ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

当たり前のことを当たり前に

久しぶりに池内恵氏から部分引用を(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%C3%D3%C6%E2%B7%C3&of=50)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%C3%D3%C6%E2%B7%C3)。相変わらず、パンチの効いた切れ味が鋭くて、暑い夏にはもってこい?

https://www.facebook.com/satoshi.ikeuchi?fref=nf


2015年6月5日


・「反知性主義」特集だが、「反知性主義」を声高に論難しつつ自分自身が「反知性主義」に陥っている人たちがいっぱいいる。そのことを静かに指摘している論者もいる。
・「反知性主義本」がプチブームだがそういう本だと、特定のお仲間が傷を舐めあって世の中を下に見ているだけだから、そんな本を読んで強くなった気になること自体が反知性主義
・今の「反知性主義」批判には、文系学部でのうのうと過ごしてしまったシルバー思想家とそれにくっついてきた人たちのルサンチマンが濃厚。かつての「大学には教養部があり、フランス語とかドイツ語の先生が大量に必要だ」「そういう先生は大学で文学部を出ている場合が多く、海外の思想書とか小説を読んでいる(ことがある)」「そういう学部の大学院に行く...「反知性主義」を読むならこの二冊


森本あんり反知性主義: アメリカが生んだ「熱病」の正体』(新潮選書) 。
アメリカの反知性主義とはそれ自体がある種の知性的立場でもあり、近代的の(特にアメリカ的な)な専門家支配とか世俗主義などを疑う、社会の底流から湧き上がる思想でもある。


反知性主義とその批判という思想問題は、「俺はかしこい、あいつらバカ」と言い合っている次元の話じゃないんだよ。しつこいけど、何度も言わないとわからん人がいるので。


リチャード・ホーフスタッターアメリカの反知性主義』(みすず書房

(部分引用転載終)

https://www.facebook.com/satoshi.ikeuchi?fref=nf


・「存在が意識を規定している」のでそういう人への啓蒙は無理だ。制度的なものですし政治経済的な条件があるから考えが変わらないし変える動機がない。次善の策というか最善の策として、そういう人たちに変な影響を受けないように次世代に向けて発信します。

(日付不明・部分引用転載終)

http://ikeuchisatoshi.com/


2015年7月7日


・夏になるたびに私が一人で帰省していた母方の祖父の家では、『広辞苑』の各版を、「大変な苦労をして作ったものだから、時代の変化が後々になってから分かるから」と予約注文して買い支えて、大事に並べていました。他社の『大辞林』が出た時も、当然の義務のように買い支えていました。ところが出版社の経営上の一時しのぎのために、さほど改定もしていないのに「新版」を乱発して中身が薄くなっていき信頼を失っていった。そのことを「祖父のような人たちに対する配信だ」と怒っていた父を思い出します。幼い頃のそんなやりとりは、不意に蘇ってきます。
少子化・高齢化・デフレ・組織の高コスト体質で出版業界がヘタって粗製乱造本をばら撒きながら不動産収入で社員に給料を出しながら)基本書を絶版にしてコストを浮かし、それによって学芸の基礎が深刻にダメージを受けていくのを感じます。最近特にそのことを感じます。

(部分引用転載終)

https://www.facebook.com/satoshi.ikeuchi?fref=pb&hc_location=profile_browser


2015年8月15日


F: 変わり映えのしない談話だと推測致しております。


Satoshi Ikeuchi:F様 このコメントを書かれた時は、とっくに談話も読み上げられ、インターネット上で全文も発表されていました。それを読まずにここに書き込むのは、私に対する非常に大きな甘えだと考えます。談話の内容は、21世紀懇の報告書を随所に取り入れた、非常にリベラルな、例えばドイツでもイスラエルでも完全に通用するものです。首相が個人の判断で、あるいは強い支持者向けに靖国参拝を行って、国際的に不利な立場に立った時と今との間に、非常に大きな変化があります。それは現役世代の英知を結集し政治判断を行ったからでしょう。また、重要なことは、首相がそれまでの個人的な見解とは大きく異なる談話の文面を公的な発言においては受け入れるようになっており、今回は特にそれが明瞭であったことです。「談話は首相の真意でない」というのは全く批判になりません。首相が、例えば靖国参拝のように、個人の真意で行動すれば、日本国と日本国民にとって不利益が生じます。首相は「真意」など語ってはならないのです。そうではなく、国際社会に受け入れられる、今一番言うべきことを、英知を結集して見出し、自分の口で語ることです。首相は「機関」であり、個人的真意をみだりに出してはいけない。今回の談話は集合知の結果であり、肯定的な効果を生むものと私は考えています。読みもせずに「推測」されて書き込むのであれば、今後の書き込みを拒否します


F: 池内先生、大変失礼致しました。談話を明日の夜と間違えて書き込んでしまった事心よりお詫び申し上げます。もとより先生には今までも失礼にあたる様なコメントを書き込みお詫びの仕様もなく今後は一切この様な事の無いように勤めうかつな書き込みは絶対にせぬ様致しますのでどうかお許し下さいませ。とても恥ずかしいと後悔致しております。


Satoshi Ikeuchi:了解しました。

(部分引用転載終)

この最後のやりとりは、教育的見地からも極めて重要。このFさんという女性は、お写真で拝見する限り、どことなく「ゴメン遊ばせ」風なのだが、しっかりと池内氏は見抜いていらした。恐らく、見抜いたのは今回が初めてのことではないだろうが、時期が時期だけに、そのいい加減さが目立ったので、「書き込み拒否」宣言をされてしまったのではないだろうかと推測する。
しかし、「談話を明日の夜と間違えて」というのには恐れ入った。談話の翌日が全国戦没者追悼式典なのに、何をか況んやだ。