ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

瞬時に同じテンションで

インターネットは、どなたかがおっしゃっていたように、「誰にでも瞬時に同じテンションで画面が出てくる」ので、その点を踏まえなければ、当然のことながら問題が出てくるだろう。
ブログを書くように勧めてくれたのは主人だったが(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20091217)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20151111)、何度か言われて、数年ぐらい経ってから、やっと重い腰を上げて、その気になった。
勉強ノートと生活記録のようなつもりだったが、自分の考えを整理したり、気持ちの変遷や記憶の振り返りにもなり、取るに足らない小さな暮らしであっても、自分の中で、少しはまとまりがつきかけたように思う。それを公表する意味は、やはり黙ったままでは、良くも悪くも伝わらないからだ。
精神的に苛酷だった家庭環境の中で、常に私を体を張ってかばってくれた父も生前に読んでくれ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080111)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150103)、「論文書きに専念すべきであって、ブログなどに時間を割くべきではありません」「私的なことをインターネットで書くことは危険です」などとメールで忠告が来たこともあったが、同時に「どういう気持ちでマレーシアに行ったか、ようやくわかった」などと電話がかかってきたこともある。
いろいろなことがあったが、現時点では、思い切ってよかったと、自分では思っている。
賛否両論あって当然だが、結局のところは、書いている本人にしか、書いた文章の意図や意味はわからないし、読んで感想を持つ人も、それぞれの状況や理由あってのことなのだろう。ここに書いている内容は全部、私自身の自発であって、ましてや、主人からこれを書いてほしいなどと指示されたことは一度もないし、書いたからと言って、それが意図通りに承認されるかどうかは、最初からあまり期待もしていない。ブログなど何の証拠にもならないし、自我の絶対的正しさを主張しているわけではない。日によって感情や体調も異なるし、忘れていた過去だってある。思い違いもあるだろう。あくまでも、その日に入力した時点で自分の意見や見解を述べているのみであって、それが人目に触れれば、内容や文章如何で不快に思う人だって当然いることだろう。それは、覚悟の上だ。
12年前に「書かなければ、こちらにはわからないでしょう?」と、ある教授から言われた。別の先生からも、「どうして書かないんですか?書けるのに」と、不思議がられた。
一番の理由は、自分の力量がないことに加えて、誤解を極度に恐れていたからでもある。そして、納得のいくまとまった文献資料が見つからなかったからでもある。何度も何度も、(マレーシアのリサーチなど、もう止めよう、もう止めたい。時間とエネルギーの浪費だ。どうして手がけてしまったのだろう)と思ったが、「貴重なテーマだから続けなさい」「わかる人にはわかりますよ」「もっとご自分を大切にしなさい」などと、ご年配の教授やお世話になった方々から折に触れて励まされてきたこともあって(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20070918)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20100423)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110519)、何とか続けてはきた。
主人が「相手にならん人のことを気にしているから、何事も進まないんだ」と、時々厳しく言うことがある。「反応した時点で、同レベルだ」とも。
リサーチに関しては、いつも繰り返しているが、1990年4月から三年間、全員ムスリムのマレー人学生のべ300名に教えてきたことがきっかけだった。マレーシア最古で英語を使用する大学だったのに、私が赴任した90年頃には、言語政策によってマレー語使用が政府主導で強力に推し進められようとしていた。当然、レベル低下と書籍不足が懸念されていて、マレーシア国内でも、センシティブだと規制をかけられながらも、言語問題に関する議論が盛んだった。国語としてのアイデンティティ問題と、1980年代から本格化したイスラーム復興期、じわじわと押してくるような圧迫感と、途上国が中進国に向かおうとするエネルギーとで、熱帯のべっとりした湿気の中、頭が朦朧としたことを覚えている。
その中で、業務上、必要に駆られてイスラームムスリム事情を理解するよう努めつつも、英国支配を非難するばかりでは駄目だ、と思ったのである。なぜかと言えば、マレーシアの国立図書館で古い資料を見ていると、1970年代までは、実にきれいに整った読める資料が多かったからである。翻って日本はと言えば、日本軍政期はもちろんのこと、経済問題や民族事情や移民問題などについては、古い文献でもかなり具体的に関心を寄せていることがわかったが、全般として、やはり英語文献には質量共に叶わないと痛感させられたのだった。
そして、現地の人とてさまざまで、英語で教育を受けた人達は、華人でもインド系でもマレー人でも、ボルネオ島先住民族の人でも、私との会話の中で「自分はラッキーだった」「あの頃の学校の先生達は、厳しかったが、よかった」などとよく言っていた。反植民地主義と言うが、人によって、地域によって、時代によって、世代によって、集団や共同体によって、それぞれの濃淡がある。また、必ずしも英国人が押しつけたのではなく、現地の人々が選択した結果でもあった。
「なぜ、キリスト教に関心を持って調べているはずなのに、イスラームを?」と最近も面識のない方から問われたが、上記のような事情で、私にとってはごく自然ないしは必然だったのである。
ブログを始める前は、年に一度か二度の二、三十分の研究発表程度で、初対面の人々に理解してもらおうなどとは、到底無理だと思った。また、現地語がわからなくては仕事にも生活にも問題が生じたマレーシアで、マレー語を肌感覚で身につけざるを得なかった上、イスラームに関して知識を持たなければ、マレー人学生との間にトラブルが発生する可能性があり、その事態を極力避けようと思っていたのである。
そういう経験を持つからこそ、論文をまとめるに当たって、どの方に指導を受け、どのように表現し、どのような資料を求めていくかで悩みが深まるのであり、家庭の事情や主人の健康問題もあって、ここまで延々と続いてしまった。
2012年3月から、依頼されてパイプス訳文を始めた(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120330)。彼も講演旅行などで国内外を動き回っているし、自分の公式サイト上で盛んに見解を公表して理解を求めつつ、影響力を及ぼして社会動員しようと同時進行していくので、ついていくのは非常に大変だ。彼個人に対する嫌悪や手法の問題があることはもちろんのこと、根深い偏見もしつこい誤解もある。無視されるよりはましだと開き直って、注目を浴びようとして挑発的なことを発言する戦術テクニックもあって、なかなか厄介ではある。当然、論議を招く論客だと今でも評されているのは、その通りだろう(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20131120)。
問題は、何故、彼がそのような言論活動を展開しているか、である。あれほど大量に書きまくり、メディア出演し、評価は大きく賛否に分かれる。でも、実は決して彼は孤立しているのではないし、支持者が皆無なのではないことは、一昨年と昨年の面会でわかっている。昨日書いたマレーシア華人のように、黙って遠くから好意的に見ている人もいるだろう(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20121225)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160411)。ムスリムや元ムスリムの中にも、幾つかの見解相違を踏まえつつも、彼の言論に同意している人達が確かにいた。彼が叩いているはずのリベラル派で、しかも南メソディスト大学パーキンス神学部のロバート・ハント先生だって、ご本人の与り知らぬところで、実は擁護していた(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120126)。
多分、現在進行中では理解は難しいと私は思っている。恐らく、彼自身が明かすことのない深い内面の葛藤もあるだろうし、そこは線引きをすべきである。ご自身からおっしゃらない限り、私も尋ねることはないだろう。
但し、日本語に直す作業を続けていきながら並行して関連書籍を一冊ずつ読む度毎に、(だからあの時、そう言っていたんだ)(このことがあるから、あそこでこう書いていたんだ)と後でわかることもしばしばある。短い感想や質問などをメールでその都度送り、彼の反応を見て、自分の見解や表現を見直したり、再確認したりすることは、よくある。
「日本人には、それほど中東について深い理解を期待しているわけではない」と最初から繰り返しおっしゃり(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120321)、「日本の主流に登場したいけれど、あまり希望は持っていない」と、つい数日前も書いてこられた。訳文作業についても「決して負担になることがあってはならない」と念押しされ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20121225)、依頼されたコラムも定期的にあるが、同時に「何をいつ訳していくかは、自分で決めなさい」(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20131213)「人が決めるのではなく、訳者のやり方を尊重すべきである」とも言われている。
長い西洋と中東の交錯した複雑な歴史を思い、非西洋人として、私も理解をそれほど期待されていないことには同意する。それぐらいの心得で、自ら学ぶ機会だと捉えつつ、もし何らかの思考刺激のお役に立つならばと、拙い作業をコツコツと続けている。
もう一点、「翻訳は原著者とのコラボレーションだから、気をつけて」と事前に忠告してくださった方がいた(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120804)。在京イスラエル人の先生である。しばらく前にお会いした時には(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160212)、「あの人は日本を助けたいと思っているのよ」とも言われた。解釈は種々多様だろうと思うが、そこは私など素人だから、最初から捨て身である。一ヶ月半以上も悩んだ末、主人とも相談した上で始めたことであり(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120321)、今でも毎日のように家で自由に話をしているが、「それは駄目だ」などと言われることは全くない。時間制約から日頃テレビを見ない私とは違い、出勤前にテレビ・ニュースを見ている主人なので、「そう言えば、テレビでこんなこと言ってたよ」などと、関連情報を教えてくれることもある。
インターネットの表裏の特徴をわきまえつつも、自分は自分のできる範囲で、責任を果たすのみである。