ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

鏡を見よ

昨日(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150408)の続き。暇つぶしなのではなくて、長年、私がずっと抱え込んでいた違和感の総体だからだ。このブログのあちらこちらに書いてきたことは、実はこれ。ここを突破したら、論文書きなんて、一気に量産が進むことだろう。

http://whisper-voice.tracisum.com/?eid=90


反日日本人の中核 左翼団塊エリートに支配される日本
〜 マスコミと全共闘世代の暴走 〜 未だ革命思想を持つ大人コドモ」
(2014.1.9)


左翼と新左翼

・もっと革新的で真にリベラルなものを求める本物の左翼とはどうあるべきかという話になり、これからの左翼(=新左翼)は【資本家 対 労働者】なんて構図でなく、もっと本当の意味でリベラルで革新的、具体的にはフェミニズム男女平等、反戦や同性愛賛美、反宗教、人権、世界市民思想といったものを掲げていくことになったわけです。


・彼ら左翼は『資本家はワルモノ、労働者(市民)は正義』が大前提であり、しかもその目的がフェミニズムや平等、反戦や反宗教、同性愛等の推進による旧体制破壊であるわけですから、そういう革新的?社会実現のためなら、その論理性なんてどうだっていいのです。たとえ資本家がフェミニズムを推進して人類家畜化を図っている本尊であろうとも、彼らは資本家を叩きまくって、彼ら左翼の目的でもあるフェミニズム家族解体、総平等化)を推進するわけです。


・映画『いちご白書』(1970)はアメリカ人作家ジェームズ・クネン(James Simon Kunen)によるノンフィクションを映画化したもの。著者が19歳の時に書かれ、コロンビア大学での1966年から1968年までの体験、特に1968年の抗議行動および学生抗議者による学部長事務所の占拠についての年代記が中心。当時の有名人や国民の多くが学生たちを支援し、運動家を応援する慰安婦が実在していたこともわかります。


松任谷由実(当時は荒井由実)がこの映画を当時の彼と見た思い出を曲にして、バンバン に提供した『「いちご白書」をもう一度』(1975)はミリオンヒットとなり、チャート1位も記録。映画公開は1970年で、東大安田講堂事件(1969)の後だが、早稲田や法政などをはじめ、まだまだ各地で学生運動紛争中であり、この映画は当時の学生たちにも大きな影響を与えた。

(部分引用終)
この「いちご白書」だが、確か中学の音楽の教科書にも載っていて、音楽の授業の時、皆で歌わされた。一方、うちの父など、当時、テレビで「いちご白書」などのフォークソング歌手を見て「おい、あれ男か女かわからんなぁ」と怒鳴っていた。それが正統な「日本のお父さん」だったはずなのだが...。

http://whisper-voice.tracisum.com/?eid=224


・家族・子供がいるような方は、まずは自分の家族・子供のため尽くさないと身を滅ぼします


左翼イデオロギーに陥って個人の自由を信じてたあまり、気づいたら家族も子供もおらず一人ぼっち、この歳で今さら結婚もできない・・・持っていた価値観の過ちにこんな風に気づいた方は、最初から保守志向の人より、もっと深く厚みのある、実体験に基づいた主張ができるはずです。同じように、フェミ洗脳の呪縛から解き放たれて転向した女性なら、きっと最初から保守的な女性より、もっと説得力あるアピールができるはず


・一般人は、まずは身近なものを大切に生きましょう。彼ら聖者の人生にも、周りの不幸があったことを前提に考えるべきです。


・犠牲なき信仰は成立しませんが、まずは家族を大切に、その中で自己犠牲精神でもって、庶民は身近な現実の中で生きましょう

(部分引用終)
昨日の主人の同期のご家庭だが、Tちゃんも含めて、本当に賢い人生選択をされたと感じる。
私がここに住み始めた当初、結婚披露宴でスピーチをしていただいたし、ご近所だということもあって、暮らしに溶け込みやすいようにとの配慮で、奥様のIさんとご一緒に、毎日の買い物ならどこそこが便利だとか、子ども達と町内の川辺へ蛍を見に行ったとか、おにぎりを持って塾に通わせているなど、こまごまと教えてくださった。今振り返ると、そういう表に出ない日常生活の体験こそが大切で本物なのに、私ときたら、学術学会の会報にまで子育ての恨み辛み(三歳児「神話」の呪縛?)を平気で書くような、反女性的で非常識で配慮不足の研究者先輩方に影に日向に圧力を掛けられて、混乱状態。
「え〜、塾?」とびっくり仰天していたら、「阪神間では当たり前。うちは遅いぐらい」と言われて、圧倒されていた。主人も私も塾なしでここまで来たので、「関西って怖いですね」と言うと、笑われた。今から考えれば、当時は「ゆとり教育」で知育の歪んだ授業が流行っていたので、そのままではいけない、補充をしておかなければ、という親心からだったのだろう。
主人が「こういう自然の豊かな土地に住居を買って喜んでいたんだから、子育てのこともちゃんと考えていたんだよ」と最初から言っていたのに、私ときたら、「○○さんとこは、芦屋にご実家があって、東京の超有名な私立大学の出身だから、裕福で洗練されているのに、私なんて田舎者...」と無闇に卑下した気持ちになっていた。
でも、落ち着いて考えてみれば、学歴上の資格は主人と同じだし、同期ならば、給与だって数桁も異なるはずがないし、普段は似たような場所で買い物をして暮らしているのだから、それほど卑屈になることもなかったのに、どういうわけか私は、勝手に引き下がっていたのだった。

http://whisper-voice.tracisum.com/?eid=152


・一部のプロテスタント系のキリスト教会に、とんでもない左翼 フェミニズム団体があることを知ってしまいました。前々から噂は聞いてましたが、イエスの教えとかもよく知る自分からすると、「どうすりゃキリスト教フェミニズムにつながったりするんだ?」、って感じで疑問に思ってました。しかし、奴らのいびつな思考回路を実際に目にしたことで、当初考えていた内容と全然違う原稿を、今回書くこととなってしまいました。


・日本のプロテスタント系の最大派閥 日本キリスト教団に所属する、とある教会で、上記のイエスや聖書の言葉について解説がありましたが、大体まとめると、下のような感じ。


この聖書の教えは2000年も前なので、今のように男女平等や女性が働くことが全く意識されてなかった時代の話。イエスは当時の形式ばった律法主義者への反発から、もともと教えを説きはじめたわけで、この文面をそのまま受け入れることは、形式ばった当時の律法主義者に反発したイエスの精神にも反することになります。聖書だって当然、今の時代に合った解釈がなされなければなりません。「妻は夫に仕え、従いなさい」、なんて言葉、今の女性が納得するはずありません。聖書で本来、「夫も妻も共に相手に仕え、相手と愛し合いなさい」という風に言っておくべきだったのであり、現代ではそう解釈すべきです・・・


おおよそ、こんな風な感じのことが書かれている。


何だよこれ! こういうの読んで、腐れフェミニストたちが如何に虫がよく、勝手な都合ばかりで考える、狂ったエゴ集団であるか、改めてよくわかった。こんな奴らと議論しても始まらない。正に末期的な真性キチガイ集団。最近はプロテスタントだけでなく、カトリックにまでこの手の左翼工作員が紛れ込んでるようでカトリックの変質・劣化も著しいようだ。


・イエスの言葉を無視して、何がキリスト教だよ!いくら時代が変わろうとも、普遍の真理として大切なものを見失わないためにこそ、各宗教には教義というものが存在するんだろが


日本キリスト教団には、朝日新聞論説委員だったフェミニスト 松井やよりの父が設立した渋谷山手教会をはじめ、左翼勢力に汚染された教会が多いという。


・1990年代から施行された男女雇用機会均等法(大企業で女子一般職が概ね廃止される)、この害悪に触れない連中は、自分からすれば全部エセ保守です。自分が保守だと言う人、日本の雇用を破壊して離婚を激増させた、これの害悪に気づいてますか? 男女共同参画法はこの一角にすぎません。


・家族の絆の大切さを説かずに、国旗・国歌・国家元首天皇)崇拝・国を愛せ!・・・って、ソ連北朝鮮のような共産主義国家そのままじゃないですか


・今の30代末から40歳代ぐらいまでには、わが子を失うなど、恐らく最も家族崩壊を身を持って体験した方が多いと思います。いわゆる新人類世代。痛い目に遭うまで、男女平等だの、自由なセックスだの、「時代が変わってきてるんだから当然だ!」・・・そう思ってやられて、人生メチャクチャになってしまった方、たくさんいるでしょう?


・自分の周りの友達や親類、かなりヒドイものです。同年代のイトコとかだって、離婚してたり、結婚すらしてなかったり、そんなのばっかり。この世代の離婚率、ヘタすりゃ5割を超えてるのではないですか?


・この新人類世代は、バブルで景気いい時代を若い頃に経験して楽しんでます。しかし、その後の家族崩壊で最もダメージを受け、その激変を身を持って体験している世代なんです。正に天国と地獄。


・新人類世代は、家族の絆の大切さ、身をもって体験した家族崩壊の悪影響を、戦争体験者と同じように、生き証人として、周りの人に訴え続けなければなりません。このことをうまく伝えられるのは、この世代しかいないんです。たまたま今の自分が家族関係でうまくいっていたとしても、人ごとのように放っとけば、子供たちが悲劇に巻き込まれていくのは間違いありませんよ

(部分引用終)
...なんですよ。
男女雇用機会均等法」のネガティブ面については、上記の基準に従うと、私は「真正保守」ということになる。過去ブログでご確認を(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20101026)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120301)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140815)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150408)。周囲の雰囲気では、「保守派」は「知的にレベルが一段下で視野が狭い」ような扱いを暗黙のうちにされていたという印象がある。つまり「知識人(大学人・ジャーナリスト)」=「リベラル左派」という図式があったのだ。
果たしてそうか?
上記の「現代風」の聖書解釈には、実は聖書学の論文で馴染みがある。だから、今、作業中だという日本聖書協会の新しい聖書翻訳には、全く期待していないし、購入する予定もない。だって、訳者リストを見たら、知り合いの名前が複数あって(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140524)、それが皆ほとんど、いわゆるフェミニスト系だったり、学生紛争時代に東大生で、何やらわけのわからないことを書いている人を先生にドイツと日本を何度か出入りして、やっと博士号を取得した人だったりするのだ。また、名前は出せないが、何年も毎日のようにブログを綴り、いかに自分が進歩的で自立していて、西洋化していない日本に見切りをつけて「国際結婚」で「海外移住」をし、仕事(大学の専任)も家庭(時々ご主人のご実家を訪問して昼寝)も料理(メニュー付)も子育て(You Tubeで娘さんのピアノ演奏を披露)もうまくやっているか、息子さんがいかに優秀で「できる子」か、という自慢めいた記録を書いていた人も(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20121128)、この聖書翻訳グループに含まれている。どういうわけか、ピタリと今ではブログを止めているようだが、私に言わせれば、「日本語なんか専攻しても、将来はないよ」みたいなことを言いながら、イスラエルの日本語学科で中途半端に非専門分野を教えているような失礼な話よりも、今こそ、聖書翻訳の苦労話など書き綴って欲しいところだ。
話を元に戻すと、私の従兄弟も健康でお金もないはずがないのに、二人が未婚で本当にびっくりした。祖母が生きていたら、タダじゃ済まない話だ。だからといって、「結婚して子どもがいる」と言いつつ、お祝い品を贈っても子どもが睨み付けてキックまでしてくるのもいて、甚だ迷惑だった(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150114)。第一、きちんとした挨拶がなく、どこの馬の骨とくっついて子どもが産まれたのか、今でもまだ説明がないのだ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20141224)。聞いても「あ、子ども寝かせないと」と、さっさと電話を切る。もう学校に通っているんだから、子どもなんて一人で寝かせなさい。そんなのと、こちらがなぜ「親戚」なんだ?
1993年頃までは、日本もこんな風ではなかったはず、と言っておこう。

http://whisper-voice.tracisum.com/?eid=52


男女雇用均等法で1990年頃を境に、それまでの女性一般職が廃止され、その結果が派遣社員採用によるお茶くみ職員や、男の派遣が急増した。男女雇用機会均等法は、正社員内での平等化が実現したが、よりひどい正社員と派遣という階層化を生んだ。


・正社員エリートの高所得組と、派遣らの永久低所得組に、男女とも完全に分かれてしまったのである。派遣組は、学校卒業後に目先の高時給に目がくらみ、正社員の初任給よりも高い派遣を選択して生涯地獄逝きとなる


・共働きでやりゃいいじゃねえか、と思っても、低所得同士で長く続くはずもなく、これでは家庭の安定もない。派遣組は、すべて自らの先見性のない近視眼的な選択による、自業自得の顛末なのだが、40過ぎると雇用すら厳しくなるはずだ


・いまや東大卒でも、その1割は年収200万円以下の低所得層で、たくさんのニートや引きこもりがいる。


・必要なのは、普通の男は正社員で働いて高所得化、女は家庭を守ってシッカリ子供を生み育てるという価値観の再構築。そうして離婚を減らすこと。今じゃなんと4割近い夫婦が離婚しているが、もともと日本では離婚なんて1割にも満たなかった。


事実上の離婚奨励金となってる、特に生活保護母子加算はじめとした女性優遇手当を廃して、離婚を減らす政策をとらなきゃダメだ。


男女雇用機会均等法は国内からの要請でなく、「婦人に対するあらゆる形態の差別に関する条約」なる、当時の国際条約を批准する約束との理由から婦人団体のゴリ押しなどもあり、強引に制定された。


・雇用均等法の制定には、家庭が崩壊してしまうとして、当時から男性のみならず、長谷川三千子女史はじめ、批判する女性知識人も多数いた。なんでこんな条約のために、日本の伝統的雇用文化を破壊しなければならないのかと。この法律で女子の一般職が廃された1990年頃を機に、離婚が急増しはじめ、日本の家庭はみるみる崩壊していった

(部分引用終)
そのキック子どもの母親だが、よくわからない理由で大手企業を二十代半ばで辞め、派遣に「転落」したにも関わらず、私よりも「給料がいい」と威張っていた時があった。結婚前に蟹料理屋さんで会った1997年春頃、8歳も歳上の主人に対して「私には付加価値がありますから」と抜かして、私は仰天した。(いつになったら私、自分に「付加価値がある」なんて思えるようになるんだろう?)と呆然としたことを覚えている。「そんな口の利き方していたら、会社で嫌われるよ」と言ってはみたものの、「大丈夫。私の持っている技術は、他に誰もできないから」と豪語していた。が、何のことはない、その数年後、あっさり解雇に。それも父が慌てて「おい、聞いたか。あれ、何にも考えていないなぁ」と電話をかけてきたので、こちらも知ったのだった。
そうなのだ。三人の子どもを育て、きちんと都市銀行の管理職を定年まで勤め上げ、土地付き持ち家を建て、第三か第四の職場まで続けて何年も働かせていただいた堅実な父の娘が、この体たらく。どうして相談もせずに、勝手に決めるのか?私よりも年下なのに、「あんた、いつまで迷っているの?私は絶対に迷わないからね」と、偉そうにほざいていたが、私に言わせれば、「迷わないことが決断力の証みたいに言うな。もっと時間をかけて迷って欲しい」。

http://whisper-voice.tracisum.com/?eid=455


自らが仕事で大成功することで、家族を築いて守っていきたいとかそういう発想、普通の女はしません。女が管理職だの上場企業の役員だのになって仕事で釤成功”したいとか、わけのわからない“輝く女性”だの、いくら金持ちになりたいとか、そういうのだけ求めても、そしてそれがたとえ実現したとしても、決していい結果は生まないのです本人は”勝ち組”のような気持でいるのかもしれませんが、もしもそういう女に子供がいたら、その悪い影響はダイレクトに子供に表れます


団塊世代は、学生時代に反体制的な左翼学生運動(共産革命・全共闘)に身を投じた者がとても多い世代。民主党鳩山由紀夫(1947年生)も全共闘左翼が猛威を振るった、ズバリこの団塊世代のど真ん中。左翼過激派の現職 法務大臣 千葉景子口蹄疫問題を引き起こした農林水産大臣 赤松広隆とかも1948年生まれ。おまけに次期総理?の菅直人も、全共闘過激派だったとの噂ある1946年生まれ。現 民主党にはこの世代の議員がゴロゴロいて党内の実権を握っている


マスコミや政治、司法など角界で力を持ってしまっているのが、団塊のエリート層で、この中にやたら左翼が多く、今の日本の実権を握っている。民主党だけでなく、今や自民党でも力を持つ左巻きが多数いる。


・これら急進的で過激、攻撃的で排他的な団塊左翼が、反日外国人や反日マスコミと組んで、偏向報道を最大限活用して、今のうちに日本をメチャクチャにしてやろうと企んでいるわけだ


・今回の危機さえ乗り越えれば、日本が堅実な右に転換する可能性はある・・・・・しかし、もしもここで左翼の支配に敗れてしまえば、徹底的な言論封殺、思想弾圧などで、これまでの日本という国家そのものの存亡に関わっていくこととなろう。


就職氷河期などの影響を受けている団塊ジュニア(今の35歳ちょっと過ぎ)も左巻き傾向が強いようだ。このことは、将来について懸念しておいた方がよいだろう。これは団塊ジュニア団塊世代と同じく、親の厚い愛情を受けていないケースが多いのが大きい親の愛情を受けたか受けてないかは、次世代の子供に連鎖していく。愛情を感じずに育つと愛情表現の仕方がわからないのである。加えてさらに、団塊ジュニアは初めてファミコンに嵌った世代で、頭がゲーム脳に汚染されてる者が多数(TVゲームの有害性について)。親子間の猟奇的な異常犯罪が多いのも団塊ジュニアだ。

(部分引用終)

恐ろしいが、心当たりがある。実は、上記の派遣崩れみたいなのも、小さい頃は、父親の膝に乗って、結構遊んでもらっていたのだった。いつからそんな歪んだ方向に「迷わず」まっしぐらに突進していったのか、私には定かではないのだが、理由の一つとしては、学校の成績が良く、学年一番などをキープしていたことが考えられる。つまり、あまり考えずに、要領よく覚えて出すのが得意だった、というだけなのだ。そう言えば、学生時代、机の上にルソーの『エミール』なんかが置いてあった記憶がある(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110830)。私なんぞ、ルソーと聞いただけで「野性に還れ」を想起して、読む気もしないのだが、「迷わず」それを受容してしまい、今も実践し続けているのだろう。「子どもはのびのびさせた方が、将来伸びる」と豪語していたが、「のびのび」の結果、きちんとご挨拶もできずに、目上をキックしてくるなど、言語道断だ。
我が家は、元来、そんな家系ではなかったはずなのだが。というと、「もう、この人、本当にどうしようもないねぇ」とため息をつかれた。「どうしようもない」のは、そっちの方だ、と言いたい。鏡を見なさい!