ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

私の聞き取りミス

結局、昨日書いた日本言及に関する「修正」申し入れ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140804)の件は、私が年号を聞き取り違えていたミスだと判明。でも、パイピシュ先生は、時期が時期なだけに、自分のメディア発言に慎重で、「本当に僕はそう言ったか?」とメールで尋ねて来られた。それに、わざわざ私に知らせてきたということは、本当に久しぶりのCNN出演が嬉しかったのだろう。
私の聞き取り能力は、思い込みのせいもあるかもしれない。パイピシュ先生が根っからの左派嫌いで(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20121111)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140718)、中国に関しては、過去に毛沢東賛美者とのテレビ出演を嫌がっていたこともあって(http://www.danielpipes.org/10991/)、つい、そのように聞こえてしまったのだ。
何とお恥ずかしいことに、「1938年」と確かにおっしゃっていたのに「1948年」と勘違いした私。長春への送電を止めるためにダムを破壊して国民党を破った解放軍こと共産党を、イラクのISISと併行して考えてしまった。なので、「戦後三年も経ってのことですから、日本の攻撃なんて無関係じゃないですか?あれは、中国の内戦だったと教わりましたけど」と書いてしまった。つまり、私の頭の中では、イデオロギーの対立に基づく同族同士の殺戮を想定していたことからくる聞き間違いだった。いずれも、地元住民に莫大な被害と死傷者を生み出している。
実は、パイピシュ先生がおっしゃっていたのは1938年の黄河決壊のことで、蒋介石率いる中国国民党が日本軍の進撃を止める目的で、黄河のダムか堤防を破壊したという事例。その結果、何としたことか、敵の日本側ではなく、地元の中国人民の方に膨大な犠牲者が出てしまった。
私が不可解だったのは、戦前に日本に留学していて、犬養毅氏などに保護されていたはずの蒋介石なのに、日中戦争が始まると、日本軍の戦い方を知らずに、逆に自民族を甚大な被害へと押しやってしまったことだ。一体全体、蒋介石という人は、国民党でメソディストのクリスチャンだと聞いていたのだが、よくわからないところがある。それに、高校の世界史では、私の世代はやはり「平和志向」からマルクス主義史観の教科書で教育されていたのであろうか(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20131028)、近現代の中国史については曖昧模糊としたところがあり、この黄河ダムの事例については、恥ずかしながら今まで知らなかった。
さて、パイピシュ先生に「私のミスでした」と率直にお伝えしたところ、温かく受けとめられ、「正しく日付がわかってよかった」と。それに、蒋介石のことについても、以前自著(1997年)で言及されていたこともあってか、少し調べたようで、「あれはひどい結果だったよね」とも。
表面的には、自信たっぷりに堂々と振る舞っているようでも、やはり信用が関わってくるので、発言には慎重なのだ。それに、自宅の部屋は本だらけだと娘さんから聞いていたし(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140511)、スカイプでも背景に本棚が並んでいるので、そんなに本が好きなのかと思っていたが、実は大変らしい。頭を使って知識と言論で身を立てることは、楽なようで難しい。皆、生き残るために必死なのだ。