ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

インテリだから左派?

昨日、主人と話していたら、「それ、文系の人の言っていることが本当だとしたら、よっぽどおかしな考えだよ」と言われた。
昨日のブログ“Forward”と関連するが(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140718)、私がマレーシアを勉強し始めた頃、「貧しい人々の声こそ真実だ」「文字文化のない人々の記憶こそ貴重だ」という一種の学問的な流れがあることに気づいた。つまり、裕福で恵まれた社会階層の人々は、貧しい人達を物質的にも知的にも搾取して、踏み倒した上に楽な人生を歩んでいるという思想から来るものだ。
もちろん、今ではそれがマルクス主義に由来するとわかっているが、当時は、マルクス主義といえば経済と思い込んでいたので、不思議に思いながらも、きちんと追求することを怠っていた。それに、文系で上級の学校に進めば進むほど、左派的な思想を取り入れなければ残れない、という風潮にも気づいていた。
ところが、主人は理系だからなのか、あっさりと言う。「貧しい人が正しいことを言っているなんて、あり得ない。世の中を見たって、うちの会社の中を見たって、やっぱり、きちんと仕事をして、実力があって、質の高い仕事をするから、お金もたくさん入ってきて、地位も上がるんでしょう?人々がそこに信用を置くから、上昇していくんでしょう?貧しくて、ろくな実力も知識もない人を上に立てたら、世の中ひっくり返るじゃないか」。
とすれば、昨日の“Forward”引用については、どう考えればよいのか?
イスラエルの先制攻撃なのか自衛なのかは、今回の紛争勃発の経緯のみに焦点を当てるならば、確かに重要な点ではあるが、そこに研究者がこだわる意図がわからない。“Forward”記事のように、仮に「誰も望まない戦争」だったのに、誘拐されて殺害された「イスラエルの子ども達」三人を契機としたイスラエル側からの先制攻撃だったとすると、当然のことながら、ユダヤ系出版物でありながら、イスラエル批判を企図していることになる。ただし、この件をもっと大きな枠組みで見るならば、イスラエルのことだから、日頃から抜かりなく、何があってもなくても、いつでも戦闘に備えていることは周知の事実。国と民族の存続を賭けて、一度たりとも負けるわけにはいかないのだ。そして、ハマスが「ユダヤ人やシオニストは豚や猿だから、一人残らず殺してやる」などと幼稚園でも歌わせているなど、変な非人道的活動をしていることも周知の事実(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080621)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120528)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120904)。「戦争好きな」イスラエルが攻撃をし過ぎるから、ますますハマスが態度硬化させているのだ、という見方は一見もっともらしいのだが、実はそれほど甘ったるい次元ではない。
必ずしも左翼ではなく、出自としても中流階級に属する研究者が、なぜ「新しくて未知の情報」が含まれているという理由で、左派出版物に依存して論を展開するのだろうか?その左派出版物が、新たに人々を誘導したくて、自分の息子だとかを活用して根拠の乏しい文章を饒舌に語っているのに、どうして信用してしまうのか?
無論、保守系の人々だから信用に足るとは言い切れない。私など、2012年の頃、パイピシュ先生に繰り返しお尋ねしていた時期がある。「面識がないのに、どうして先生は私を信用されるのですか?」と。すると、「信じているよ。疑ったこともないよ」と、きっぱり断言(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120807)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120809)。そうもあっさり信用されると、あえて誤魔化そうなどという気も消失してしまうほどなのだが、娘さんだって、どうしてそこまでお父さんの言うことを信じ切って、外国人の私に開けっぴろげなんだろう、と不思議でさえある(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140709)。
もちろん、英語と日本語のブログで、いろいろと書き綴っているからだろう、とは思うが。
保守派というのは、現状にある程度は満足して、あるいは何とか折り合いをつけて生きている人々だ。また、伝統や過去や歴史を尊重し、そこから学んでいるので、自分の限界をよく見極める態度が身についている。従って、大きな嘘やごまかしがいつまでも通るはずがない、と認識している人々である。だから、誤りに気づくと、比較的素直に謝るのが保守派でもある。保守派というと、狭量で固定化した見方をする人々だというイメージがあるかもしれないが、私がこれまでの人生で国内と海外を見てきた範囲では、保守派の人々の方が礼儀正しく、謙虚で、落ち着いて、そこそこ裕福な暮らしを営んでいるようだ。左派リベラルの人々は、出自としては豊かな階層であっても、どういうわけか、自分とは異なる階層の人々や、頼まれたわけでもあるまいに動植物の代弁者を買って出ているようなところがある(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130625)。そして、概して下品なところが見え隠れしている。日本文学で言うと、自然主義文学みたいな調子だ。
昨晩も、NHKテレビでイスラエルハマスの紛争についてのニュースと解説があったが、そこで専門家として招かれてコメントされていた防衛大学名誉教授の某先生は、随分前に、イランのことで、英語論文でパイピシュ先生を名指しで批判していた。公開論文だったので、パイピシュ先生にPDFでお送りしたところ、すぐに目を通して「まだ日本はそんなことを言っているのか」とご立腹だった(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130920)。2012年春のことである。
確かに、日本国内で日本語で中東を語る場に身を置くと、私のような者には発言の余地さえなく、何ら意味のない訳文活動でしかないように思える。一方、ニューヨークに行って、『エルサレム・ポスト』紙のジャーナリスト氏が深刻な顔をしてパイピシュ先生の昼食会に出席されている場に同席すると、(日本の議論なんて、遅れている!)とつくづく実感させられるのだ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140511)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140512)。
イスラエルのジャーナリストは、自分の国が危機にあるから、真剣勝負にならざるを得ない。そこに、歯の浮いたような和平仲介話など、紛れ込む余地さえない。
パイピシュ先生は、ご自分のインタビューやテレビ出演などの全部をウェブに掲載しているのではない。まだ未掲載のものも相当あることがわかっている(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140707)。毎日、若い頃から分刻みで、自分の決めたルールを厳守して、一生懸命に分析的な言論活動に励んで来られたのだ。討論の場では、絶対に自分が勝てる相手としか勝負しないし、わからないことや知らないことは、あっさりと正直にその旨述べる。(だから最近は、日本言及を少しためらうようになったのだ。私が耳と目を光らせて、逐一確認や修正を入れるからだ。)CFRの会員であることについても(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140708)、「この会合は権威や名声があるから」と正直に述べていた。
やはり、無骨なようでも、誠実に、正直に、事実に基づいてコツコツと論述を継続する方が確かだ。その意味で、「自分はインテリだから左派」と自ら名乗るタイプには、どこか苦手意識を感じてしまう。