マラキ書2章から抜粋を。
何年も前に読んだ聖書学の論文では、「紀元前5世紀前半の第二神殿時代初期の文書」であるとされ、「終末論的待望」が記されているという。
ここで私は、もっと字句通りに読んでみたい。
8節
だが、あなたたちは道を踏みはずし
教えによって多くの人をつまずかせ
レビとの契約を破棄してしまったと
万軍の主は言われる。
14節
あなたたちは、なぜかと問うている。それは、主があなたとあなたの若いときの妻との証人となられたのに、あなたが妻を裏切ったからだ。彼女こそ、あなたの伴侶、あなたと契約をした妻である。
15節
あなたの若いときの妻を裏切ってはならない。
16節
私は離婚を憎むと
イスラエルの神、主は言われる。
離婚する人は、不法でその上着を覆っていると
万軍の主は言われる。
あなたたちは自分の霊に気をつけるがよい。
あなたたちは裏切ってはならない。
(引用終)
《出典:日本聖書協会『新共同訳』1987年》
「裏切ってはならない」のは、「妻」のみならず、周囲の知り合いについても該当するのではないだろうか。
参照として、英語版ブログの第一弾と第二弾を(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/20180422)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/20180423)。ユダヤ教は、イスラームのように、全てが法によって全人生や全世界観が構築されている。その間に挟まれたキリスト教は、比較的感情面を重んじ、主観的に解釈が可能である。
学生時代から常々感じていたことだが、日本人としては、古典(記紀万葉その他)に馴染むと同時に、国際情勢や世界観を通時的に把握するためにも、せめて聖書ぐらいは繰り返し読んでおかなければならない、ということである。
大変だが、二刀流でやっていかなければ、生き残っていけない小さな島国の日本のこびとの心得である。