サプライズ人事
昨日辺りから、少し秋風の気配を感じるようになった。そろそろ、夏も終わりである。
"Venona"をほぼ読了(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150815)。邦訳も出ているが、よろず世間の動きに疎い私のこと、もともと知るのが遅れたので、今では英語で読んでも大差はない。
日本でも早くから本書の内容に関心の高かった人々が、この本に書かれている開示はごく一部であり、もっと膨大なスパイ情報が存在しているであろうことを指摘している。読むには興味深いが、背筋が寒くなるような、実に恐ろしい事態だ。
特に、移民国家アメリカという国の開放性と楽観主義と同時に、脇の甘さを痛感させられるところである。当時、周囲の要人は誰も気づかなかったのだろうか。ニューヨークという都市の魔欲を改めて感じる。
あのイスラエルでもそのようなケースがあったということは、既にこのブログでも指摘した(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150809)。日本なら、もっと大甘であろう。
それにしても、"Venona"ではユダヤ系の名前が目立つ。これを指摘すると、反ユダヤ主義というレッテルを貼られることになるのだろうか。
ところで、イスラエル政治の人事に「サプライズ」が起こりそうだ。知る人ぞ知る、なのだが、この5月に私もクネセト(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150511)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150810)で面会した政治家がアメリカ駐在になりそうなのだ。といっても、駐米大使ではない。
私の見るところ、アメリカで教育を受けたユダヤ系イスラエル人の場合、留学中にアメリカのユダヤ系リーダー層と昵懇になり、政治的な指導を受け、人脈を築いていく。その後、イスラエルに戻って着実に歩を進め、アメリカとの絆を強める地位を得て、政策を実現させていくようである。
この方法でいくと、相互の情報交換の範囲がどこで線引きされるのかが不明となる。例えば自宅で会った場合、紙切れ一つで重要な事項を伝えることが何ら問題なく可能になるが、それはスパイ行為とは言えない。留学中に図書館や研究所などで各種情報を獲得しても、それは不法行為とは見なされない。
いくら国際社会の批判とやらがあっても、最終的にはこちらが勝つ仕組みになっている。なぜならば、その道は人間の本性に素直というのか、経済も国防も活性化し、国が安定して繁栄する道だからである。これは右派の場合だが、ちょうど1980年代頃の日本のようでもある。今の日本からすると、何ともうらやましい限りだ。
それにしても、私のような一般人が、何という僥倖に恵まれたのだろうか。繰り返すようだが、ちょっと信じられない。身分が違い過ぎるというのか、場違いというのか、これまで私は一体全体、何をしてきたのだろうか、という不協和音が聞こえるような気がする。そのニュースそのものは、パイプス先生から直接いただいたものなのだ。つまり、この私でさえ、今でもまだ、しっかりとパイプス仲間に加えられているのである。それも、この4月下旬から5月上旬にかけて、イスラエルの旅に同行したからこその特権ではある(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150511)。
だからこそ、アメリカ情勢に関する本は、邦訳があっても、可能な限り英語の原書で読んでおかないと、感覚やニュアンスが身につかないのではないか、と考えている。
パイプス訳文も約三ヶ月ほど休むことになりそうだが、この期間に、パソコンの故障に加え、暴露本を読んでしまったことで(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150805)、2012年3月からの自分の小さな努力(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120330)が瓦解したような感触が生まれた。最初から、一筋縄ではいかず、評価が大きく二分される、何とも複雑な人だという印象だった。あの行動範囲と仕事量は半端ではなく、理解しようとするだけでも必死だったが、これを機に、ふと視野を広げてみると、同じ保守路線であっても、もっと丁寧な仕事ぶりで、世間からも反発を生むことなく受容されている指導的立場の存在を知ることになった。
だからと言って、切ってしまうには惜しい情報量や分析や人脈や機会を兼ね備えているのが、パイプス氏という人なのだ。何とも悩ましいところだが、この矛盾や葛藤があればこそ、お互いに活発なエネルギーが生まれる土壌となるのだろうか。