ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

夏の読書に

終戦敗戦の日に黙祷。
夏の読書に、以下の本を入手。

(https://twitter.com/ituna4011)


・"The Third Choice: Islam, Dhimmitude and Freedom" Mark Durie, Bat Ye'or (http://www.amazon.co.jp/dp/0980722306/ref=cm_sw_r_tw_dp_eBRZvb0S0BTTA …)が2015年8月12日に届いた。



・『ひと目でわかる「GHQの日本人洗脳計画」の真実』水間 政憲 (http://www.amazon.co.jp/dp/4569826636/ref=cm_sw_r_tw_dp_3FRZvb0GQDC8T … )が8月13日に届いた。これらの写真の見方に留意。どの写真が選ばれ、どの写真が避けられているかを見抜くこと。例えば、マラヤの華人虐殺については触れられていない。



・『GHQ作成の情報操作書「真相箱」の呪縛を解く―戦後日本人の歴史観はこうして歪められた』(小学館文庫) 櫻井 よしこ (http://www.amazon.co.jp/dp/4094028862/ref=cm_sw_r_tw_dp_eERZvb145JSEM …)が8月14日に届いた。「真相箱」は昭和生まれの私でも以前から知っている。問題は、単純な反米思想に結びつけないこと。



・『閉された言語空間―占領軍の検閲と戦後日本』(文春文庫) 江藤 淳 (http://www.amazon.co.jp/dp/4167366088/ref=cm_sw_r_tw_dp_JHRZvb02T7QV1 …)が8月14日に届いた。江藤淳といえば、私の学生時代には保守というよりは右翼だと言われていた。文芸評論家としては尊敬していたが、初めて本書を読むことになる。



・“Venona: Decoding Soviet Espionage in America (Yale Nota Bene) ” John Earl Haynes... ( http://www.amazon.co.jp/dp/0300084625/ref=cm_sw_r_tw_dp_yPRZvb0VHC8FG …)が8月14日に届いた。日本に関する記述も幾つか含まれている。

(転載終)

この最後の『ヴェノナ』は恐ろしいが、読むには興味深い。ニューヨークなどで暗躍していた旧ソビエトのスパイとアメリ共産党の繋がりが詳細に語られている。アメリカの原爆計画がスターリンに漏れていたことは今では周知の話だが、そのことと、「日本は戦争を強いられた」かどうかの関連については、慎重に調査され、語られなければならないと思う。
昨夕は、普段はめったに見ないテレビで、安倍総理の戦後70周年の談話を見た。注意深く、過去を踏まえつつも前向き志向であり、バランスのとれた内容で、これでよかったのではないかと思われる。
お詫び云々については、特に韓国や中国からの執拗な批判の影響を受けて、日本も言葉を入れるかどうかということが注視されていたのだが、もういい加減にしてほしい、というのが正直なところ。私の学生時代には、韓国や中国の国費留学生は、そんなはしたないことは声を上げて言わなかった。私達(の大半)も「あの戦争で、日本は悪くなかった」とも言わなかった。当時はアジアがまだ貧しく、一足先に先進国の仲間入りをした日本が、戦時中の「お詫び」も兼ねて、かなり経済援助と技術移転をして、アジア諸国の発展に尽力してきたのだった。
例えば、シンガポールやマレーシアの華人は、私が1990年代前半に計4年間、マレーシアで仕事や勉強をしていた頃、「まだ日本は心からの謝罪をしていない。謝罪したならば、こちらも日本を許し、忘れる」とよく言ったものである。でも、今から振り返ると、インターネットもなかった時代で、その人達が中下層に属していたため、海外を広く見聞する機会も限られていて、祖父母や近所のおじさん達や学校で聞いた話を、そのまま鵜呑みにしていた側面もあったのではないか。それに、2000年以降、かなり裕福になった現地の人達は、自信と余裕が出てきたのか、あまりそのようなことを言わなくなった。また、「戦時中、日本兵は残虐で怖かった。今の日本人はいいけど」という話は、華人のみならず、インド系からも頻繁に聞かされたが、だからと言って、私に冷たくしたり、意地悪したりもしなかったのである。
最近の「日本は戦時中、アジアで善政をした」「GHQが戦後の日本を歪めたのだ」と言わんばかりの言説は、極めて危険である。それは、日本の戦後復興を助けてくださった、アメリカを含む多くの国々の尽力を無為にすることになる。また、気を遣いながら、暑い中を苦労して現地理解に努めた、私の世代の東南アジア研究者などに対しても、大変に失礼である。
マラヤとシンガポールの場合、日本軍の占領期に、為政者すなわち上部の担当者が誰だったかによって、現地の対日感情や治安状況は変わったのである。そのことは、はっきりしている。また、華人虐殺の記憶は、マレー人にも伝わっている。日本大使館主催のスピーチ・コンテストなどで、必ず一人二人は、そのような話をしていたことが、雄弁な証拠となる。そして、その時でさえ、我々日本側の誰も「いえ、日本はマラヤに良いことをしました」とは公言しなかったのである。
私など長年、英領マラヤに関して、1800年代からの英語文献を見てきたからわかるのであるが、日本は、あの戦争に突入しても、現地理解は英国に比して遙かに劣っていたのである。それに、一時的には確かに「日本軍よ、ありがとう」という現地の人々が存在したことはあるが、その人達の背景と意図、発言の文脈をよく見極めることが必要である。また、その時期には感謝であったとしても、その後、対日感情が悪化したことも多々ある。
本当に日本がアジアの解放に尽力したのか。それは、地域によって異なる。インドネシア人の中には、そのように言う人もいるが、マレーシア人の中には、私の知る限り、ほとんどいない。英国の統治がオランダよりも勝っていたからであり、日本の統治政策がインドネシアとマレーシアでは異なっていたからでもある。
それに、日本のおかげだというのならば、もっと現地で日本文化が浸透しても良さそうなものだが、英語文化の方が圧倒的に優勢なのは、当時も今も同じである。
同じことは、日本側の対米感情についてもいえる。「原爆を投下したから、日本は終戦が早まり、これ以上の被害を食い止めたのだ」というアメリカ側の見解もあるが、同じアメリカでも、原爆投下に反対する声もあったことはよく知られている(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/20150812)。反対者がいたからといって、原爆投下が今更反故にされるわけでもなく、正義の戦争論が常に貫通できるというものでもない。
GHQの対日工作については、今更のように上記の本が紹介しているようだが、あれは、今なら90代ぐらいの大学教授などが、20代の頃の私に「アメリカの宣伝」として話してくださった内容である。図書館でも、探せば、その種の本は見つかった。知ろうと思えば、知ることのできた内容である。
国力が低下した今の日本を憂え、中国の脅威の高まりに対して襟を正すべく、日本の誇りを取り戻したいという希求はよく理解できるものの、だからといって、こちらがまるで何も知らなかったかのように、上記のような本を最近になって出版するのはいかがなものか、と懸念する次第である。
要するに、GHQの統治のために得をした人もいれば、損をした人もいたというのが、実情ではなかったか。アメリカは憲法を日本に与えたが、それに対して「押しつけられた」と反発する気力もなく、日々の暮らしで必死だった日本人も多々いたのである。また、「これからは新しい時代をつくっていくのだ」と喜んで受け取った人々も多かったはずである。もし「押しつけられた」憲法が不満ならば、憲法改正のチャンスはこれまでにもあったはずなのに、踏み切らなかったのも我々なのである。
私は乱読傾向にあるのかもしれないが、少なくとも英語と日本語の両方で読書することによって、視点の違いに触れることが可能である。日本語だけで読むと、自分に都合の良い解釈に靡いてしまいがちである。
一つだけ確実に言えそうなのは、どの戦争にも両側面があり、どちらかが一方的に全面的に正しかったとは、必ずしも簡単に言い切れないということだ。しかし、勝敗は必ずつく。正しいと主張できるのは勝者の側であって、戦争に負けた側が敗者としての扱いを受けることは、当座はやむを得ないのである。東京裁判についても、無視された資料が存在することは承知の上だが(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150811)、当時、もし日本が反発していたとしたら、その後、国際社会に受け入れられたかどうか、その駆け引きも考慮してから是非を論争すべきではないだろうか。それ故に、あの戦争が間違っており、誤っていたとは、このような負の遺産を後生に残したという意味で、誰も否定できないであろう。
少なくとも、世界情勢を見誤っていたこと、アメリカの国力を見損ねていたこと、いかに正当な理由があったと主張したいにせよ、当時、無謀な戦争に突入して、多大な犠牲者を出したこと、そのことだけは確実に言える。
鍵は、深く過去から学び、今後の歩みに生かすことである。

2015年8月18日追記:

上記の江藤淳『閉された言語空間:占領軍の検閲と戦後日本』文春文庫(1994年/2015年5月25日 第12刷)を読了。アメリカで9ヶ月間、文書調査をした結果を綴ったものである。
資料としては、もっと膨大な量が存在しているようだが、本書に関して、以下のような感想を持った。

(1) 敗戦国の日本側としては、このような主張や言い分はよくわかるが、戦争に負けて自国を数年間、占領されるということは、どの時代のどの国に於いても、勝者の意志に沿った政策が実践されるという覚悟を持たなければならないのではないか。
(2) 占領期の言論統治や検閲制度については、本書を読まずとも、学生時代から知っていた。卒論のために国語政策について調べていた頃、占領軍の影響で、漢字制限や日本語廃止論や複雑な敬語の簡略化などという案があったことを知った。但し、常に日本人は占領軍の言いなりになっていたわけではない。どう見てもおかしな提案は、日本側が反論して却下に至った事例もあったことを覚えている。
(3) 当時、日本も米国も相互理解に限界があったことは、現在の知見から見ても明らかであろう。当時の資料は、現在の知見からではなく、当時の状況や文脈に置いて検討すべきではないだろうか。
(4) 資料提示はよいが、情緒的な形容が目立つように思われる。
(5) p.148の記述に重要な誤りがある。
「八月九日午後0時一分、米戦略空軍のB29グレイト・アーティスト号は、長崎に第二の原子爆弾を投下した。」
←「午前十一時二分」の間違いではないか?