知的継承の一模範
このところ、毎日のように池内恵氏引用で(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%C3%D3%C6%E2%B7%C3)、拙ブログが埋められている。
他にも書くべき話題は幾つか溜まっているのだが、やはり、学生時代から読んでいた池内家(ドイツ文学者のお父様、我が母校の教授でいらした叔父様)のエッセイや論説は、基本路線や実践すべき学問的態度として見解が一致することが多く、その姿勢を見事に継承されてご自身の専門分野を展開されているご本人のお説は、私にとって知的栄養補給として必要なので、どうぞお許しを。
まずは、少し古いブログから。
(http://chutoislam.blog.fc2.com/blog-entry-267.html)
コメント集(1):「イスラーム国」による日本人人質殺害・脅迫事件
2015/01/30
・フェイスブックでは、著書・ブログ・フェイスブックでの私の見解・発言から、出典を明記すれば引用して良いと告知している
・必要とする場合は『イスラーム国の衝撃』とブログ、フェイスブックから引用して構わない、ただし出典を明記するように、と基準を示しておいた
・仕事と仕事の合間の一瞬に依頼が来たので引き受けました。日本国内の政争に使われるような内容と、見出しは一切認めない、納得がいかない記事であれば掲載を許可しないため、校了ぎりぎりの時間帯に紙面作成を行った場合は、紙面に穴が開くことも覚悟しておいてください、という条件を受け入れたので、コメントを引き受けた。
(部分引用終)
そして、最新版ブログ。
(http://chutoislam.blog.fc2.com/blog-entry-281.html)
コメント集(2):「イスラーム国」による日本人人質殺害・脅迫事件
2015/03/16
・2001年以後の私の論考やコメントは全て保存してあるが、ウェブ上にないのいいことにデマを流す人が出てくる。防衛策としては、少なくとも存在するものについてはウェブ上に書誌情報だけでも形をとどめておきます。データベース等で確認は可能なはずです。存在しないものに基づいて批判する人については・・・どうしようもない。
(部分引用終)
このデマ話や空話なのだが、どうしても私の場合、ダニエル・パイプス先生を思い出す。彼も、年齢や経歴に似合わず、つまらないデマや非難を逐一取り上げて、真面目に反論されていた(http://www.danielpipes.org/blog/2004/10/department-of-corrections-of-others-factual)(http://www.danielpipes.org/10989/)(http://www.danielpipes.org/11512/)(http://www.danielpipes.org/11530/)(http://www.danielpipes.org/11775/)(http://www.danielpipes.org/14670/)。私など、「同じレベルにならないで」「もう相手にするのは止めてください」とまで申し上げたことがあるぐらいで(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120929)、実にうんざりした。一種の有名税ではないかとも思っていた(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120926)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20131004)。
ところが、確かに有名税の一部ではあるが、ネット時代の弊害で、あっという間に、よく知らない人や物を深く考えない人達の間で質の悪い風評が「コピペ」で広まってしまうと、かえって「言論の自由」を標榜する「民主主義社会」の弊害が蔓延してしまい、国の方向性を誤ることにもなる。
これによって、本来ならば、ゆっくりと休息を取り、次のお仕事に注ぐべきエネルギーや時間を奪っているのである。十戒を想起せよ。
「盗んではならない。」「隣人に関して偽証してはならない。」
(出エジプト記20章15節16節)
『聖書 新共同訳』日本聖書協会 1998年
(引用終)
随分前にワードに複写しておいた充実したロング対談から、部分要約したものを以下に転記。
(http://cruel.org/other/koukenikeuchiisis.html)
イスラム国躍進の構造と力
『公研』2014年10月号 「対話」 池内恵 VS 山形浩生
・イスラーム国の人たちの言動や行動を見ると、ずいぶんと前近代的で昔に戻ったかのような印象を受けます。その一方で彼らの意識には、中東の民主化への動きとも言える「アラブの春」が大きく関係しているのだと思います。
池内:「アラブの春」が一回りしたことで中東地域に生まれた環境は、イスラーム国にとって非常に都合の良いものになりました。その環境と言うのは、中央政府の揺らぎ、弱体化であり周辺領域の統治の弛緩です。そこに、元来イスラーム国が依拠するイスラーム過激派の戦略論がぴたりと合わさった。9・11テロに対して、アメリカは大規模な対テロ戦争を展開し、イスラーム過激派は軍事的にも情報的にも経済的にも追い詰められました。
・彼らはその聖域を「開かれた戦線」と呼んでいたんです。二〇〇九年ぐらいまでは単なる妄想だと思われていましたが、「アラブの春」が三年ぐらいかけて進む中で実際に彼らが望む状況が生じて、そこに入っていったわけです。
池内:私はあまり穏健、過激という基準で分別したくないので普段は「制度内政治参加派」という言葉を使っていますーーが一度は多数派を占め権力を握ったわけです。
・欧米では選挙に参加させれば、イスラーム主義者はいずれ穏健化するのだという主張がよく見られました。そして、実際にイスラーム主義政党が勝利することが許され、かつ政権をとってしまった。
・彼らは制度外での活動あるいは制度を壊す活動のことを多くの場合「ジハード」と呼んでいますが、ジハード主義者のほうが選択肢として残ってしまった。いわゆる穏健派は、排除されたり、機会を与えられたが、結局、統治はさせてもらえないなどで正統性を失った。あるいはそもそも存在自体がなくなったわけです。
・疑問に思うのはイスラーム国は人々に選択されていると言えるのかということです。
池内:多数派の支持を得ているわけはありませんが、黙認しやむを得ないというかたちで受け入れている状況があります。
・イスラーム国とアル・カーイダは、決定的に対立しているとは言えないようですが、両者に考え方の違いはあるのでしょうか。
池内:ほとんど同じです。
・基本的にイデオロギーは同じなんです。イスラーム国は本来イラク国内を拠点に活動できたわけですが、その際に宗派主義をかなり強調しました。
・結局、両者の違いは戦略的、戦術的な差にすぎません。
・どこからが残虐で、どこまでが残虐でないかは理論的には区別できません。七世紀のテキストである『コーラン』にもムハンマドの言行録である『ハディース』にも敵を倒す時は首を撃ち落とせという表現があります。
・『ジェーンズ』などのヨーロッパの軍事雑誌によると、アル・カーイダとイスラーム国の間には亀裂が見られるから、ここから内戦に突入すれば勝手に自ら壊れていくのではないかという期待もあるようです。どう思いますか。
池内:すでに争っている面があるので、下手に介入するよりも彼ら同士が争えば力が弱まり、場合によってはやがて共倒れになる。
・彼ら同士で争ってもらえばいいという議論が出るのは自然だと思います。
・あまり関与したくないという立場からの希望的観測なのかなと思います。
・それをやれと言う人は「メディア戦を仕掛ければいい」とか、ああだこうだとアイデアを持ち出してきては人ごとのようなことを言いますが、そもそもそれができるのかと疑問に思いますね。やれるものならやってほしいわけですよ。
池内:アラブ世界には陰謀論が非常に多くて、「イスラーム国はアメリカがつくったんだ」という説がアラブ世界に蔓延しています。だから、疑心暗鬼にさせるようなネタは現地にもいくらでも転がっていますから、情報操作を仕掛けることは可能かもしれない。
・両者は対立しているように見えても、それはイスラーム国をつくるタイミングの差でしかないということになるのですか。
池内:アル・カーイダのメンバーは追い詰められ、多くの場合先進国に隠れていましたが、機会ができたら中東にカリフ国をつくるという道筋は共通認識としてあると思います。
・イスラーム国は、親分のバグダーディーという人物をカリフに仕立てたましたが、そもそもイスラームにおけるカリフとはどういう存在なのでしょうか? カリフはイマーム(宗教指導者)を継ぐものとも、法学者の親玉ともまた違った存在なのでしょうか。
池内:カリフは、人物としてはイマームと同じなんです。
・カリフは「後継者」という意味にすぎません。つまりムハンマドの後継者であることを意味します。
・「アミール」という言葉もあって、これは軍事的な指導者を意味します。イスラーム教団は初期の頃は軍事的な組織でもありましたから、初期段階におけるイスラーム世界の指導者は、カリフであり、イマームであり、戦っている時はアミールでもあったわけです。つまり一人の人間が、その時に帯びている職制に応じて呼び方が変わる。
・シーア派は、自分たちは別の系統のきちんとしたイマームを戴いてきたのだと主張したせいで、イマームという言葉がやや一人歩きしています。
池内:カリフは十三世紀のアッバース朝が滅亡するまではあったとされていますが、アッバース朝の後半にはスルターンが実権を握った権力者があちこちにいましたからカリフは籠の鳥のような存在になっていました。十三世紀にモンゴル帝国に徹底的に潰されたせいで、その籠の鳥もどこかに飛んでいってしまいます。
・カリフにはこうした歴史的経緯があるわけですが、今のイスラーム国の指導者であるバグダーディーという人物がカリフと名乗り出したことにはどのぐらい意味があるのか。
・バグダーディーがカリフであることを宣言した日は、ちょうどラマダーン(イスラーム暦の第九月。断食が行われる)の初日でした。
・イスラーム法学者の親玉になるには、例えば進学校に通ってコツコツ勉強して大学院で博士号を取る必要があるといったプロセスがあるわけではないのですね。
池内:イスラームの法学書には要件としてはまず血筋が必要だと書いてあります。スンナ派にしてもシーア派にしても、いずれにせよある時期まではムハンマドの血縁にあたる人物が指導者でした。同時にある程度イスラーム法の判断能力がないといけないとあります。
・力の源泉は、彼らが国家権力者に近くに位置していること。
池内:宗教者は、テキストを単に解釈する人間にすぎない。そうすると解釈の多元性が出るから、政治権力が裏打ちしたほうが勝つというのがスンナ派の考え方です。リアリズムが徹底していて、ある意味身も蓋もない理論です。
・今の国境は、第一次世界大戦中に西側諸国が決めたサイクス・ピコ条約体制による中東の分断だと。
池内:世界全体が一つのイスラーム国をめざすという彼らの理屈はイスラーム的に見ると正しいわけです。
・それは国家とは何かという根本的な議論とほとんど同じような話になりますね。
池内:イスラーム国に参加している末端の人たちは、当然かなり頭の軽い人たちです。中東を専門とするわけでもない日本のある論客が今回のイスラーム国の事象を、「自分探しである」と述べていましたが、そう突っ込みを入れられてもおかしくないような人たちだと思います。
・幹部連中はアンチ近代思想に明らかに影響を受けていると思います。
・カリフ制の再興を主張したシリアのカワーキビーは偉大な人物であると学校でも教えられています。
池内:真面目に考えると彼らの論理にのみ込まれてしまうような説得力を持っているんですよ。でも、現実に彼らがやっていることを見たら、しょうもない集団だと思うわけです。
・「アラブの春」以後、彼らの思惑に合うような「権力の空白地帯」ができたということですが、権力の空白が生じた際のその地域の埋め方には、世界的に三つのパターンがあるように見ています。一つはギャング支配です。もう一つが独裁者による支配。中央アジアなどが典型的ですが、独裁者が登場してきて支配してしまう。そして、もう一つのパターンがその地域がイスラーム化することです。
池内:世界地図上のある地域に権力の空白が生じることは、過去の時代にも周期的にあったと思います。そこを誰がどう埋めるのか。
・イスラームという絶対的な基準を持ってきて、その基準を無理やり施行する人たちを連れてくるやり方は独裁とはまた違う別の規範ですね。
・イスラーム法は、国家の最低限の機能だけを規定し、福祉などは喜捨でやればいいというものです。
・普通ならばどんどん悪くなってしまうところをイスラームに入ることで回生をすると。ミクロなレベルではそういう流れがあったわけですが、それが国際情勢の中にも出てきてしまっています。
・なぜイスラームだけが魅力的な選択肢として出てくるのか。僕にはよくわからないところがあります。
池内:先進国には自由があり、一応機会もあるはずですが、満たされていない人たちがいて、そうした人たちがなぜイスラームを選ぶのか。一つはイスラームが不自由だからということがあると思います。先進国では選択肢が無数にあることになっていますが、実際にはそれはまやかしだ。自分は何も得られていないではないかと。それに対してイスラームは「正しい道はこれだけだ。選択肢はこれしかない」と方向づけてくれる。選択肢を狭めてくれないリベラルな社会に対する反逆、不適合の表れが自由からの逃走を引き起こす背景になっているのではないか。
池内:イスラーム国の人たちは「選択の余地はないんだ」と言っていますね。これしかないんだと。しかし、イスラーム国も現実に統治できているわけではないし、内戦の状況下を少し安定させるぐらいのことしかやっていないわけで、その先は当然行き詰まることになると考えられる。
池内:私が反論する必要もなく、イスラーム国がやっていることを見れば全く寛容ではないことがわかるはずですね。
・各地の紛争なりでイスラーム集団が関わっている例がどうしても目立ちます。それはイスラームという宗教的がそうした好戦的な特徴を持っているためなのか、あるいはイスラームはそれなりの試練を経ていないがために今の状況があるのか。
池内:イスラームが好戦的なのか否かという議論は昔はよくされていました。その中で常にイスラーム擁護論があります。本来イスラームは本来好戦的ではないと。
・闘争に人々を組織化して動員する力があることは明らかであると言わざるを得ない。
・それに対してイスラエルが存在しなければ、イスラーム教は好戦的である必要がないという根本的な原因を持ち出して反論する人もいます。
・何か不都合な状況や問題が生じた時に、イスラーム教は今の教義と解釈では、暴力的な運動に人を導く力があることもまた経験的な事実です。
・イスラームにもうちょっと変わってくれないかなと。みんなが不満を持っているのだから、イスラーム教徒だけがテロをやると、対テロ戦争をずっとやっていないといけない。教義を変えてくれよという話になるわけです。
池内:イスラームで宗教改革ができるのか。基本的にそれはムリだというのがこれまでの経験です。西洋化、近代化、世俗化の圧力に彼らは耐えてきたわけです。
・我々は「変わってくれ」と言い続けるしかないと思います。もちろん、十年くらいで変わることはないと思います。
・彼らに「相対主義でいいんだ」と言っても、たぶん解決しないと思います。我々は近代主義的なものを掲げて、その基準に合うかたちで社会制度を作り替える努力をしてきた。しかし、イスラーム教徒はそうした努力を怠った。
・近代の初期において、西洋からの圧力に対しては何でもかんでもイスラームは近代的な規範を先に実現していた。だから、近代的な規範とはぶつからないという議論をしたわけです。特にジハードに関しては、「全部防衛だ」と理屈を付けました。イスラーム側がやったジハードは100%防衛だと。歴史を見てみろと。我々は被害者で異教徒が攻めてきたから戦ったんだ。その時に首を切ったり、捕虜にしたりしたことも、『コーラン』や『ハディース』に則ったものであり、近代国際法の規範から言っても自衛権の発動だと主張しました。
・本来やるべきことはイスラームの正しい教えを広めることなのだと。その先に抵抗するものがあったら、それは取り除かないといけない。武力でしか取り除けないのなら、それを武力で取り除く。そして、それが自衛であると。
・そうなるともう誰も反論できません。
・池内:イスラーム世界の中には宗教的な意味での中心と周縁があります。結構うまくいっているインドネシアやマレーシアは周縁に位置づけられています。マレーシアには、人口構成の中に一%程度アラブ人がいます。ムハンマドの血筋を名乗る怪しいアラブ人が常に渡ってきています。「俺はきちんとしたアラビア語を読める」と言って、教義を教えお金を取るわけです。そういうアラブ人のエスニシティができて現地化しているんです。逆のケースはありません。マレーシア人やインドネシア人がエジプトに行ったら、それは学びに来ているという関係になる。
・現実にアジアのほうがうまくいっているわけですから、そのことを示す必要があると思いますが、過去数十年の流れは逆でした。原理主義的な解釈がアラブ世界の中心から東南アジアなどに輸出されることが多かった。東南アジアの政府は危機感を感じてそれを食いとめようとする関係にありました。アラブ人がやってきて強硬なことを言うと、ちょっと勘弁してくれと言って追い出すということを繰り返しています。あくまでもアジアは防戦しているわけです。経済的には伸びていますが、思想的には未だに周縁だという扱いを受けて、本人たちもそれをあまり問題だと思っていないようです。
・逆転させて、逆に東南アジアのほうから民主化も結構うまくいっているし、宗教的にも寛容になっていると。テキスト的には彼らは何一つアラブ人に教えることはできませんが、実態として共存が成り立っているインドネシアの仕組みなどをアラブ世界の中心に広めていくことは一つの対処法としてあると思います。アラブ人は、「我々は教えられる立場ではない」と絶対に言うでしょうが…。
・中央アジアのトルクメニスタンで初代大統領のサパルムラト・ニヤゾフという人が『コーラン』と自分のつくったものを勝手に合体させて作った『ルーフマーナ』を国民の精神と位置づけて教育現場で使うことを強制していました。
池内:イスラームにはまさに宗教解釈の統一したヒエラルキーがありません。
・それを外に広めようとしたら反発が出ると思います。仮に広がるとしたら、その国が政治的にも軍事的にも拡大する時にしかあり得ないでしょうが、そういう場合は黙認すると思います。
・日常生活から信仰が根付いているので、それを教えてくれる宗教者が間違っていると人々はあまり言いたくないし、実際そういうふうには思っていない。そのほうがうまくいくと人々は思うし、社会が安定するからいいんだと何となく思っているわけです。そういう前提があるので、ある意味では権力にかかわるものに関するウラマーの判断はその程度のものだと思っている。それがゆえにイスラーム国家みたいなものが出てくると、それに対峙するウラマーたちの議論は極めて説得力が弱くなってしまう。
池内:今現在はアメリカを中心に先進国、イスラーム国を少なくとも脅威と見なしています。この脅威が直接的な脅威なのかどうかは議論が分かれるところです。
・イスラームの中心、たとえばサウジアラビアなどには、中東の将来に対して何らかの理想への意思を持ち合わせているのでしょうか。
池内:ないんじゃないでしょうかね。主体がありませんからね。宗教者は政治権力に密着しているだけで、その政治権力のほうは国ごとの利益、自分たちの政権の生き残りばかりを考えているわけです。
池内:ある種のアンチ・システム運動になってしまっているのだと思うんです。要するに今の国際秩序も国内についてもルールをよく知らないのだけど、「現状はダメだ」と言ってしまう次元の反発です。
・世界中のあらゆる社会において非常に浅いアンチ・システム運動がいろいろなかたちで表出しているのではないか。
池内:アズハルやサウジの高位の聖職者などの権威のほうから方向づけようとしてもおそらく機能しないと思います。むしろ、この運動自体がまともなものになっていく、あるいは雲散霧消する、彼らが何となく解散してしまうような方向付けをすることが有効なのかもしれない。
・要するに、表面的に格好いいから受け入れてしまっているのであって、理屈をきちんと筋道立てて考える気はないわけです。
池内:おそらくイスラーム国の力学もそういうものだと思うんです。
・組織化はせずとも勝手に組織になってしまうんです。そういうメカニズムである以上、それを逆手に取ることで組織を死に絶えさせるような手段が内在的に存在しているのかもしれません。
・池内:もっと情報学的なアナロジーで有効な策を考えられるのではないかと思います。(終)
________________________________________
YAMAGATA Hiroo (hiyori13@mailhost.net)
(部分引用終)
部分的に、本ブログの設定のために行替えが間違っているかもしれないが、基本的には全文を複写した上で、必要箇所以外は削除して、話の筋が通るように組み立てたつもりである。
この対談は、聞き手が経験に裏づけられた幅広く深い勉強によって、うまく池内氏の見解を引き出している点で、良質だと思う。読みやすく、信頼が置ける。自分の勝手な主張や「思い」のようなものを出さずに、疑問は疑問として率直である点、非常に説得力がある。
それに、池内氏の的確な応答によって、どれほど資料を読み込み、複雑な情勢分析を日々繰り返されているか、その作業を基盤として、いかに論理的に具体的に明晰に語っていらっしゃるかがわかる。
こういう読み物を、これからも読んでいきたい。
補記を少し。
(1)「十三世紀」については、過去ブログ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140704)を参照。
(2)「カワーキビー」については、拙訳(http://www.danielpipes.org/13507/)を参照。但し拙訳では表記が異なる。
(3)「自由からの逃走」については、過去ブログ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20141011)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150123)を参照。
(4)「我々は『変わってくれ』と言い続けるしかない」に関しては、先輩格のダニエル・パイプス先生が既に長年に及んで実践されている(http://www.danielpipes.org/12940/)(http://www.danielpipes.org/13899/)(http://www.danielpipes.org/14079/)(http://www.danielpipes.org/14368/)(http://www.danielpipes.org/14408/)(http://www.danielpipes.org/15467/)。