ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

判別式

またもやパイピシュ先生(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120612)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120616)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120617)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120618)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120619)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120621)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120623)の話題。これがまた、同じことの繰り返しのようで、案外に、おもしろおかしい人間存在の断片を含んでいるのです。私も、日本の大学での経験や限られた範囲の読書を通して、どこか心当たりがあるので、思い出す度に、何だか笑えて仕方がない時があります。精神衛生上もいいですよね!

それはともかく、人生経験が豊富な上に、大勢の人々に会って黙って人を観察されているからでしょうが、(的確によく見抜いていらっしゃるなぁ)という、一種の安心感があります。繰り返すようですが、直接の面識がないのに(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120120)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120429)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120505)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120616)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120621)、よくこちらの性格をピタリと言い当てられるわねぇ、と。
時々書いてくださるのが、「注意深い仕事ぶりをありがとう」「とても慎重だね」というもの(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120415)。もちろん、文脈によっては、一種の皮肉ということもありましたが(というのは、3月頃、スイスおよびイスラエルへの海外旅行と講演を兼ねていた超多忙な時期など、私が本当に翻訳を引き受ける気があるのかどうか、文化の違いと誤解から、先生ご自身イライラされていたので(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120321)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120604))、大抵はお褒めの言葉です。
アメリカ滞在経験のある主人にもよく聞いてみるのですが、「よく私に依頼されてきたよねぇ。だって、アル・ジャジ−ラに出演した時のアラビア語のトランスクリプトなんて、訳がぐちゃぐちゃらしいよ。日本語なんてもっとややこしくて、本当にきちんと訳せているかどうか、会ったこともないのに、どうやって信頼できるんだろう?」と。
主人に言わせると、「そんなの、だいたいわかるさ。外国語である英語で、これだけメールが書けると言うことは、自分の母語ならもっと書けるということだからさ。それに、ここまでメールをやり取りしてたら、相手の人柄もわかるでしょう?」と。
まぁ、私も、パイピシュ先生のお父様やご自身の著作および映像や古い写真などを拝見して、だいたいこんな風に育ち、こういう性格でこのような考えの方達だろうなぁ、ということは、把握できたかと思いますので...。
それに、マレーシアのような多民族多宗教多言語社会で、何もわからないところから、いろんな人々に会ってきて、それなりに、瞬間でだいたいわかることも多い経験を、私も持っています。
もっと肝要なこととして、私自身もそうですが、ブログに書き続けるということは、嘘偽りがあるなら、どこかで誰かにバレルものなので、そういう意味でも、一種の判別式となっているということでしょうか。
ただ、私がくどいぐらいに繰り返している理由としては、(それならば、どうして日本で今までこういう圧迫感みたいな嫌な経験が、学会でも大学でも続いてきたんだろう?)ということが判然としないからです。いえ、いつもそうだったのでは決してありません。一部の、という感じでしょうか。しかし、その「一部」が、妙に突出しているような印象なのです。いかにも常識外れというような...(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20071128)。
バーナード・ルイス名誉教授(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20100514)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20100615)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20111217)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120129)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120616)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120617)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120620)が、「エドワード・サイ−ド(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20091030)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20091110)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120514)に逆らうと、自分自身の人生が非常に困難になる」という意味のことを書いていらっしゃいました(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/20120510)。その一文を読んだ瞬間に思い出したのは、パイピシュ先生。盛んな文筆活動で抵抗しているのは、一見、パイピシュ先生のように見えますが、実は相当、いじめられたようですねぇ。だから、あまり私生活のことも打ち明けたくないのかもしれない、ですねぇ。
どこかの日本語のブログでちらりと読んだのですが、パイピシュ先生のお父様のリチャード先生が(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120124)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120131)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120505)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120507)、ご高齢にもかかわらず、ロシア関係か何かの学会に出席されて、確か、北大の院生か若い研究者に、いろいろとアドヴァイスもされていたとか。こういう人間関係があるので、日本と言えどもやはり侮れないということ、そして、どこでどのように人がつながっているかわからないので(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110128)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20111001)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110301)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120126)、広い見識を持ち、常に他流試合が必要なことと同時に(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20070917)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20071217)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110122)、狭い専門分野で威張り散らすことの愚かさを改めて思うのです。