ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

日本人で得すること

時事ドットコム』(http://www.jiji.com)

反ユダヤ主義拡大の兆候=抗議行動が激化−ドイツ


【ベルリン時事】イスラエルによるパレスチナ自治区ガザへの軍事作戦で、多数の死者が出たのを受け、ドイツでイスラエルに対する抗議行動やユダヤ教を標的とした暴力行為が頻発している。ナチスによるホロコーストユダヤ人大虐殺)の過去を抱えるドイツでは、イスラエル批判はタブー視されているが、過激なスローガンが掲げられ、反ユダヤ主義が拡大する兆しを見せている。
 抗議行動の参加者は「ユダヤ人に死を」「ガス室に送れ」などと叫んだと伝えられる。また、西部ブッパータールでシナゴーグユダヤ教礼拝所)に火炎瓶が投げ込まれる事件が発生。ベルリンではユダヤ人青年が何者かに殴られた。
 ドイツ・ユダヤ人中央評議会のグラウマン会長は「ユダヤ人に対する邪悪で暴力的な憎悪が爆発している」と懸念を表明。また、イスラエルのハダスハンデルスマン駐独大使は、ナチス政権下で起きた反ユダヤ主義暴動「水晶の夜」に触れ、「ユダヤ人がベルリンの路上で追われている。1938年の時と同じだ」と語った。
2014/08/02

(引用終)

このようなニュースに接する度に、今年4月のアメリカ訪問の思い出が蘇ってくる(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140520)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140521)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140529)。
帰国後、ある雑誌に投稿したのだが、見事にボツになった小話を。
イェール大学神学部図書室での文献研究の後、すっかり夕暮れになった頃、思いがけず友人が車で迎えに来てくれた。「どこへ行きたいか?」と尋ねられたので、宿泊ホテルのパンフレットに銘記されていたニューヘイブンの保守派シナゴーグを指名。メモ帳に住所を書いておいたので、すぐに連れて行ってくれ、中を覗いてみた。礼拝所にはもちろん入れなかったが、建物の中をぐるりと一通り回って、入り口近くに並べてあったヘブライ語のパンフレットを幾つかいただいて外に出ようとしたところ、「ニューヘイブン大学」の大きなロゴマークの入ったTシャツを着た中年紳士が(というのも変なのだが)、ちょうど外へ出てくるのに出くわし、あたかも昔からの顔なじみでもあるかのように親しげに話しかけられた。(シナゴーグに来る人なら、それほど悪い人でもあるまい)と判断し、「ヤング・レイディ」と呼びかけられた嬉しさもあって、友人と二人で近くのファーストフード店で落ち合うことにした。もちろん、指示された通りに、車で追いかけて行ったのである。
今から思うと、本当に得難い経験でもあった。ちょうど昼食抜きで頑張っていたこともあって、おなかがすいていたのだが、そのTシャツおじさんが、友人と二人分、野菜スープをおごってくださり、小さなケーキまでご馳走になった。
友人がマレーシア出身のクリスチャンで大学近くに住んでいて、私は日本人で図書館でのリサーチのためにアメリカに来たこと、そして、お互いに長い間の知り合いだと自己紹介したこともあってか、そのTシャツおじさんは、すっかり乗り気になったらしい。日本人と聞いて、即座に杉原千畝氏のビザの話を持ち出してきた。シナゴーグかどこかで伝え聞いたのであろう、ことさらに日本人である私に親切で親しみのこもった応対だった。友人の方は、「ホロコースト」で異常な反応を示した以外、杉原千畝氏のことを何も知らなかったようで、「自分はムスリムではない、クリスチャンだ」とか何とか、どうも話がずれていってしまった。(マレーシア人との話で一番不愉快なのは、こういう時だ。英語の反応は、さすがに私よりも素早く、器用だ。でも、話の筋や内容の理解が一筋縄ではいかないというのか、日本について詳しい歴史背景や事情を知らないがために、どこかずれてくるのだ。「日本人よりも自分達の方が上だ」という意識があるからでもある。戦時中のこととなれば、日本軍のマラヤ占領期の華人虐殺のために、圧倒的に日本人は不利なのだ。)
そのおじさんは、むしろ私の研究テーマにも興味を示し、盛んに話したがっていたようだったが、友人の方が、私には話させまいとする牽制がどこかにあって、とうとう、うまくいかなかった。
「30分だけ」の約束だったので、時間が来たところで車で帰ろうとすると、なんと、一端はお別れしたはずのTシャツおじさんが、にこにこ顔で、マッツアの箱を抱えて私の所まで来た。やっぱり、Tシャツおじさん、実は私と話したかったのだ。「ヤング・レイディへの記念に」と、余計なお愛想まで添えて、「過越祭のセデルの時、食べるんだよ。食べ方、知っているね?パセリやゆで卵なんかと、塩水につけて一緒に食べなさい。わかるね?」と、何度も何度も念押しを。私が前年に東京の広尾のシナゴーグでセデルに参加したことを言ったので(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130403)、余計に嬉しかったのだろう。また、ユダヤ教ユダヤ民族史については、申し訳ないが、マレーシアのクリスチャンの友人よりは、私の方が、日本で所属している学会のこともあって詳しかったのだ。
もちろん、ありがたく頂戴したが、横で友人が「あ、あの種なしパンか、まずいんだよね」とつぶやいたのが、私にはカンに障った。(それは、文化の違いというものであって、しかも、ユダヤ教徒にとっては大切な過越の記念の食事なのよ!自分がいくら、おいしい中華料理の担い手であるからといって、また、メシアニック・ジューのシナゴーグの方に親しみが持てるからといって、目の前でそんな言い方はないでしょう?)と。つまるところ、ユダヤ人の苦難は、キリストを救い主として受け入れていないからだという、一部のキリスト教徒の言い分を前面に出しているのだ。
私は、違います!
このおじさんとは、その後、二度ほどメール交換をしたが、「今度アメリカに来る時には、是非うちにも寄ってくださいね」とか「杉原千畝の話、すぐに本を入手して読んでみるよ」など、実に温かく、開けっぴろげの方だった。アメリカだからということもあろうが、今でも懐かしい。この頃は、どうしていらっしゃるだろうか?
ユダヤ人といっても、もちろんいろいろなタイプがあるが、私にとっては、個性豊かで温かくて、知的で前向きで、不撓不屈の精神で一生懸命に頑張っていて、表向きは成功して裕福そうでも、内面では時々泣いていて(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20070725)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20070929)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140204)、本当に「かわいい」と表現したくなるような、人間っぽさが溢れる魅力的な人々だ。(あの気難しい学究肌のパイプス先生でさえ、私には「かわいいおじさま学者パイピシュ先生」になってしまうのだから(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120505)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120508)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120528)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120607)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120616)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120627)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120804)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120812)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120924)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20121101)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20121128)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20121129)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20121230)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130405)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130516)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130718)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140508)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140731)。)日本人で得をしたと思うのも、これまで出会ったことのあるユダヤ系の人々が、概して、日本や日本人に最初から好意的な態度を示すことが多かったからでもある(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080409)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140626)。
反ユダヤ主義のニュースを聞く度に、とても信じられない思いがするのも、私にはこのような経験があるからなのだ。