中曽根時代を思い出す
(https://twitter.com/ituna4011)
・『共産主義黒書〈ソ連篇〉』 (ちくま学芸文庫) ステファヌ・クルトワ(http://www.amazon.co.jp/dp/4480097236/ref=cm_sw_r_tw_dp_2qR6wb18FXQ9K …)が新品で届いた。早速引き込まれるように読む。解説と年表が鮮やか。ナチズムと共産主義は同じ全体主義思想。後者の方が殺害件数が遙かに多い。日本はどうか?
・『中曽根康弘が語る戦後日本外交』中曽根 康弘(http://www.amazon.co.jp/dp/4104687022/ref=cm_sw_r_tw_dp_JtR6wb0Y758QJ …)もほぼ新品で届いた。学生時代にドイツ人のペンフレンドから、中曽根氏は日本で人気抜群だと教えられた。マレーシアで教えていた時、日本大使館から連絡が入り、急遽お目にかかったことがある。
(転載終)
『共産主義黒書〈ソ連篇〉』 については、昨日付ブログ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160316)で記した。アメリカのリチャード・パイプス教授(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160316)や『リベラル・ファシズム』(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20141224)の著者の基本的な考え方が、これで裏付けられる(http://www.danielpipes.org/15252/)(http://www.danielpipes.org/15266/)。
中曽根氏は、マレーシアと日本の友好の証として、私の職場であったマラヤ大学の一角に、数本、植樹された。二十代半ばのこととて、そこを通る度に、私達は「中曽根さんの木」と気軽に呼んでいた。1990年代初頭のことである。
ある日、中曽根氏がお忍びでマレーシアを訪問され、日本大使館で突然「あの中曽根の木がどれほど育ったか見てみたい」と、おっしゃったとのことで、職場に電話が入った。「今日の○○時頃にそちらに伺いますので」と大使館員。確か金曜礼拝の日だったかで午後は授業がなく、職員会議の日だったが、慌てて会議室を整え、緊張しながらお迎えした。
今でも覚えているが、中曽根氏がお話になった即席スピーチを、隣に座った男性の日本大使館員がマレー人の代表(オスマン先生)に英語で通訳していたのだが、途中で「君、そこの英語、間違っているじゃないか」と指摘された(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20100322)。
このような場面に同席させていただいたことを、今更ながらありがたく思い出す。スピーチも要領を得て簡潔かつ堂々たるもので、非常に感銘を受けた。
その後しばらくして、一橋大学の女子学生達が私達の職場を覗きに来たことがある。案内がてら「あれが中曽根さんの植樹された木ですよ」と私は指し示したのだが、「中曽根なんて、全然関係ないも〜ん」「どうせODAでしょう?」と無下に却下する態度だった。(こっちが日本の旗を背負って、異文化の中を大変な思いで働いているのに、偏差値の高い首都圏の大学の人は、そういう態度なんだ)と驚いたことを、今でも思い出す。
あれから、日本社会は低迷を辿ることになったのだ。今がその証左である。
しかし、私は中曽根康弘元総理に直接お目にかかれたあの機会を、一生の宝だと思っている。
中曽根康弘氏についての言及が含まれている過去ブログは、こちらを(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090831)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20100329)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120122)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20141108)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150331)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160127)。