ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

『ちびまる子ちゃん』の作者

元は「左翼脳」であったと自称し、多分私と同世代であろうと思われる保守派女性(?)のブログ(http://whisper-voice.tracisum.com/)からの引用を以下に。
引用を含む過去ブログは、こちらを(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=whisper-voice)。

2012.6.14


映画『いちご白書』(1970)はアメリカ人作家ジェームズ・クネン(James Simon Kunen)によるノンフィクションを映画化したもの。著者が19歳の時に書かれ、コロンビア大学での1966年から1968年までの体験、特に1968年の抗議行動および学生抗議者による学部長事務所の占拠についての年代記が中心。当時の有名人や国民の多くが学生たちを支援し、運動家を応援する慰安婦が実在していたこともわかります。
この映画からすると、米国でも日本の団塊世代と同世代は激しい学生運動に関わった左翼色の強い人が多いってことですね。左翼及びアカと保守派の学生間の対立があったことも伺いしれます。


松任谷由実(当時は荒井由実)がこの映画を当時の彼と見た思い出を曲にして、バンバン に提供した『「いちご白書」をもう一度』(1975)はミリオンヒットとなり、チャート1位も記録。
映画公開は1970年で、東大安田講堂事件(1969)の後だが、早稲田や法政などをはじめ、まだまだ各地で学生運動紛争中であり、この映画は当時の学生たちにも大きな影響を与えた。『「いちご白書」をもう一度』は、この映画公開時をユーミン自信(ママ)の回想により作られたもの。

(部分抜粋引用終)
ところで、今朝のニュース報道によれば、『ちびまる子ちゃん』の生みの親である漫画家の「さくらももこ」さんが、8月15日、乳ガンのため53歳で死去していたという。本名は非公表とのことで、告別式は近親者で行ったようである。
さくらももこ」さんは静岡県清水市(現:静岡市)の出身で、『ちびまる子ちゃん』の連載でヒットし、発行部数は累計3200万部以上との由。また、『おどるポンポコリン』の作詞も手掛けた。坪倉唯子さんが「ピーヒャラピーヒャラ パッパパラパー」とおなじみのフレーズに触れ、「これからもみんなに楽しんでもらえるように大切に歌っていきます」と誓ったと、本日付の日経電子版ニュースには記されていた。

言うまでもなく、私は『ちびまる子ちゃん』を全く知らない。1990年代前半期にマレーシアで働いていた頃、東京の早稲田出身の同僚(と言っても年上)が、お喋りの中で時折『ちびまる子ちゃん』に言及しており、板橋区で育つと共感があるみたいなことを漏らしていたのを、小耳に挟んだ程度である。
それからしばらくして、「マレー人の学生達に日本の歌を教える機会があれば、何か紹介できるようなものを」と手紙に書いたところ、従姉妹の一人が『おどるポンポコリン』のテープを送ってきたので、この歌を初めて知った次第である。

http://j-lyric.net/artist/a000880/l01dba0.html


「ピーヒャラ ピーヒャラ パッパパラパ
ピーヒャラ ピーヒャラ パッパパラパ
ピーヒャラ ピーヒャラ 人参いらない
タッタタラリラ
ピーヒャラ ピーヒャラ パッパパラパ
ピーヒャラ ピーヒャラ おどるポンポコリン
ピーヒャラ ピ おなかが減ったよ〜」

(一部修正・部分抜粋終)
日本で大流行していたとはいえ、いくら何でも、当時の敬虔なムスリムのマレー人学生達には、およそ似つかわしくない歌だと思った。せっかく送られてきたテープではあったが、出番がなかった。帰国後に祖母から聞いたところでは、従姉妹は出し物でも、この『おどるポンポコリン』を皆で踊りながら歌ったとのことだった。
またもや大変に申し訳ないことに、私には全く縁がなさそうな話だった。
だが、その後になって、母校で非常勤講師をすることになり、秋の紅葉狩りとして、留学生と共に香嵐渓へ一日バス旅行をする行事があった。そのバスの中で、何と同僚の日本語の非常勤講師の若い女性が、いきなりマイクを握って、この歌を歌い始めたので、私は仰天した。
若いと言っても、既婚者で私よりは年上でいらしたが、毎回、かわいらしいお弁当を作って持参し、一人で目を閉じて(クリスチャンの)お祈りをしてから食べ始める方だった。
例によって例のごとく私は、その頃も将来の不安で毎日緊張が続いていたことと、(早く論文をまとめないと)という切迫感ばかり募っていたので、いくら余興とはいえ、教授陣の前で「ピーヒャラ ピーヒャラ」と歌えるとは、(既婚者って余裕があっていいなぁ)と羨ましく思った。その記憶は今も鮮明である。
もともと声優になりたかったそうで、日本語教師になったのも、その延長線というのか応用編のようだった。私のような生真面目な「学究肌」(?)とは全く異なっていたのだが、ご主人の稼ぎで食べていけるならば、「ピーヒャラ ピ おなかが減ったよ〜」と大学関係者の前で歌っていても平気なのだろう。
従姉妹もその女性講師も、恐らくは今の私の境遇とは異なり、当時も今も、さぞかしお幸せな暮らしなのであろう。
だが、どういうわけか、私には「クレヨンしんちゃん」(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20151114)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160624)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180706)や「おじゃる丸」(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180715)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180719)の作風や作者の運命に似た匂いを、「ちびまる子ちゃん」に感じる。
結論から言えば、保守派は健康で幸せなのである(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180720)。