ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

壮大なイデオロギーのなせる業

1.ツィッターからの転載を。

https://twitter.com/ituna4011
Lily2 ‏@ituna4011
君主論』 (中公クラシックス) マキアヴェリ(著)池田廉(訳) (http://www.amazon.co.jp/dp/4121600029/ref=cm_sw_r_tw_dp_iRgKtb0GZMWRY … …)が届いた。権謀術数だと高校の世界史で習って以来、何となく敬遠していたが、今の時代、そうばかりも言っていられない。本書は注も多く、読みやすそうだ。

(転載終)

2.フェイスブックからの転載を。

https://www.facebook.com/ikuko.tsunashima
どうぞ。補遺の(1)は、下訳の見直し前にメールで私見を送り、意見交換した後に、追加していただいたものです。元は(2)が(1)の位置にありました。
「ロンドニスタンの展望を先見した1914年の小説」:: Daniel Pipes
www.danielpipes.org http://www.danielpipes.org/14440/

何を意見交換したか。以下は、6月2日にやり取りしたメールの拙訳。
私:

1.二日前(5月31日)、バーナード・ルイス教授が98歳になられました。『シャロームTV』の番組でお話されているところでは、まだお元気そうに見えます(http://pub.ne.jp/itunalily/?search=20519&mode_find=word&keyword=Professor+Emeritus+Bernard+Lewis%3A+Shalom+TV)。番組全部を見たわけではありませんが、ご両親のことを思い出します。ご両親もルイス教授の例に倣われますよう望みます。是非ともどうぞお元気でいらして、長生きしてください!


2. 今、 G・K・チェスタートンの先見の明ある「ロンドニスタン」に関する最新コラムのチェック中です。チェスタートンの作品は、日本語に訳されてきて、今でも日本で幾ばくかよい読者がいるようです。ところで、「ロンドニスタン」やイスラーム化した英国に関連することになると、 私はいつもバーナード・ショウを思い出します。


3. 私が知る限り、少なくとも日本では、バーナード・ショウはG・K・チェスタートンよりももっと広く知られているようです。でも、ポイントは一世紀の後の今、現在の英国の処方箋にとって、どちらの著者がより重要だったかということです。同様に、エドワード・サイードノーム・チョムスキーフランシス・フクヤマ等が、ここの特定の人々の間で広く知られ、まだ影響力があるように見えたとしても、先生がご自身の見解や分析を提供するために勇気を維持されることが重要だと、私は本当に考える傾向にあるのです。

そのお返事:

1.うん、ルイスは僕達皆にとってのインスピレーションだ。
2.どうしてロンドニスタンがジョージ・バーナード・ショウのことを思いつかせるんだい?彼は、これについて何か書いたか?
3.左派はいつでも右派よりうまくやる。権力にある時、状況を混沌とさせる以外はね。

私:

実は、随分前に邦訳書で、バーナード・ショウのイスラーム見解について読んだことがあります。残念ながら、今、正確に本の題目を思い出せませんが、恐らく、著者はC・S・ルイスだったでしょう。(英領マラヤに関する自分のリサーチのために、一般的に英国の宗教遺産を調べる傾向があります。)
「もし何らかの宗教が、次の百年以内に英国を、いや欧州を支配する機会を持ったならば、それはイスラームかもしれない」("If any religion had the chance of ruling over England, nay Europe within the next hundred years, it could be Islam." )
1986年3月に三週間、ロンドンを含めて英国を初めて訪問し、滞在した時、状況が急速にそれほど変化するだろうとは想像できませんでした。

再度のお返事:

これは誤った引用だという印象を持ってきたよ。その話題の議論は、こっちを見てご覧(http://en.wikiquote.org/wiki/Talk:George_Bernard_Shaw)。
本物の引用は『結婚』からで、こうだ。
「世紀末前に、大英帝国全体は、改革されたムハンマド主義を採択するであろうと、私は信じる」。( "I believe the whole British Empire will adopt a reformed Mohammedanism before the end of the century.")
チェスタートンに関する論考文に追加するよ。思い出させてくれてありがとう。

私からもお返事:

どうも!
今、ちょっと思い出しました。C・S・ルイスは『悪魔の手紙』の中で、ジョージ・バーナード・ショウイスラーム見解を批判的に論じました。十年ぐらい前に図書館から借りた邦訳で読んだので、前のメールでバーナード・ショウの正確な引用を示唆できなかったのは残念です。

(2014年6月26日ユーリ追記)
5 June
どうぞ。補遺の(1)は、下訳の見直し前にメールで私見を送り、意見交換した後に、追加していただいたものです。元は(2)が(1)の位置にありました。

ロンドニスタンの展望を先見した1914年の小説 :: Daniel Pipes
www.danielpipes.org

では、ここで上記のやり取りに登場した方々の過去ブログ引用リストを。
(1)バーナード・ルイス教授
http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20100514)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20100615)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20111217)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120129)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120616)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120617)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120620)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120626)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120811)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120830)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20121025)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20121028)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130712)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130715)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/archive?word=Bernard+Lewis)(http://pub.ne.jp/itunalily/?search=20519&mode_find=word&keyword=Bernard+Lewis
(2)バーナード・ショウ
http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/20071020)のみなので、よそ様のブログ(http://earth-words.org/archives/4375)を参考に、なぜ彼の方がチェスタートンより日本では有名だと私が感じたのか、少し説明を。
イギリスの社会主義知識人による運動団体「フェビアン協会」に所属する社会主義者だったことは、確か、高校の世界史の教科書にも写真付きでウェブ夫妻などが掲載されていたと記憶する。そして、人口に膾炙した気の利いた警句が有名だと思う。例えば...
(1)グラスに入っているワインを見て、「ああ、もう半分しか残っていない」と嘆くのが悲観主義者。「お、まだ半分も残っているじゃないか」と喜ぶのが楽観主義者である。
(2)できるだけ早く結婚することは、女のビジネスであり、できるだけ結婚しないでいることは、男のビジネスである。
(3)健全な肉体は、健全な精神に宿る。←?(ユーリ後注:これは本当か?)
(3)エドワード・サイード
http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%A5%A8%A5%C9%A5%EF%A1%BC%A5%C9%A1%A6%A5%B5%A5%A4%A1%BC%A5%C9)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/archive?word=Edward+Said)(http://pub.ne.jp/itunalily/?search=20519&mode_find=word&keyword=Edward+Said
(4)ノーム・チョムスキー
http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%A5%C1%A5%E7%A5%E0%A5%B9%A5%AD%A1%BC)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/archive?word=+Chomsky)(http://pub.ne.jp/itunalily/?search=20519&mode_find=word&keyword=Chomsky
(5)フランシス・フクヤマ
http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%A5%D5%A5%AF%A5%E4%A5%DE)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/archive?word=Francis+Fukuyama)(http://pub.ne.jp/itunalily/?search=20519&mode_find=word&keyword=Francis+Fukuyama
(6)C・S・ルイス
教会の図書棚から借りて『悪魔の手紙』を読んだのは、十年ほど前のこと。また、MITの生協で英語のルイス本を一冊9.95ドルで買ったのは、2005年8月12日のこと(C.S.Lewis, “What Christians Believe” HarperSan Francisco(2005))。そして、『キリスト教の精髄』も買って愛読した(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080627)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080629)。(ユーリ後注:どこに明記されているのか不明だが、いずれにしても、ルイス関連で、ショウがそんなことを言っていたのだと知ったと記憶する。私は、ショウを読んだことがない。)
ふと思い立ってメールを書いたまでなのだが、このように話が展開し、きちんとウェブ上の補遺にも形を留めるまでに発展したというのは、非常にありがたいこと。
もっとも、メール内容を補強するために、自分でも調べてみたのだが、何ともおもしろいことに気づいた。第一、意図したわけでもなかったのに、「バーナード・ルイス教授」「バーナード・ショウ」「C・S・ルイス」と名前が奇妙に重なっている点がおかしい。
1.チェスタートンとバーナード・ショウのロンドンでの1928年のディベートからもうかがえるように、後者は前者の「友好的な敵」だった。チェスタートンは英国国教会からカトリシズムに向かい、キリスト教護教家として執筆したのに対して、ショウの場合は、ナチ政策を支持し、ソ連を理想の国として社会民主主義に強い賛意を示した。
2.チェスタートンは「進歩主義は間違いを犯し続け、保守主義は正されることから過ちを防ぐ」と述べた。
3.チェスタートンの著作がC・S・ルイスをキリスト教改宗へと導いた。
この2番目の言及は、上記の「先生」こと「友達」とまさに同じことを指している。もっとも、どちらが先に言い出したかは明らか。
しばらく前のこと、ある映像を見ていたら、途中で突然、まだ40代頃の若い(!)「先生」こと「友達」が登場したのでびっくりした。西岸の話だったのだが、オスロ合意の条文に書いてないからと、一生懸命、半べそ顔で私見を述べていたのだ。本当に一生懸命で、必死に言葉を振り絞って、西岸はユダヤ人のものだ、と語っていた。それだけのことを公言するのが、ユダヤ共同体の中でさえ、とても大変なのだということが、如実にうかがえる映像だった。
そこで思い出したのは、「パピ」(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20131206)のインタビュー。これは、さり気ないようで、なかなか厳しい家訓のようなものだった。「人と違う見解を持ったならば、きちんと表明しなければならない。それは義務ですからね」と。「義務」と聞いて、日本人ならば引いてしまいそうだが、多分、パピの薫陶をふんだんに受けて育ったのであろう「パピ」の息子さんは、真面目に実践しようとして人から言われなき悪口や非難を浴び、もう泣きそうな表情で語ることが多かったのだろうと思った。
でも、私には本当に、もったいないような得難い出会いだ。何と言っても、学生時代からもやもやと抱いていた疑念を、まっすぐに明快に分析して説く文筆家なのだから。そこで、バーナード・ショウにちなみ、最近知ったソウル・アリンスキーの『過激派のルール』を少し。どうも、オバマ氏やクリントン女史やジョージ・ソロスが、この筋らしいのだ。何と、クリントン女史は卒論を書いて署名まであるという。ロシア系ユダヤ人の両親の元で育ち、シカゴの貧困地区で活動し、60年代の活動家達への影響力は今でも大きいのだそうだ。では、ポイントを一部列挙。
(1)権力は金と人々
「持たざる者」は肉体と血から権力を作り出さなければならない
(2)味方の専門家と外出するな。知識がない事柄を避けよ。
だから、過激派は「本当の」問題を語らないのだ。
(3)敵の専門家と外出せよ。無関係の議論をして、相手に不安定や懸念や不確実性を増やせ。
(4)敵をルールの本に達するよう生きさせよ。
(5)馬鹿にすることは、人の最も有能な武器だ。譲歩に敵を引き込め。
(6)楽しくない活動を避けよ。結果をもたらす仕事を楽しめ。
(7)圧力をかけ続けよ。
(8)脅威は普通最も恐るべきものだ。自身の集団的心を作り出せ。
(9)大衆を負け犬に同情させよ。労働組合はこの戦術を使った。
(10)うまくいく攻撃の代価は、建設的な代替だ。
(11)対象を選び、凍結させ、個人化させ、分極化せよ。
どこか心当たりがあり、何ともぞっとさせるルールだ。気をつけなければならない。
さて、最後にお口直しを。カフカだ。

Franz Kafka (3 July 1883 – 3 June 1924) Franz Kafka died in Klosterneuburg, Lower Austria, Austria on this day in 1924 (aged 40). His body was brought back to Prague where he was buried on 11 June 1924, in the New Jewish Cemetery in Prague-Žižkov.

"In this love you are like a knife, with which I explore myself."
–Franz Kafka, Letter to Milena Jesenská (14 September 1920)

In 1919 Milena Jesenská, a Czech journalist, writer and translator, discovered a short story (The Stoker) by Prague writer Franz Kafka, and wrote him to ask for permission to translate it from German to Czech. The letter launched an intense and increasingly passionate correspondence. Jesenská and Kafka met twice: they spent four days in Vienna and later a day in GmEventually Kafka broke off the relationship, partly because Jesenská was unable to leave her husband, and their almost daily communication ceased abruptly in November 1920. They meant so much to each other, however, that they did exchange a few more letters in 1922 and 1923 and Kafka turned over to Jesenká his diaries at the end of his life.

"....wrote him to ask for permission to translate it from German to (sic) Czech. The letter launched an intense and increasingly passionate correspondence. Jesenská and Kafka met twice: they spent four days in Vienna and later a day in Gmünd."
私:This happened almost one century ago. Unfortunately, we have now become more realistic....

(2014年5月10日付フェイスブックより転載)

ところが、これも邦訳があるらしい。彼女について書いた本を読んで感激した方のブログによれば、なんと「カフカの恋人だったミレナは、1940年10月、ドイツのラーヴェンスブリュック女性強制収容所で死を迎えた」のだという。その後、社会主義スターリン独裁制ヒトラーを経験した、収容所で出会ったミレナの女友達は、『スターリンヒトラーの囚人として』という著作を刊行したようだ。

つまるところ、今日のブログは、一連の壮大なイデオロギーのなせる業を織物のように描いてしまったのだ。