ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

今後をどうするか?

ここ数日、一気に涼しくなったのはありがたいのだが、現状および今後をどうするか、積ん読状態だった本を読みながら、ぼんやりと考えている。
1.日本
どうも、近隣諸国からの反日言論と、それに対する日本側からのアンチテーゼが相俟って、何やらきな臭い雰囲気のこの頃。でも、日本が相手の言いなりになって謝り続ければ解決するという問題でもない。言うべき反論はきちんと、しかるべき筋が行うこと。でも、一般人としては、嵐が過ぎるまで距離を置き、その間、知識武装に励むのも一方法かと。
しかし、それにしても、どうしてこんな風になってしまったのだろうか?十代、二十代の頃を思い出しても、まだもっと安定して自信に満ちた方向性が、日本社会に充満していたように記憶しているのだが。
2.世界情勢
同時に、混沌とした中東情勢に絡めて、イスラーム世界全体の何とも形容しがたい混乱と錯綜。これについては毎日のようにメーリングリストアメリカやヨーロッパも含めたニュースを見ているが、あまり精神状態によい影響は与えない。先程、マクニールの世界史(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130519)を読み直してみたが、改めて、欧米諸国の植民地支配や帝国主義干渉に対する反発としてのムスリム過激化というよりは、イスラーム世界全体が数世紀分遅れを取ってしまったことに対する反撃、および、アラブの土地だったはずの(とムスリムは思っていた)ところへ突然国造りを始めたイスラエルが、建国以来、全戦全勝状態にあることから来る、深い屈辱感がなせる業なのだろうと思われる。
政治と信仰が一致しているのがイスラームの特徴でもあるので、人口も居住面積も大きなムスリム同胞の動向は、ほとんど人類史の重要な部分を左右しかねない。そもそも、マレーシアで30年以上も続いている不毛なマレー語訳聖書の問題(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%A5%DE%A5%EC%A1%BC%B8%EC%CC%F5%C0%BB%BD%F1)や「神の名」問題(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%A1%D6%BF%C0%A4%CE%CC%BE%A1%D7%CC%E4%C2%EA)は、キリスト教側の問題というよりは、結局は、マレー人問題にイスラーム復興が絡んでいるからなのだ。本当に、不毛といえば不毛な現象。
そのこともあって、長らく鬱屈した思いでいたところを、2012年1月半ばの突然の出会い(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120114)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120115)と2月上旬のご依頼によって、総計二ヶ月の文通期間を経た上で、3月下旬からダニエル・パイプス先生の著述を訳し始めることになった(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120330)。始めてみると、考え方の方向性が見事に一致していることに驚き、励ましを受けつつ、ここまで夢中になって二年半以上が過ぎたのだが、同時に、この作業がいつまで続くのだろうか、と我ながら思っている。
最初の提案では、コラムだけを訳すように、という指示だった。隔週なので月に二、三本だ。それなら、週に数時間割けば何とか両立できるだろうと、気楽に考えていた。ところが、送られてきた最新コラム二本を見ただけで、それがいかに甘い考えかに気づかされた。一文や一語や一表現の一つ一つが、一体、どのような背景や文脈から出ているのか、当初は皆目見当がつかなかったからなのだ。それに、英語を日本語に直したからといって、すぐに主張が飲み込めるわけでもないことに気づいた。私のように、二十代半ばに計四年間居住したマレーシアについて今も研究を続け、イスラームおよび一神教全体の流れやユダヤ民族史について、学会や研究会などで勉強していても、最初は相当に戸惑ったのだ。無知とか意欲が湧かない、というのではなく、訳出水準の位置づけに困った、ということである。
だからこそ、関連項目のブログや過去のコラムや論考文も、話の流れをつかむために訳出作業を広げ、映像もほぼ全部、極力見るようにし、批判も含めて、ご本人とお父様とお仲間学者の著作にも大半は目を通すようにしてきたのだが、毎度のことながら、あまりにも膨大なお仕事振りに圧倒された。第一、内容が重過ぎ、深刻過ぎるのだ。頭に一気に詰め込み過ぎて、気分的にパンパンになる思いを何度もした。
取りあえずは、最初に一定以上の本数を出しておかなければ、彼の思想の鍵となるポイントや話題の幅がつかめないと考えたので、自分の研究テーマや家事や資料整理などを脇に置いて、必死になって訳業に没頭してきたのだが、この頃になって、どこでどのように線引きをつけるべきかをつくづく思う。まだまだ訳出したいものは相当数あるのだが、ご本人が同時進行的に今も発言や著述を継続する限り、いわばいたちごっこ。それに、訳業の謝礼としては、プロではないので、実はそれほどいただいているわけではない(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120415)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120606)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130322)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140508)。これで生活していこうと思ったら、とてもやっていられない。
実は、中東フォーラムの過去十年間の会計報告を調べたことがあるのだが、収入源としては、ほぼ毎年、順調に上昇している。堅実運営である。そして、何に最も投資しているかと言えば、もちろん訳者にではなく、中東地域での研究調査。当該地への旅行も含めて、情報収集の謝礼も兼ねて、ということだろう。つまり、「イスラエル政府の代理人」としての中東フォーラムでは全くなく、せっせと書いたり喋ったりして資金を稼ぐ他、資金提供者をアメリカ国内でまかない、自分達の趣旨に沿うスタッフを集めて、中東各地の情報収集をしているのだ。ライターが25名、教育啓蒙のプログラムとしては、計75のグループおよび個人が設定されているという。シンクタンクだから、それは当たり前の行為だ。
もっとも、国や文化が異なるので、事象に対する捉え方が違うことは少なくない。でも、一つ一つのことが新鮮で、多くを学ぶ日々であることは確かである。主張に対しても必ずしも盲従するというのではないが、決して無視できるお立場ではないので、一つの参考として、せめて拙い訳文を通してご紹介したい、という気持ちで取り組んでいる。
幸いなことに、二年半前に突然出現した日本の私のことは、非常に好意的に考えてくださっているようだ。一週間ほど前にも

「正直に申しまして、今でも訳業でお仕事をお手伝いするとは、時々ぎこちなく感じます。私はただ平均的な日本人で、先生の輝かしいご経歴は、私とは全く違っています。なぜ私なのか?本当に私はふさわしいのか?しばしば自問します。もし、この出会いが十年前に起こっていたとしたら、その時も同じ態度を私に対して保っていらしたでしょうか?(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140612)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140624)」

と書き送ったのだが、そのお返事としては、

「僕には、一緒に仕事をすることが特権だよ」
「何を仄めかしているのかわからないけど、十年前だって重大な相違はなかっただろうと思うよ」。

とのことだった。ま、アメリカ東部のスマートな応対だと受け留めておこう。
十年前と言えば、まだイラク戦争の余波が生々しい頃で、ブッシュ政権も現役華やかなりし頃のこと。1970年代終わり頃の二十代末からテレビ出演されてきたとはいえ、9.11直後から特に急増したテレビ・ラジオ出演と国内外での討論および講演旅行、特に一連の(カナダやオーストラリアも含めた)大学キャンパスでの騒動付き講演会(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120115)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120126)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120129)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120313)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120505)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20131101)が続いていた頃だ。中東フォーラムの組織も、知名度が上がり、寄せられる資金が急に増えてきたので、オフィスを正式に構えて、徐々に拡大方向へと邁進していた時期である。もちろん、多忙なスケジュールの合間に、コラム書きは隔週ではなく、2008年春までは毎週(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120729)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130620)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140624)。その他にも、長文の論考を合わせて書いていらした。だから、暇そうな私のメールに、今ほど、こまめなお返事などなかったのではないか、と想像していたのだ。
それに、私の方としても、あの頃は大学で悪戦苦闘しながら教えていたし、関連書籍も読むに読めず、混沌としていた。だから、既に訳出した書評の本の何冊かは、当時ならばまだ読めていなかったはずだった。つまり、今ほどには理解度が至っていなかった可能性がある。
ただし、十年前ならば、お歳が五十代と最も脂ののりきった時期だったために、飛行機事故や身の安全以外には、それほど私の方で心配することもなかった。訳者も次々増えて、刺激になっていたことだろう。昨年辺りで、気がついたらアラビア語や中国語やヒンディー語が止まってしまい、今では淋しい限りだ。その代わり、十年前に始まった幾つかの主要な欧州諸言語は、現在も続いている。結局は、それほどの問題意識が当該地域にあるということでもある。
主人は最初から、日本国内でのパイプス批判や悪口合戦には一切目もくれず、「それはめったにない出会いだから、大切にするように」と応援してくれていた(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120129)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120405)。これも、今から考えると本当にありがたく幸せなことだ。
それに、最近も重ねて言った。「英語がわかって、パイプス氏の思想が理解できて、訳すだけの充分な時間と意欲のある人なんて、この日本でそんなにいないよ」「だから、大事なことをやっているんだって、もっと自信を持たなければ。ちゃんとニューヨークでも会ってくれたでしょう?」と(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140508)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140509)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140510)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140511)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140624)。
それにしても、今後をどうするかは、かなり焦っている。