ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

フーバー回想録から

本日付の早朝に送ったパイプス先生宛のメール。

ちょうど今、最新のイラクに関するインタビューを聞いています。
http://www.danielpipes.org/14475/iraq-situation

18分の番組の間、15分13秒からの、先生が一例として引用された「混乱した」日本認識について、質問があります。

(ユーリ注:これは、9.11直後から、メディアのインタビューやテレビ討論などで、頻繁に繰り返し例に出されてきたので、耳にたこができるほどである。討論相手から修正されても一貫して変わらない点が、非常に意志強固というのか、頑固な性格の表れである。
今回も「今はイラクに我々の意志を押しつけるようなことはしないが、結局は1945年の日本に対してのように、イラクにもする。非常に強かった敵の日本に、我々が膨大な影響を与えて彼らを変えた。それはとてもうまくいった」と述べていた。それが、日本側にいかに鼻白む思いをさせるように聞こえるか、全く想像もしていないようなのである。
それにも関わらず、「日本でリサーチした」「日本文化を称賛し、好意的だ」などと繰り返すので(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20131124)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20131127)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140218)、こちらとしては真意を測りかねる。さらに、「明治維新の日本」を非西洋圏で初めて近代化に成功した事例として高く評価している、とまで述べるので(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130625)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20131119)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20131127)、余計に話がこんがらがってくる。
長い伝統の積み重ねの末に明治の日本があり、近代列強と肩を並べようとして無理に無理を重ねた挙げ句の太平洋戦争だったとすれば、中東イスラーム学者としての彼が、日本の本質を中途半端に理解したまま、アメリカ人として、対米戦と戦後処理のみ都合良く一例に挙げるから、平均的日本人の私としては、(え?)となるのだ。
だから私は、中東と日本を比べるな、と前から言っているのである(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120609)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130122)。地域情勢が全く異なり、民族性など歴史が違うからである。そこから、昨秋の「マーク氏との喧嘩」にもつながったのだ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20131119)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20131120)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20131124)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20131127)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20131206)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20131210)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20131213)。
そもそも、歴史家だと名乗りつつ、政策決定に関与しようとするから、捻れや歪みが出てしまうのだ。歴史的素養というなら、まだわかる。それにしても、日本はやっぱり「趣味なんですか?」(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140511))

以前のメールで、私は書きました(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140613)。


> でも、我々の伝統や知恵を変える彼らの本当の動機に気づくとまもなく、我々は丁重に彼らから距離を取ります。
> 中国や韓国で働いた宣教師達は、日本に対して批判的な傾向があります。


1945年以来、何人かのアメリカ指導者に導入された左派の影響が実質的に現れたので、1990年代以降、国家としての日本は劇的に弱体化してきたということが、広く気づかれています。非常に限定された軍事力や、社会主義に基づいた平等制度を含む憲法上の問題は、その二、三です。私は、ファシズムが敗北されなければならないことや、アジア太平洋地域でのアメリカ合衆国に対する戦争が全く誤っていたことには全面同意いたしますが、そのようなアメリカ指導者層が、我々の伝統的な知恵や社会秩序や歴史観などまで変えてしまったことを残念に思います。今、ここでは熱い議論になっています。


先生は共和党だと主張されているのに、なぜ、この特定の日本向け議題項目については民主党の立場を取るのか、と私は長らく不思議に思ってきました。2011年にフーバー研究所出版から出されたジョージ・H・ナッシュによる『裏切られた自由:ハーバート・フーバーの第二次世界大戦とその余波を巡る秘史』と題する本をお読みになりましたか?


ここに少し抜粋があります。


1.文書5:種々の好戦的権力に対するフーバーの態度(1944年11月)
「日本に対する私の態度」(1944年11月26日)(pp.823-824)

「片隅に追い詰められて挑発されない限り、日本が我々を攻撃しないであろうことは明らかだった。しかしながら、1940年初期に始まり、暴力増大を継続し、国の誇りや国の絶望が彼らを真珠湾へ導くまで、ルーズベルトは一連の挑発的な行為を行使した。」(p.824)


2.ダグラス・マッカーサー将軍とのフーバーの会話(1946年5月4日5日)(pp.832-835)

「日本戦争全体は、戦争に突入したいという狂人の願望だったと、私は述べた。」(p.833)


3.文書18:7年で19回喪失した政治的手腕の評価(1953年)(pp.875-883)

「17回目。アメリカの政治的手腕の17回目の放浪は、日本人に原子爆弾を投下するトルーマンの不道徳な命令だった。日本が繰り返し和平を請うたのみならず、それは、アメリカ全史における比類なき暴虐行為だった。」(p.882)


4.ルーズベルト政権における共産主義者の影響の探索(1949年11月24日)(pp.864-865)

「フーバーは、ルーズベルトトルーマン政権の間、合衆国政府内の共産主義者の浸透の領域と重要性に、非常に関心を持つようになった。」(p.864)


私の質問:


1.上記についてどう思われますか?
2.日本が今核兵器を持てるという考えに、なぜ先生は問題がないのですか?
3.もし日本に関するこの矛盾する例に言及さえしなかったならば、もっと早く、より多くの日本の友人や支援者を増やしたかもしれなかったのに。

(メール終)

フーバー回想録については、過去ブログ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20131217)を、ルーズベルトについては、過去ブログ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140220)を、日本の核武装については、過去ブログ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140228)を参照のこと。

本日付で届いたお返事。

1.自分は第二次世界大戦の専門家ではないが、真珠湾攻撃ルーズベルトのせいにしたり、1945年に日本の指導者層が死に物狂いで戦争を終わらせたがっていたという主張は、全く誤っているように聞こえる。


2.今日の日本の核兵器開発に関する見解を僕が表明したか?そうは思わない。僕の一般見解は、日本の武装勢力の禁止は時の感情であって、ほぼ70年後には意味をなさないというものだ。日本は国際政治における模範行為者であって、充分に民主的な他諸国の権利の全部を持つべきだ。

(終)

...とまぁ、こういうわけです。何度繰り返してみたところで、ご本人にその気がなければ、多分、見解の修正はないでしょうねぇ。
ただ、スイスのフランス語圏に住むビジネスマンのアラン氏(仏語のパイプス訳者)も、以前、アンヌ=マリー・デルカンブル先生(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130620)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130625)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130626)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130703)とネット上で口論になっていた時に触れていたのだが、イスラームイスラーム主義を区別するパイプス先生の考えには、アラン氏も賛同し難いそうなのだ。アラン氏曰く、「僕だって何度も何度も、この点ではパイプスと論争した。でも、彼は絶対に自分の考えを変えようとしない。それには理由があるんだ。だから、あんた(アンヌ=マリーさん)も、そこのところを理解しなさい」。
その経緯を知っているので、私も半ばあきらめている。でも、4月にお目にかかった時、アラン氏のことを尋ねると、パイプス先生は別に悪くも何とも思っていないようだった。
それに、しばらく前には「日本の国民性について書きかけた未発表原稿があるんだ。未完なんだけど、書けたら送るから読んでね」とも書いてこられた。そういう単純さ、相手の気心を察するデリカシーというのか繊細さに、いささか欠ける嫌いがあるような面がある。

「国民性」ならいいが、日米間の歴史認識となると、これは厄介だ。しかし、新資料が出てきて、新たな解釈を加えるというのは、歴史家の仕事ではないか?イスラエルに関しても、そうなのだ。イスラエルについては絶対に譲らないけれども、ムスリムやアラブ人やイスラームならば、古くても新しくても、自分の範疇に合致すればよろしい...とまぁ、こんな感じかしら?
イデオロギー的な偏向や変更はご免だが、日本側の認識としては、敗戦国民が修正主義に回ろうとしているのではなく、敗戦直後は、国際的な地位回復のために優先順位を逆にしたという側面もあったのでは?いずれにしても、この話題は、関係を維持する以上は、あきらめた方がいいのかもしれない。でも、私は断固、日本人として、また、事実に物を語らせる立場として、その点は謙虚でありたく願う。