ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

中東の旅の意義

半日の時差ぼけも徐々に解消に向かい、気分も落ち着いてきたか、というところ。荷物片付けの前に、昨日、一気にブログを書いたところ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150511)、珍しくも次々と「like」ボタンが押され、フェイスブック友達の日本人男性陣から、「続きが読みたい」などと、肯定的な反応が寄せられました。
私の場合、主に単独作業でやっている上、受けを狙ったり、人気を求めたりするのではなく、あくまで自分が本当に納得したことしか関与しないようにしているため、このブログでも最初から極力コメントを限定して、時間とエネルギー確保に努めています。従って、表面的には数値が非常に低く抑えられています。しかし、内部アクセス・トラッキングを見ると、表に出ている数字の何倍もあった、ということが、今は閉鎖した英語ブログでも証明されていました。
ブログ内容は、別に私に直接の意思表示をしなくとも、責任と良識さえあれば、友達の友達経由で拡散されていくのでも全く構わないと思っています。
さて、今日は少し一休み。
参加者が必ずしも全員、ユダヤ系というわけではなかったものの、明確な親イスラエル派の保守的な英語圏の35人と共に、主に国防と安全保障とネゲブ砂漠の開発観点からイスラエルを実地観察する旅に加えさせていただいた全体の感想としては、以下にまとめられるかと思います。
1.世界動向の実態の一端に身を浸した10日間だったということ。
2.イスラエルは強い、強過ぎる、と言われるが、「サブラ」という言葉に象徴されるように、外面は強面で構えていても、ひとたび打ち解けると、内面は甘くジューシーであるというユダヤイスラエル人の自己定義を、まさに実感したこと。
3.その強さは、実は脆さとの表裏一体であること。
4.親イスラエル右派の問題点ばかりが批判的に語られてきた過去ではあったが、社会主義労働党政権の見通しの甘さが露呈されるようになった今、方向転換として、いわゆる保守派や宗教派が台頭するようになったこと。これは、世界的に観察される情勢である。
5.イスラエルはきれいな所だと、日本の熱心な親イスラエル派は断言し、左派や長くイスラエルに滞在した経験のある日本人は、古く汚い街だと現実面を述べる。このどちらが的を射ているかについて、今回自分の目で確認できた。上空から見下ろした場合、最近開発された地区は、確かに「きれいな所」で整然としている。超近代的でさえある。しかし、古くから残っている場所は、薄汚れて少し不潔で、雑然としている。テル・アヴィヴやエルサレムの町も、洗車もしていない汚れた車が平気で走っており、家や建物の壁にスプレーの落書きが目立ち、日本に比べればまだまだ、といったところ。
6.特に違和感があったのは、ファーストフードや屋台風のお店にあった男女共同トイレ。大層な料理が運ばれてきたレストランで夕方、皆で食事をしていて、ふと天井を見上げたら、そこはトタン屋根で、なぜか運動靴が片方落ちている影が見えた。何ということだろうか。
7.今の駐日イスラエル大使が「イスラエル人は自信過剰」だと、日本人向けに形容されているが、賢い表現だと改めて思う。確かに、「自分達はここまで頑張っているんだ」「私達はとても成功しているんです」という必死な前向きアピールに夢中で、誰に向かって語っているのか忘れている感じを受けた。逆に言えば、長い伝統は有するものの、国としてはまだ若く、活発に前進することだけに専念しており、客観的に自己を見つめる余裕が充分にないという印象である。
8.主に金銭的にイスラエル援助を続けてきたアメリカなど英語圏の人々にとっては、イスラエルの発展が、まるで我が子の成長と二重写しのようで、温かく心情的に寄り添い、見守っている雰囲気を感じた。
9.国防軍の若い兵士達が昼休みに寛いでいる姿にも接することができたが、階級や配属場所によって、かなり緊張度に差違があるのではないかと思われた。
10.イスラエルのテル・アヴィヴでもチワワが目立ったが、飼い主はあくまでチワワを犬の分際に留めており、チワワはチワワで必死にその現状を受け入れて頑張って歩いていた。それに引き替え日本では、チワワに小さな服を着せたり、リボンで飾ったり、まるで人間の家族の一員であるかのように、大切に甘やかして育てている。どちらが幸せな生き方かは、チワワ自身に尋ねてみなければわからないが、少なくとも、毛並みの良さや安心した表情やかわいらしさに関しては、どう贔屓目に見ても、日本のチワワの方が上に見えた。ちなみに、エルサレムでは、なぜか猫が多かった。

今回の旅団で、オックスフォード大学に在学中の息子さん(部分参加)を持つ、長らくロンドンに住んでいたという女性と知り合った。『ハフィントン・ポスト』などにも投稿して掲載されている方だという。思慮深く、何事も真剣に受け留めて慎重に考える人柄だとお見受けした。
その方がおっしゃったには、「イスラエルは宣伝が下手だ」「アラブ人の方が宣伝上手だ」とのこと。「世界がイスラエルを破壊しようとしている」という強烈な危機意識から瞬時も離れられないような敏感さと感受性を備えていらした。
では、誰が、何が「イスラエルを破壊」するのか。例えば、ハマスパレスチナ国家樹立。イランの核開発。イスラーム主義運動。欧州でのイスラエル・ボイコットや各種のユダヤ襲撃事件。イスラエル国内のアラブ人口増加。アメリカの有名大学での反イスラエル講義や反ユダヤ運動。国連決議、等々である。
私の答えはただ一言。「不可能です」。
思わず、意表を突かれたかのような驚いた表情をされたが、もう一度念押しを。「不可能です」。
だいたい、ユダヤ史を少しでも紐解けば、さまざまな思いを引っ提げてあの地に帰還して、矛盾と葛藤の中を、文字通り、血と涙と汗でぐしゃぐしゃになりながらも、あれほど短期間で国を懸命に造り上げ、立派に一国家として承認されているのに、また「破壊」しようとするなんて、正気の沙汰ではないというのが、常識ではないだろうか。
だから、周辺諸国の敵対意識を充分に踏まえつつも、主に当事者側の内的心理と想像力の発露だと、まずは考えたい。
この解決策の第一歩として、最終目標を「不可能」に設定することだ。そして、どうしたら「不可能」を実現できるか、具体的な対策を考えることだ。
今のアメリカのように、主張はわかるし、心情的には同情するが、あの単純過ぎるメッセージと騒々しい挑発的なやり方では、かえって賛同者からも離反を招いてしまうのではと、いただけない。