ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

セデルの恵みはいつまでも

熊本や大分での地震の被害や被災者の方々のことを思うと心苦しいが(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160420)、一方で、それぞれの場で通常通りの暮らしを落ち着いて継続することも、長い目で見て大切な貢献かと思う。
このところずっと、内容の深刻さと日本での知識普及のあまりの落差の点で、知的精神的に非常に重苦しかった訳文二本に没頭していた。一本は何と2012年にワードに落としてあり、2013年6月頃に訳しかけていたものだったが、次々と新たなコラムが送られてきた頃だった上、大量の映像チェックに読むべき本も山積みだったので、いつの間にか後回しになってしまっていた。
もちろん、今回は本気で完成させるつもりで集中した。元となる文献を英語で何回も読み直しながら、他の資料も参照しつつ日本語にしていくのであるが、数日かけて何度もミスを訂正して書き換え、原文を何回もチェックし直して、やっと昨晩日付が変わってから提出できた。しかも、何と六年間も原文のドイツ人名に小さなミスがあったままだったので、そのことも原執筆者に申し出て、早速訂正していただいた。
こういう英語原文の小さなスペル・ミスは時々あり、気づき次第申し出るといつも素直に感心されるのだが(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140510)、勿論、私の能力によるものではない。ワードに転写すると赤字で表記されるので気づくのと、今回の場合は、ドイツ語やドイツ文化に多少は馴染んでいる人ならば、誰でもすぐに気づく程度のミスである。恐らくは、日本語表記の複雑さによって、自然と細かな点に目がいく習性が日本人全体に備わっているのだろうと思われる。むしろ、私が驚いたのは、既に欧州四言語で翻訳が出ているのに、全て間違った綴りのままだったことだ。原文尊重なのか、ドイツ語を回避したいのか、私にはよくわからない。
ところで、昨年の今頃のイスラエル旅行(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150511)でアシスタントを務めた方から(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150525)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150526)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20151020)、昨晩付のメールでペサハのご挨拶が添えられていた。
私のパソコン机の上には、ミルトス社(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%A5%DF%A5%EB%A5%C8%A5%B9)で注文購入したユダヤ暦のカレンダーが置いてあるが、2013年3月に、東京の広尾にあるユダヤ教団で初めてセデルに出席させていただいた時のことを思い起こした(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130403)。今から振り返ってもまさに一期一会の貴重な時で、もしあの時を逃していたら、次はなかったことだろう。しかも、当時のラビ様のお祈りのおかげで、非ユダヤ教徒の私にも、その後、予想もしていなかった驚くべき恵みが次々と与えられたのだった。
例えば2014年のペサハの頃には、アメリカのニューヘイブンで、朝から昼食抜きで大学図書館で資料閲覧に没頭した一日を過ごした後、夕方になって、ホテルで案内されていた保守派シナゴーグに連れて行ってもらった。建物の外側だけ見て帰るつもりだったのに、何とそこで偶然知り合ったばかりのユダヤ系男性から、小さなケーキと野菜スープをご馳走になったばかりか、わざわざクラッカー風のマッツァ一箱を車から取り出して、プレゼントされたのだった(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140529)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140802)。帰国後(と翌年)、改めてお礼のメールを送ったところ、自宅で10人ほど招いてセデルを祝い、「自由」の概念について議論した、と報告が来た。
「自由」に関する議論というところがさすがはユダヤ系らしいと思っていたら、2015年のイスラエル旅行では、時差調整のため早めに到着した日が、ちょうど4月23日の独立記念日。テル・アヴィヴでは、ホテルでもどこでも、「ここは自由(フリー)なんです」と、誇らしげに語る人々に次々と遭遇した(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150830)。そして、安息日には旅程を外してホテル内のユダヤ教祈祷所に向かう人々と共に、ネゲブやガザ国境近くのキブツや西岸のアリエル大学やエイラート、そしてエルサレムでの旅に参加することが許されたのだった(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150810)。
あれから一年経ってもなお、旅の経験全てをブログで書いてきたわけではなく、まだ未消化部分もあるが、一生の宝である。そして、なぜ参加者がそれほどまでにイスラエルと中東情勢を心に留めているのか、そして、暴力的であれ文化的知的であれ、西洋におけるイスラーム主義をなぜあれほど神経質に警戒しているのか、日を追う毎に徐々に染み込んでいくように理解が深まっている。
そして、今年に入っても、さまざまなご連絡が絶えない。私など非西洋人なのだから別枠扱いで充分なのに、やはり、価値観を共有する米国の同盟である日本国の一人として見ていただいているのだろうか。
これは、私一人の努力ではなく、あくまでも先人の弛みない歩みの蓄積のおかげに他ならない。せめて足を引っ張ることのないよう、日々心したいと願う次第である。

駐日イスラエル大使館からのメッセージを以下に。

Chag Pesach Sameach to you all from the Embassy of Israel in Japan!!!
ペサハおめでとう!!


今日の夜から1週間、イスラエルではユダヤ教の三大祭りのひとつであるペサハ (過越しの祭り) に入ります。奴隷として働かされていたエジプトから解放され、モーゼの導きにより出エジプトしたことを記念します。日本でも、モーゼが手を上げると海が真っ二つに割れたエピソードは大変有名ですね。
今日の夜は、世界中で多くのユダヤ人がセデル(Seder)とよばれる特別の食事をとります。

(抜粋引用終)
そのメニューで特記すべき点を以下に抜粋。
苦い野菜(レタスやホースラディッシュ)は「エジプトで奴隷として働かされていた時代の苦さを思い出す」ため、骨付き鶏か七面鳥の脛肉の焼き物は「古代において、ペサハにエルサレム神殿にささげられた供え物を象徴」し、「ハロセット」というペーストは「リンゴ、ナッツ、赤ワイン、蜂蜜などを加えて練った」もので、「エジプト労働時代に作らされたレンガを捏ねた粘土を象徴」。最後のゆで卵は「古代において、ペサハにエルサレム神殿にささげられた供え物を象徴」するとのこと。
赤葡萄酒を四杯、飲むことも忘れない。これにも深い意味があるとユダヤ学の先生から後で伺ったが、昨年のイスラエルの旅で、砂漠を開拓したワイナリー研究所(と言っても、外見はブロック塀の小屋風で中に精密機械が入っている場所)で製造しているという赤葡萄酒を大きいグラスに注いでいただいて、皆で一緒に灼熱の太陽の下で飲み干したことを、併せて思い出す。
2013年当時は、とにかく頭と心が一杯で、感動で全身が興奮状態。記録としてブログに書いてはみたが、本当に慣れるまでには、ある程度の時間経過が必要で、他にもさまざまな歓喜や辛苦の経験を積み重ねることが大切なのだろう、と今これを書きながらしみじみ思うことである。
最近、「パイプス先生と繋がっているあなたが羨ましい」とメッセージを寄せてくださった方がいらした。確かにその通りではあるが、これも思いがけず降って沸いたような恵みに他ならず(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20121012)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160222)、決して私の努力によるものではない。
私から見れば、その方から教わることもたくさんある上、広尾に定期的に通える距離にいらっしゃることが羨ましい。