ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

「修復」の対象ではない?

やはり、45年間も専門に続けてきた外国人の多彩な仕事を公開情報のみに基づいて理解するだけでも、私にとって、数ヶ月で終わるはずがない。だから、この2年半以上、自分のテーマを脇に置いて訳業に没頭してきたのは(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140904)、無駄だとは思わないし、決して意味なしとはしない。良くも悪くも現代世界を動かしている国の、少なくともエリートであると自他共に認める方の、勤勉かつ大量の言論活動なのだから。
単なる平凡な日本国民の私に対して、メール交換がよくここまで続くものだと我ながら恐縮したり感心したりするのだが(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140907)、専門家としてではなく趣味レベルで、余程、昔から日本に興味があったというのか、個人的に日本人と知り合いになりたかったのかもしれない、といつも思う(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120710)。単なる気晴らしとしての意見交換や、海外の一読者兼同労者に対する社会サービスだけではなく、私の書く内容に触発されて、ツィッターのトピックにもなっている(と、わざわざ連絡が来た)。
共産主義(および社会主義)の概念の誤りを説明したパピ本を、二年半以上も前に邦訳で読んでおいたのだが(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120131)、ここ数日、英語で読み直している(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140923)。一番参考になるのが、「平和」に至るための方策として、西洋史の中に繰り返し出現する概念であるという指摘、中国の共産党の概略である。また、1980年代のアフリカの飢餓問題や中南米のテロ問題の原因が、実はそこにあるという的確な指摘であった。
そこへ、土井たか子氏が85歳で亡くなっていたという訃報が流れてきた。
反戦平和と護憲の女性闘士のような生涯だった。敗戦国となった戦後日本で、平和の大切さを身にしみて感じるからこそ、戦争へと導いた民族主義国家主義を相対化する社会主義と国際主義こそが、平和の礎だという主張だったかと思われる。実のところ、史実と理論の検討をすれば、共産主義社会主義こそが争いの元になっているのに、である。
共産主義キリスト教に範を取った擬似宗教であるという説明は、学生時代に既によく見聞していた。マルクスの父親が、改宗したユダヤ人牧師だったから(?)という理由も添えられていた。当時の私は、その程度で満足し、要するに、気をつけて避けて通るべき思想であるが、体制が残っている間は何とか共存していかなければならない、ということで充分だった。
ところが、共産思想は、19世紀のマルクスに始まる理論考察を経て、1917年にロシアで具体的に試みられた経済と政治面への適用のみでは済まず、実は古代ギリシャ・ローマ思想にその萌芽が見られ、近代フランスの思想にも痕跡が認められる、というパピ説明を知ると、現在のアメリカにおける左派(リベラル民主党)と右派(保守共和党)の対立や競合現象に対する考察にも、俄然、刺激が加わる。つまり、表面的には1989年の旧東ドイツの崩壊や1991年の旧ソ連の崩壊によって、共産主義を打倒して勝利した米国流の自由資本主義ということになっているのだが、文化思想の面では、まだ社会主義的な影響が残っているというのが、米国の政争議目でもあるようなのだ。そこから、米国の例外主義という考え方が今でも出てくるのであり(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140622)、従って、オバマ政権流の移民政策や宗教動向はまかりならん、という主張が公に認められるのであろう。戦いは今も続いているのだ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130108)。
振り返れば、私が置かれていた環境が知的に生ぬるかったせいもあって、お腹が異常にふくらんだ飢えたるアフリカの子ども達の映像は、ショックでもあった。大学の一般教養の生物学の講義で、「どうして今、アフリカであんなことになっているんだろう?自分が現地観察していた頃には、バナナの木が一本あれば、充分に暮らしていける平和な土地柄だったのに」と聞いたことを、今でも覚えている。「アフリカでは、子ども達が空腹で死んでいるというのに、どうしてあんたはそんなにたくさん食べるの?」と、余計な叱責を飛ばす迷惑な人も周囲にはいた。あたかも、私が食べるせいで、アフリカの子ども達が飢餓状態にあると言いたげだった。現実離れして、支離滅裂な思考回路だ。
根拠なき罪悪感を植え付ける無知な大人こそ、責められるべし。今では、全てがソ連由来の共産主義思想によって操られた政治のために、おかしなことになっていたのだと、パピ本で学べる。つまり、日本の私が食べようと食べまいと、直接的にはアフリカの子ども達には影響しなかったのだ。しかも、飢餓対策に自分が自主断食をした分を寄付する運動もあったが、そのお金は必要なところへは行かなかったことも、とっくの昔に判明している。
中南米も、広大な土地に資源を有しているのだから、政治さえ適切であれば未来は明るいはずなのに、結局はラテン気質もあるのだろうが、マルクス思想が流れ込むと、ああいう状態になるらしい。そもそも、ロシアの広大な大地は、そこがポイントだったはずなのだ。中国大陸しかり。
つまるところ、パピ本によって学ぶ教訓は、人間は、どこでどのように生まれても、創意工夫次第で、いかようにでも自分の人生を切り開き、豊かに生きられるということらしい(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130923)。努力の結果として人は幸せになれるのであり、嘆いたり文句を言っている合間に、なすべきことをしなさい、という訓示もある。ただし、思想が間違っていたらダメだ。共産思想およびその亜流の社会(民主)主義と労働党は、ダメ中のダメ、ということのようである。しかも、その単純簡潔な結論は、ナチ(国家社会主義労働者党)のホロコーストを逃れてアメリカに渡ってきたポーランドユダヤ人としての経歴や「親戚や友人知人は、この思想実践のせいで亡くなったんですよ」という背景を前面に出せば、当時のアメリカでは誰も文句の付けようがなかったという雄弁なお墨付き。

...と、社会党社会民主党の看板女性だった土井たか子氏のご逝去の報に接して、いろいろと思うことがある。講演を聞いたことも、著述を読んだこともなく、元気のいい女性政治家だけれど、という程度だった。つまり、愚鈍ではあっても、私なりの判断センサーがきちんと機能していたということである。ただし、あの世代で同志社の法学部を卒業し、講師もされて、すごくモダンで飛んだ女性だったんだろうなぁ、と改めて思う。それに、映像を見ている限りにおいて、都市部の庶民層(主婦連・おしゃもじおばさん達)からは、新たな光として期待を寄せられたんだろう、とも。しかしながら、国内政治はもちろんのこと、外交面では相当の失策が多く(一例として、『司馬遼太郎 対話選集4 近代化の相剋文春文庫2006年)pp.107, 226http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140218))、現在の日本社会の停滞や思考停止状態につながる形跡だけは、きちんと検証されなければならないと思う。すべては過ぎてしまってから判明するのが、素人としてくやしいところではあるが。
それもこれも、パピ先生からすれば、ご苦労様というのか、だから私がアメリカで口を酸っぱくして言っていたではないか、ということなのだろう。とにかく、パイプス家の場合、親子共に、まずは理論分析から入っているので、結論を出すのが非常に早い。30代初めには、既に自分の論型がまとまっている。後は経過観察と裏付けデータを集めていけば、いくらでも戦略的に啓蒙的立場が維持できる(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130814)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130918)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140512)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140613)。言論活動では、ディべート方式を活用すれば、省エネで相手を論駁できる(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20131127)。まるで「東大話法」だ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140927)。汗水垂らしての現場観察や、困難を分かち合って共に生きようとするどろどろした体験や、迂遠や迂回の思想遍歴が、あたかも最初から無駄で不要であったかのように、すっきりとしているのだ。
だから、敵を作りやすいのかもしれない。理論的には正しいのだけれど、という不満というのか物足りなさを、ここかしこに漂わせてしまうのだ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120123)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120929)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20121128)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130105)。「お説ごもっとも」ではあるが、端的に言えば、「自分は手を汚さないでさ」ということだ。
パレスチナ問題にしても、ユダヤ人の国はあそこにしかなく、1948年に既成事実として国家が建設され、国際的に承認されたのだから、あとは敵対的なパレスチナ人とアラブ・ムスリムをどう説得して、イスラエル国家の破壊を食い止め、あきらめさせるか、なのである(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20121020)。だから、パイプス結論としては「今はアラブと交渉する時期ではない」という一言で終わってしまう。「それは我々の国益にも適わない」と断言すれば、普通のアメリカ人ならば頷かざるを得ない、という論法。
「では、いつが交渉の時期なのですか」「どのように事を進めていけばいいのですか」「それでは、現状を放置したままでいいんですか」という問いに対しては、「具体的な案は持ち合わせていません」で終わり。
そうこうするうちに、イスラエル国内は、知恵と努力と活力でどんどん発展していき、聖書の教え通りに人口も順調に増え、壁までつくって治安対策をし、裕福で快適な現代生活を享受するというわけである。イスラエル製品なしに、世界の現代文明の利器は存続し得ない、というほどに。ある程度、格差が歴然とすれば、「ほらね、だから言ったでしょう?我々に従えば、もっと早くからいい暮らしができたのに、あなた方の選択が誤っていたんですよ」と説教もできる。「イスラームが間違っていたと、私は言っていない。あなた方のイスラームの解釈と実践が間違っていたのだ。ほら、これを読みなさい」と提示もできる。常に、自分達が優位に立てるというわけだ。
ユダヤ思想には、世の中の修復に努めよという教え(Tikkun Olam)があると、去る4月にアメリカの保守シナゴーグで出会ったおじさまから教わった(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140529)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140802)。相当、教えを広めたいようで、先日のユダヤ新年のお返事メールにも、同じことが書いてあった。
日本文化や日本人に昔から本当に興味があって、せっかく奨学金を得て来日しても、中東イスラームに対する自分の保守的な見解の固持から、左翼系の多かった日本人中東学者の間で友達が見つからなかったのかもしれない(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120123)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120321)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140511)。それに、日本のような一応は安定した独自の伝統を有する主権近代国家かつ米国同盟の場合、文化に魅了されたり称賛したりはしても、もはや「修復」の対象ではない。日本人は、もたもたしているように見えても、最終的には自分達で何とかしてしまう。とすれば、言論上、自分が優位に立てるわけでもないだろうから、やはり戦略的な研究対象ではなかったのだろう。
というパイピシュ先生の本質が、3年目の今頃になって、ようやく把握できるようになってきた。
PS:「パピ」一覧表は(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140806)にあるが、その後のブログ記載によって、追加の必要性ができたので、ここにまとめておく。
http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140808)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140910)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140917)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140918)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140919)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140920)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140922)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140923)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140927)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140929)(以上)