多くの国が分解し、数百万の住民が難民となって流出した。戦乱に引き裂かれた地域の状況報告と様子は、第二次世界大戦からそっくり写しとったように見える。それでも飽き足らぬかのように、2014年には、恐ろしい新事態が浮上してきた。ISIL (イスラム国) の登場である。それは、紀元7世紀に由来する信仰と野蛮な行為をそのまま表出する集団である


アラブの春という前途に進歩の期待がもてる時期の後、一転して混乱状態になったのであるから、困惑の度は強まるばかりである。アラブの春は、基本的な人間の尊厳を求める戦いに集約された筈である。宗教や人種を問わず、老若男女が一緒になって、自由且つ民主的な未来の建設を目的に、力を合わせて立上ったのではなかったのか。人間同士の連帯、団結という英雄的行動は一転して退化し、地域、人種、宗派で固まり、集団同士が戦う状態になってしまった。このような矛盾を、どう説明したらよいのであろう。


アラブ・ムスリム世界はかくも混乱し、混沌状況に陥入ったように見えるが、本記事は、このような事態を歴史の観点から考察し、理解し、今後の状況展開についてある程度の見通しをつけようとするものである。つまり、アラブ・ムスリム世界の現状を説明し、今後の展開を考える。それには、虐殺の応酬から文化、教養へ進化したヨーロッパ千年の歴史が、ひとつの参考になるということである。




本記事は、未来を予想しようとするものではない。むしろ、ヨーロッパ史という歴史上の前例をベースとして、今後起きる可能性のある事態を考えるものである。西側の政策担当者達は、次々に起きる緊急事態や重大問題にどう対処してよいのか苦慮している。このプロセスが決着する迄どれ位かかるのか。有意義且つ建設的なやり方でそれにインパクトを与えるためには、西側は一体何ができるのか。本記事はその問いかけに答えようとするものである。


歴史的既視感


現在アラブ・ムスリム世界で起きていることは、別の地域と時代に起きたことに匹敵する。過去千年のヨーロッパ史は、既にこのようなことを経験しているので、今日の事態を説明する助けになる。


ヨーロッパの歴史は四つのカギ的手掛りを我々に与える。


第1は、この地域の現状を正確に判断する力を与え、将来を前向きに論じる手掛りを与えてくれる。つまり、現在の混沌は、究極においてポジティブな結果をもたらす可能性を秘めていることが判る。勿論、このような結果に至るまでには、ヨーロッパの場合と同じように紆余曲折があり、混乱もあるだろう。壊滅的打撃を与える戦争の時期が人間の進歩の時期と入りまじるのである。


第2は、この歴史過程が決着する迄の時間について、我々にその目安を与えてくれる。ヨーロッパの場合と同じように、数百年を要するということである。歴史に近道はない。このプロセスの御者は人間であり、その人間の進化は一息に押し進められるものではない。


第3は、特定現象に対する理解を深めてくれる。アラブの春の期待とその後の暴力と混沌。このような矛盾というか大きい歴史のうねりのなかで、さまざまな現象が生起する。その個々の現象を理解するうえで、手掛りを与えてくれる。


第4はどうであろうか。自由奔放な意志、人間の技術的発展の柱は、平等、共存、寛容、自決、人権といった価値観によって抑制されない時、強大な破壊力になり得る。ヨーロッパの歴史が教えるところである。


ヨーロッパとアラブ・ムスリム世界―歴史の類似性


アラブ・ムスリム世界は、ヨーロッパと同じように専制主義の政治構造の時代を経験している。人民、宗教、少数民族そして広大な土地が強制力によって一括りにされ、帝国として統一されていた時代である。この帝国は、紀元7世紀イスラムの勃興と共に始まり、その後ヨーロッパの植民地主義にとって代った。それはこの地域を政治的に再構築した。その次に来たのが、アラブ民族主義ムスリム世界のなかに非アラブ域には別形態の民族主義もある)である。そのいずれも、剣の力によって統一された強制的で人工的な政治構造である。そして今、以前のヨーロッパのように、アラブ・ムスリム世界は、過去の専制主義帝国の血みどろの分裂を経験しているところである。それは、画然とした自己認識と利害をベースとした集団に分裂しつつある。


アラブの春に続く混乱と暴力は矛盾にみちている。これをどう説明すればよいのだろうか。フランス革命がひとつの説明を提供する。つまりヨーロッパでは過去に類似の現象が起きている。フランス革命では、人民が絶対君主制の支配打倒をめざして蜂起した。それは人間の進歩発展をめざす英雄的行動であったが、間もなくして退廃し、大量殺戮の局面へ落ちていく。“恐怖政治”といわれる事態である。1万7,000人ほども“革命の敵”が断頭台の露と消えた。アラブの春に続いて起きている事態は、これに類似する。もっとも死者の数はフランスの場合より、今のところは多くはない。


専制主義支配から人民による支配への転換は、ヨーロッパでは数百年を要した。例えばイギリスでは、王の専制支配からマグナカルタ(大憲章、1215年)を経て民々主義の確立まで約800年かかっている。多かれ少なかれ、これがヨーロッパのたどってきた道である。絶対君主制が次第に立憲君主制へ移行していくのに、それだけ時間がかかったということである。立憲君主制では、実際の政治権力は人民の手にあり、王は国家の象徴にすぎない場合が多い。


リビアとエジプトの場合は、このモデルに近い。リビアの転換は、専制的支配者ムアマル・カダフィの追放を以て始まった。しかるに、その後すぐ革命は、“恐怖政治”に堕し、それが先の見通しがないまま続いている。エジプトも大同小異で、プロセスは軍人政治家のフスニ・ムバラク大統領の追放を以て始まり、以後ムスリム同胞団の指導者モハメド・モルシが選出されたが、国家のイスラム化をはかり、軍事クーデタであったという間に打倒されてしまった。このクーデタを支持したのは、ムバラクを打倒した同じ革命派人士である。現在エジプトは、ムスリム同胞団と軍事政体との権力闘争に逆戻りし、先の見通しはつかない。同じことはシリア、イエメンにも言える。この二つの地域は、政権軍と反政府集団が血みどろの戦いを展開し、国内は壊滅状態になっている。同じようにここも、民主々義が根付くまで多年を要するであろう。



アラブ・ムスリム世界で僅か5年で転換を果したのは一ヶ国のみ。チュニジアだけである。しかし、チュニジアの経験は例外である。独立と世俗化のための戦いを率いた伝説の人ハビブ・ブルギバが残した遺産は、ほかの国にはない。新しい指導者のカイード・エッセブシ(2014年12月大統領に就任)は、ブルギバ政権時代閣僚のひとりで、その遺産を引継ぐ男である。しかしながら、この新しい民主々義の行末は不明である。イスラミストが敗北を認めず、これまでの進歩を逆転させようとするかも知れない。リビアやエジプトと変わらぬ国になってしまう可能性は、否定できない。


民族或いは人種上の自決という概念は、現代アラブ・ムスリム世界とヨーロッパ史の間にみられる、もうひとつの類似性である。この概念は、初期資本主義の社会経済的発展から生まれたものである。ヨーロッパ諸帝国の没落に伴い多くの国が誕生した。この概念をべースにしている。スペイン帝国は、17世紀にオランダとベルギーの独立を認めざるを得なくなった。トルコのカリフ統治の衰退結果、バルカン半島でいくつかの国がオスマントルコ帝国から独立をかちとった。英仏両帝国は、植民地の放棄に抵抗していたが、20世紀中頃自決、独立を求める民族、そして一部は宗教集団に独立を認めざるを得なくなった。


アラブ・ムスリム世界では、沢山の集団が、それぞれ自己の自決と独立を求めて行動している。保守的で封建色濃厚で一部汎アラブ的な支配者から、分離しようというのである。これからの時代、旧体制の灰の中から新しいアラブ及び又はムスリム国の出現を目撃することになろう。つまり、リビア、イエメン、イラク及びシリアはそれぞれいくつかの国或いは政治的集団に分裂するということである。


次の類似性は、国家と宗教特に宗教法との分離である。この進歩的原則は、ヨーロッパでは数百年に及ぶ闘争の後やっと認知されたのである。それも20世紀までもつれこんだ戦いであった。一方アラブ・ムスリム世界ではどうであろうか。この闘争は1950年代エジプトで始まった。自由将校団による軍事クーデタに端を発する。当初はナギブが主導しついでナセルが引継いだ軍部による寡頭支配で、ムスリム同胞団の指導者達が処刑された。そして近年。モルシに率いられるムスリム同胞団が再び勢力を増大し、権力の座に戻った。アラブの春のひとつの結果である。この宗教勢力は宗教法の導入を意図し、宗教をベースとした憲法を強要しようとした。エジプトではシシに率いられた軍事クーデタが起き、モルシは権力の座を追われた。この政変は今後の状況を示唆する。即ち、エジプトの将来をめぐって、世俗の軍部とムスリム同胞団の戦いが続くということである。


アラブ・ムスリム世界とヨーロッパ史の類似性のなかで、一番陰惨なのが、宗教戦争という現象である。カトリックプロテスタントは、まさに血みどろの激しい戦いを展開した。これは、今日のスンニ対シーアの戦いと多くの類似点がある。前者は、三十年戦争とその結束であるウェストファリア条約(1648年)の締結で、数世紀に及び闘争がやっと終息したのである。後者の闘争が短期で終るとは思えない。


アラブ・ムスリム世界の今後の歴史展開とヨーロッパ史には、ほかにも類似性がある。例えば、マイノリティに対する平等の権利、女性の権利、紛争解決の手段としての和解と受容性といった価値観にかかわる分野である。西側においては、このような価値観の認知が、1948年の世界人権宣言で総括された。この一連の価値観は、まだ達成過程 にある。アラブ・ムスリム世界では、類似プロセスは始まったばかりである


プロセスの成就―疑問視と期待感


21世紀初頭、アラブ・ムスリム世界で、独裁政権の打倒をめざす人民の蜂起があった。自由諸国の歴史に加わろうとする行進が始まったわけである。だが、これに疑問を呈する人々もいる。この地域の住民は、先行諸国と同じように、自由意志によって民主々義を基盤とする統一を選択し、世界人権宣言の導入適用を選ぶことができるのか。可能性は不明と考えるのである。現在起きている暴力と混沌が、この疑問に答えているように見える。しかしながら、先行する世界の歴史は、この落とし穴が予期されることを示している。このプロセスは、このような暴力と混沌が断続する期間を何度か経なければ完結しないであろう


疑問を呈する者とは対照的な考えを持つ者もいる。アラブ・ムスリム世界がヨーロッパモデルを追求するだけでなく、コミュニケーション手段の進歩のおかげで、このプロセスはもっと短期間で完結する、と考えるのである。主として独裁政権の検閲とプロパガンダによって、盲目状態におかれている人民は、さまざまなコミュニケーション手段によって蒙をひらかれた。その結果、長い間待ち望んでいた自由を求めて独裁政権打倒のために立上った、と主張する。しかし、現代のコミュニケーション手段は、この地域の改革派と破壊的勢力の双方に便宣を与えている。グローバルなジハード運動とISIL(イスラム国)の勃興と勢力拡大は、衛星テレビ、インターネットそしてソシアルメディアなしには不可能であったと思われる。この通信技術はマイナスの作用もする。個々の集団が、独自のアイデンティティと権益、安全保障そして独立のため、この技術を使えばほかの集団を相手とする戦闘力をたかめるだろう。しかし相手もそうすることであり、結局は地域の進歩の妨げとなる。


ほかにも、アラブ・ムスリム世界の発展阻止因として、イスラムの力を指摘する人達がいる。この人々は、ISILの勃興、世俗主義から次第に宗教国家へ退化していくトルコを、例として指摘する。研究者達はヨーロッパの宗教改革と同じようなイスラム宗教改革が起きて進歩を加速できるかどうかで議論している。しかしこの議論は恐らく現実場面には即ない理論的問題を扱っている。将来の進歩は、そのような理論的討議よりは、ムスリム自身、つまり宗教を離れイスラムの役割を軽くする人々の手によって、決まるであろう


結論


人類史上最大最悪の戦いである第二次世界大戦から―世代半後、西ヨーロッパに癒しの時がきた。血みどろの戦いを演じた同じ人々が、過去を脇において、ヨーロッパ市場(European Market)の設置を選択した。分断分裂より統一、憎悪と戦争より命の共存を選んだのである。その後EUの創設により政治統一へ向かうのである。各国は、新しい統合政治体のために、主権のうち特定要素を放棄した(勿論ここでも、統合政治体といっても完成しているわけではなく、まだ前進の過程にある)。しかしながら、アラブ・ムスリム世界は、その世界で激しい内部闘争を始めたばかりで、同じような経済共同体ないしは、政治的統一体の創設まで多年を要するであろう。


アラブの著名な知識人ハシェム・サレフは、ヨーロッパの歴史をみて、2013年8月10日付Asharq Al-Swsat紙で、アラブ・ムスリム世界が今日の破壊を避ける近道はないのかと考えた。勿論、残念ながら無い。そしてサレフは、仮想の願望を語る。何年も眠って目を覚ませば、今のシリアが現代のオランダのようになっている。このようにして、アラブ・ムスリム世界が、かつてヨーロッパが現代に至る迄に味わった苦しみを透過するのである。悲しいかな、歴史に近道はない。アラブ・ムスリム世界は、ヨーロッパの場合と同じように、長い長い難儀な道を歩むことになる。


この地域の状況は今後もっと悪くなるだろう。改善に向かう前に恐らく大変悪化する。西側の政策担当者が、このプロセスにインパクトを速やかに与える必要があるかと思われるが、歴史のコースを変えることなどまず無理であろう。ヨーロッパの歴史ではできなかったし、今日でも然りである。如何なる政策も、このプロセスの完結に要する時間を短縮できない。西側世界でテロリズムが猖獗する事態をうけて、アラブ・ムスリム世界を再占領したところで、どうもならない。それでは西側の政策担当者には、一体何ができるのであろうか。道義上からいえば、少数派の人々を助けるため、大々的な救出作戦を展開することはできる。この世界には、抹殺の危機にさらされているイラクとシリアのキリスト教徒、クルド人、ヤジディ等々多くの少数派社会がある。


しかし、希望はある。いつとは予測できない将来ではあるが、アラブ・ムスリム世界は、ヨーロッパがやったように、この暴力と混沌の時代を脱して必ず立上り、人道的価値観と自由国家の理想、そして世界人権宣言を受入れ、それをベースとしたアラブ・ムスリム合衆国、或いはEUをモデルとした政治統合体をつくるであろう。

(引用終)