ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

自然の法則に沿った人生を

日曜日の夕方近く、町内で同じ敷地に住む主人の同僚(同期)の方へ、二人でお孫さん出産祝いをお届けした。
同期の人達(皆男性)がお金を出し合って、新米ママさんと赤ちゃんのお祝い品を買ったのだった。品選びは、主人の同僚の先輩ママさん達が助言してくださった。私の仕事は、色選び程度。着るものとの色合わせが楽で、飽きの来ない、長く使えそうな実用的なタイプを、と考えた。
幸い、ママも赤ちゃんもご在宅で、新米おじいちゃんとも早速ご面会。ママのTちゃん(私にとっては、今でも「Tちゃん」)は、ついこの間まで小学生だと思っていたのに(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150201)、私が寝暮らしている間に、いつの間にか小学校の先生に。(あら?)と思っていたら、新年早々、男の子が生まれたという。実に回転の速いご家族だ。
今は産休が三年間取れるとのことで、思わず「いいなぁ!」と言ってしまった。私のすぐ上の歳の世代から男女雇用機会均等法が施行され、世間の空気は自信たっぷり(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20101026)。張り切って肩パッド・スーツなんかで意気込んでいたものの、私はと言えば、生活の時間配分や体力の差違などから、おろおろと当惑するばかりで、全く冴えない人生設計だった。
私から見て、Tちゃんはいい時代に巡り合わせたと思う。「少子化になっちゃうもんねぇ」と言うと、素直にうなずいていた。何よりも、小学校の先生は体力勝負だ。自分の子の世話で神経が休まらない時に、キャリアだの何だの、一年で復帰を命ぜられたら、いくらまだ「おじいちゃん」が現役バリバリだと言っても、本当の両立はなかなか難しいだろうと思う。
私の世代は、まだ周囲の男性も不慣れで戸惑っていたせいもあり、(女性は対等に仕事をしたいんだろう)と勝手に憶測されて、男性の築き上げてきた枠組みに女性を入れる以上は、「当然、同等の成果を出せ」と嗾けられていた。しかも「男と対等になりたければ、女性はその三倍は頑張ってやっとトントン」とも先輩キャリア女性から言われて、(ひぃっ)と悲鳴を上げていたのが本音だったのだ。
確かに、子育ても家事も専門職の仕事も、見事に鮮やかに人並み以上にできているスーパー女性も、私の知る範囲で現に存在する(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110301)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140518)。しかし、それは経歴と職場環境に相当恵まれている事例か、それぞれの親に助けてもらっているか、体力が抜群に優れていて、睡眠時間を削っても風邪一つ引かないタイプなど、極めて限定的な事例である。それなのに、「あの人だってやっているじゃない。あなたはサボり過ぎ」と、これまた縦横の男女の先輩方に叱責され、ヒィヒィ言っていたのが、我々の世代だった。
いわゆる「三歳児神話」の批判的な論評を、私の属する学会の女性研究者が「この神話のせいで、私の研究者としての歩みは遅れた」と忌々しげに会報に書いていたのを読んだのは、実は数年前。思わず、ため息が出た。遅れたも何も、そんなことを会報に書かれたお子さん達の方が気の毒だ。
三歳までは母親の手で育児を、という呼びかけの根拠が、単なる「神話」に過ぎないと断言できるなら、それまで。「母親がイキイキと働いている姿を見せた方が、子どもにもいい影響を与えるはず」と万全の自信と保証があるならば、どうぞ。(それとて、子ども自身に聞いてみなければ、本当のところはわからないではないか?)
でも、私自身の経験では、誕生した頃の日だまりのように温かい記憶は、体内の深部で残っている。父方母方の両方の祖父母も大叔父や大叔母も叔父叔母も元気で、初の外孫とのことで、(育児の挽回を、と思ったのかどうかわからないが)皆が張り切って、極力丁寧でお上品な言葉遣いで話しかけ、交替で散歩や買い物や遠足に連れ出し、周囲に私を見せて回っていた。
「大将のように大威張りだった」と祖母が繰り返し言っていたが、それもこれも、幼い頃だったから許されたこと。そして、その記憶があってこそ、今も積極的にチワワのように好奇心一杯なのだろうと思う(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110510)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110513)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110905)。
そんな私なので、「小さい子はどうせ覚えていない」「三歳までなんて、母親を育児に縛り付ける強制をするのか」「私のキャリアに穴があく」「三年も子どもと二人きりなんて、息が詰まる」「三年間も仕事ゼロなら、生活費がない」などと、絶叫調で「安倍叩き」をしていたサイトを見つけて、心底ぞっとした。
予想された反応でもあるが、お子さんのいない安倍総理が、日本の少子化原因を考え、検討した末の「三年間の育休」提唱だったのに、何という倒錯した下卑たヒステリーを...と、恐ろしくなる。誤解に基づく人生設計の中、生存競争で必死なので、経済問題もさることながら、精神的に追い詰められた女性が、これほど多いのだ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150405)。職探しの椅子取りゲームでやっと座ったところが、子どもの出現で三年間の空白をと言われて、突如混乱して精神的アナーキズムに陥っているとしか考えられない。

http://whisper-voice.tracisum.com/?eid=208


男女雇用機会均等法は、悪平等の導入で日本人のヤル気や競争力を失わせ、1990年代以降の男女や家族の結束を破壊してしまった、元凶たる法律。


・平等どころか、能力差や性差を無視した悪平等の根幹でありながら、悪平等洗脳イデオロギーの元、その批判が完全にタブー視されてます。これを批判するとヒステリックに騒ぐのが、莫大なパチンコマネーや男女共同参画予算に支援された左翼・フェミニズム勢力でもあります。


・一見耳障りのいい平等思想とは、家族や組織の結束を阻んで弱体化するための洗脳工作と思ってください。


・他国には、たとえ法律で男女平等が謳われていても、キリスト教等の宗教的基盤による相対立する男女観や家族観というものが基本的に根強く残っていますが、宗教的価値観土壌が全く存在しない日本では、左翼のやりたい放題にされ、戦後日本人の価値観が根こそぎメチャクチャにされてしまいました。これまで長い間、日本人の価値観というのは口承だけで奇跡的に残ってきたもので、他民族の宗教のように教義化されたものではなかったからです。


・女性だって、正常でシッカリした男とくっつくことに最大の価値観を見出し、賢い女性なら、そのために自分を磨き始め、貞淑を善しとしていきます。今のように、上っ面のキレイさや破廉恥なものばかり求めるのでなく。男だって、それに応えるべく、強く健全な男性を目指していきます。


・少なくとも日本が元気だった70〜80年代の価値観には戻れます。


・国や国旗、国歌、天皇の問題、教育や国防意識だって、行き過ぎた個人主義・快楽主義の元凶たる、この二つさえ解決すれば、間違いなく徐々に改善されます。

(部分引用終)
このブログ主様は、元編集者で、その頃は自然とリベラル左派系だったが、今は堂々本流の保守派とのこと(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110127)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20141224)。話題が豊富で文章に説得力があるので、人気サイトのようだ。

http://whisper-voice.tracisum.com/?eid=278


・だから当然、家庭を破壊したり、家庭崩壊で離婚を誘発するような仕事であるなら、とっととそんな仕事は辞めるべき。家庭を壊しやすい顕著な事例が、水商売や芸能活動のような稼業が挙げられます。


・家族よりも国、どんな子を育てるかよりも、とにかく子供を生ませて、子育てそっちのけで子供をどっかに預けさせ、女まで仕事に行かせようという発想、これって完全に共産主義者


・男は昔から、概ね家族を養うため働いてました。男が働くのは家族のためだったのです。


・しかし今の女性で働く人の多くは、家族のため働いてるわけではありません
昔は、男は家族のため働いていたので社会のバランスが保てていたが、今では子供を育てず家族のため働くわけでもない女が仕事を続けるせいで、仕事先に空きがなかなか出なくなり、男として家族を支えられるような仕事が足りなくなってしまいました。


・仕事自体も減り、若年世代の収入がガタ落ちになってるのに、加えてこんなときに外国人の労働力を入れようなんて発想する人たちについても、全く理解できない。


仕事してればバラ色の人生が送れるかのような誘導を、何で敢えて女にするのか・・・


・男の子については、とにかく家族を大切にする価値観、そして現実逃避や責任転嫁をせず、競争や試練に勝ち残っていける男を育てなければならないということで、ほぼ目標設定しておけばかまわないと思います。


・そして辛抱強さ、これは男にも女にも絶対に必要なものです。


・「今は男女平等の時代。女の子にも立派な教育を授け、男や外国人にも負けない生き残れる人間になってもらわなければ・・・」と言っては、その競争に勝ち残れるような教育、そういう女を目指させるなんて、私からすればとても正気の沙汰とは思えません。そんな親はキチガイと言ってもいいくらいですが、現代は、そういうキチガイ染みた親ばかりになってしまってるということです。


① これからは男女平等、さらには外国人との競争も激しくなるので、社会に出ても男や外国人と対等にわたり合え、高収入を得られる女性を目指させる。生き残るためには、より高学歴、高キャリアが必要になっていくし、もちろん容姿端麗を目指し、ダンスのような華麗な演技も習得させ、最上の魅力を備えた女性、人間を目指させる。


② とにかく男を立て、夫や家族を大切にする価値観を小さな頃から身につけさせる。学歴やキャリア、特殊技能の習得なんかにこだわらず、家事をやる上で必要な料理・裁縫など家政的な技術さえ習得すれば十分。男女、夫婦の間に何が起ころうとも、それを試練と受け止め、安直に見切りつけて仲たがいしたりせず、末永くやっていける、常に夫・子供と共にあるような妻、母を目指すよう教え込む。


男はどっちを大切にすると思います?
そして、どっちが幸せな女になれそうに思います?


・結婚せず、子供もおらず、お金さえ入ってゆとりある生活ができ、生涯自由にやっていければいい・・・そんな風に考えるなら、女に①の生き方を目指させるのもいいでしょうが、生涯自由なんていっても、若い頃チヤホヤされるだけで、それは家族がおらず一人ぼっち、孤独な生き方を選択するにすぎません。どんなに社会的評価が高く、経済的に豊かであっても、それだけでは決して幸せにはなれないでしょう。


・女は本来、学歴やキャリアなんかなくとも、十分幸せになれます。本当は高校卒業したら、すぐ結婚するぐらいが一番いいんです。特別に勉強したいという意欲があるなら大学まで行く価値はあるでしょうが、本来、女性に高学歴や高キャリアなんて、ぶっちゃけ必要ないものに思えます。


・一般論ではそうでも、高学歴、高キャリアウーマンは必ずいますし、そういう存在も必要には思います。女性教師だってたくさんいてかまいません。でも、そういう女性のインテリ層には、一般女性にまで変なフェミ的な生き方を押し付けるのでなく、昔の女性知識人のように、普通の女性には普通の妻やお母さんとして生きることを勧めていただきたいものです。


・家庭や子育てばかりでは疲れるので、仕事もやって気を紛らした方がいいなんて扇動工作が最近、激しいですよね。そんな理由から「仕事した方がいいですよ」、なんて主婦に勧めてる人というのは、完全に共産主義者だと思ってください(天然共産主義者含め)。


・高学歴、高キャリアを目指してきた女性は、概ね男性に対してはさらなる高学歴、高キャリア、高収入を求めてしまいます。それゆえ求めるハードルはますます高くなり、現実離れした結婚像、男性像ばかり追い求めるようなり、結果として結婚できず、不幸になります。


・最近は、別に高学歴・高キャリアを持たなくとも、男性遍歴を重ね、いろんな男と付き合ったことを武勇伝のように話す女たちが非常に増えてます。男にはそんな自慢話をするバカが昔からたくさんいましたが、今では女にまで同じ傾向が表れてきてます。


・女はとにかく早く、身が汚れていないうち、甲斐性ある男を見つけて結婚すること。それが幸せへの最たる近道です。


・何より妻と子供、すなわち家族を大切にする男こそ、最も結婚に向いてます。そして仕事も一生懸命やるけど、あくまで仕事は家族の生活を安定させるための手段だと割り切ってるタイプがいい。仕事上の成功やキャリアを磨くこと、より刺激的な仕事を求めるようなタイプは、あまり結婚に向きません。

(部分引用終)
この引用は、非常に心当たりがある。冒頭の回転の速いご家庭は、新米おじいちゃんが子育てに非常に協力的だったというのか、お子さんやお孫さんが生まれて、お母さん以上に喜んでいた様子。うちに小学生だった息子さんを連れて来た時も、たまたま冷凍庫に入っていたアイスキャンディーを喜んで食べさせていたのが、この度の新米おじいちゃん。ついこの間も、「ようやく最近、子育ても一段落したので」と書いていらしたが、微笑ましかった。
だから、Tちゃんも、ほぼ毎週、赤ちゃんとご実家に帰ってくつろげるのだろう。

ところで、昔から気になっていたのが、どうして女性が外で働くとなると「イキイキと」「輝いて」という形容詞が付くのかということだった。仕事なんて、まずは責任重大だし、失敗が許されない。人前で一言言うには、その水面下の下調べが十倍はいる。変化の激しい世の中では、毎日秒刻みで情報にキャッチアップしていかなければならないのだ。心身の疲労と物理的時間の制約が伴うのに、なぜ?
それに、三十代の初め頃までは、何か問題があって相談事などの電話をかけると、「外の仕事を始めれば、気晴らしできるんじゃない?」とアドバイスする人がいて、困惑した。
仕事って気晴らし?
また、①を目指して、自分の娘用に、才色兼備になる食べ物だけを小綺麗に詰めた「執念弁当」なるものを学校に持たせているお母さん達がいると、最近の某新聞で読んだ。圧倒以外、何物でもない。私なんぞ、お弁当はまず、健康第一なのだが。

http://whisper-voice.tracisum.com/?eid=195


・現実には同じ人間なんて一人も存在するはずなく、“平等思想”というのは理不尽な悪平等を維持することを意味し、実際は組織の弱体化や分断をもたらす謀略思想でしかないと考えてます。


・しかし、この平等思想というのが、今の日本人の精神を非常に根深く蝕んでいます。男女平等、夫婦平等、親子平等、教師と生徒の平等、上司と部下の平等、極端には軍隊の上官と下官まで平等・・・


・夫と妻が平等、親と子も平等であるなら、その家族は至極モロく崩壊してしまいます。家族を含めて、これら組織を正常に機能させるには、本来なら何事にも序列化が必要


・序列や秩序のない家庭で自分のポジションがわからないまま育てられた子供は、やはり物事や人々の序列を捉えることができない、バランス感覚を欠いた自己中心的な人間に育ってしまいます。


・【宮沢賢治 】 (1896-1933)  (2010.11.17 Wiki より)


作品にはコスモポリタン的な雰囲気があり、軍国的要素やナショナリズム的な要素を直接反映した作品はほとんど見られないが、24歳で国柱会に入信してから、時期によって活動・傾倒の度合いに差はあるものの生涯その一員であり続けたので、その社会的活動や自己犠牲的な思想について、当時のファシズム的風潮との関連も議論されている。また、当時流行した社会主義思想(親友・保阪嘉内など)やユートピア思想(「新しき村(武者小路実篤)」、「有島共生農場(有島武郎)」、トルストイ徳富蘆花、「満州・王道楽土農本主義者・加藤完治や、国柱会石原莞爾)」など)の社会思潮の影響を考えるべきであるという見解も見られる。晩年には遺作『銀河鉄道の夜』に見られるようにキリスト教の救済信仰を取り挙げ、全人類への宗教的寛容に達していたことがうかがえる。 戦後は賢治の生き方や作品にみられるヒューマニズムや平和主義的側面が注目され、特に近年はエコロジー思想とも関連づけられて高く評価されることが多い。

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・うーん、コスモポリタン世界市民)、平和主義、エコロジー・・・
まあ、当時の時代背景からして、宮沢賢治を左翼とまで言いたくありませんが、「なるほどね」って感じです。でも左翼はきっと、利用しているんでしょうね。

(部分引用)
宮澤賢治」については、過去ブログ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140519)に少し言及がある。花巻の展示に、少し後さずりしたくなった、身勝手な左翼風の解説があったことを申し添える。