ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

「エリヤの外套とエリシャ」

昨日のブログに続き、今回は列王記(上)19章19−21節の「エリヤの外套とエリシャ」の話をモチーフにする。
ロシア史や共産主義の専門でもないが、日本はロシアの隣国であり、日露戦争北方領土問題でも無視できない大国のため、御子息とウェブ上で偶然にも知り合って以来(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120113)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120114)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120330)、常に御父上のリチャード・パイプス教授の御著書を念頭に置きながら、この6年間を過ごしてきた(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180528)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180529)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180601)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180602)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180607)。

2015年には、最後の著となった“Alexander Yakovlev: The Man Whose Ideas Delivered Russia from Communism”を北イリノイ大学から出版されている(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20161115)。2017年11月5日付のスペインの新聞でも、「共産主義は歴史を持つが将来はない」と題するインタビューに応じられていた(https://www.libertaddigital.com/cultura/2017-11-05/richard-pipes-el-comunismo-tiene-historia-pero-no-futuro-1276608596/)。恐らくはロシア革命100周年に合わせてのものだろう。

そこでホッとされたのか、今年に入ってから体調を崩されていたようである。だが、何とか百歳まで気力を保たれることだろうと思っていたところだった。
何よりも、著書を手に入れたは良いが、全部読み通したのは6冊のみ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180528)。勿論、専門外なので時間がかかり、読む時間そのものもなくて、なかなか読めない。読んだとしても即座に理解に至れたとも言い切れず、ご高齢かつ著名な学者にお会いするには、準備不足もいいところ。しかも、お尋ねしたいことは山程あっても、「まずはこれを読みなさい」等と指導されそうで、なんとも後さずりしそうな圧迫される雰囲気を感じていた。

それに、本来は、御長男から突然、イスラーム関連のウェブ訳文を頼まれたために、恐れ多くも偶然につながったというだけである。大量の執筆を訳す作業だけでも大変だったが、派手派手しく活発なメディア上の政治活動と大量の文筆業と国内外の目まぐるしい講演旅行が同時進行している執筆者の人となりや批判する側の論理を理解するだけでも、相当な負担ではあった。その御父上ともなれば、もっと重厚で謹厳な学究肌なのだろうと、圧倒されていた。

専門家やロシア史を勉強している方ならば、もっと理論的かつ具体的な批評も出せるのだろうが、私は非専門領域なので、その資格は全くない。日本語のウェブサイト上では、レーガン政権時代のチームBの役割に関して、さまざまな論評もどきが出ているのは知っていたが、一次資料を見たわけでもないため、何とも判断し難いところである。

私が確実に言えるのは、御長男のダニエル氏と、4年前にニューヨークでお会いした二番目の孫娘さんから知り得た、リチャード氏に関する極僅かな私的断片のみである(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140508)。しかも、当時の生き生きとした光景は、ここ二、三年の御家族を巡るさまざまな状況変化によって、全てが一気に瓦解するような経験をした(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180319)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180604)。

私生活では、戦前のポーランド時代にワルシャワで数ブロックの距離に居住していた幼馴染みの女性と米国のコーネル大学で再会し、最期に至るまで忠実な伴侶として支え合った御夫妻であった。

あれほど多忙な学究生活なのに、いや、多忙だからこそなのか、年に一度は別荘に三世代が集って夏を過ごし、お孫さん達やお嫁さん方も含めて、皆で一緒に国内外の旅行に出掛けたり、家族のどなたかが受賞すると三世代総出で式典に参加したり、お孫さんの卒業式にも御夫妻で出席されたりしたようである。つまるところ、ポーランドからナチの迫害を逃れて、新天地アメリカでたっぷりと与えられた自由なチャンスを感謝しつつ最大限活用して、家庭内では、充実した暮らしを送っていらしたようだ。

日本に関しては、一次資料で確認できる限り、1970年代から1980年代にかけて、東京、京都、神戸の六甲、北海道に来られたことがある。1970年4月2日の東京では、アメリカ文化センターにて、慶応大学の気賀教授、中央大の石川氏、法政大学の中西氏、日本貿易振興会(?)の西村氏、(当時)東京都立大学の安平哲二教授、著述家の大原氏等との会合に出席された。御次男が学ばれた六甲の高校の卒業式に出席された他、六甲でのセミナーにも参加なさり、和風旅館で浴衣を着たり、和食を召し上がるなど、御夫妻で日本文化を楽しまれたようである。アジアでは他に、中国、韓国、フィリピン、マレーシアのペナン、インドネシアのボロブドール等を来訪された。

素人なので、拝読しただけではわからないことが少なくないが、基本文献として、今後も時間をかけて、繰り返し理解を深めていく努力が求められるのであろう。瞥見の限り、邦訳書は四冊のみとなっているが、英語原書は、それほど小難しく書かれているわけでもない。C-SPANの記録映像(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180528)と兼ね合わせて読み進めていくことで、ある日突然、合点がいく経験を何度かしている。

訃報に際し、故国ポーランドや出生地のチェシン市長から賛辞と追悼記事が幾つか上がっていた上、米国内や英国の主要新聞と雑誌でも追悼文が相次いだ。カナダの外務大臣からも、ツィッター上で御遺族宛に哀悼が寄せられている。詳細は、御長男が自分のツィッターで連日のように紹介されたので、ご興味のある方は参照されたい。

旧ソ連の崩壊のみならず、ウクライナ等の東欧共産圏下にあった人々にとって、リチャード氏の学究書と大胆な政治活動が大きな励みと指針になったであろうことは間違いない。

恐らくは、リチャード・パイプス氏の業績に関する本当の評価は、喪が明けて、もし御遺族か近くの学者や著述家筋がまとめた資料等ができるとすれば、その後になるであろう。御遺族が存命中の場合、差し障りがあることもあるが、お孫さんの中から、今後、リチャードお爺様から受け継いだDNAが隔世遺伝的に現れてくる可能性も、皆無ではなさそうである。

そのような事情も踏まえた上で、現在のところ、以下のような点に疑問を呈したい。

(1)数々の訃報記事では、1989年11月9日のベルリンの壁崩壊と1991年12月のソ連邦の解体により、事実上、冷戦の勝利へと米国を導くことに多大な貢献をされたことになっている。では、なぜ現在、米国の大学やメディアではリベラル左派が席捲するようになったのか?


(2)1980年代の2年間のレーガン政権での貢献が華々しく描かれる反面、その前後のロシア史その他に関する業績について、訃報記事で触れられることが殆どないのは、なぜなのか?特に、晩年の2015年までの著述に関する評価はどうなのか?


(3)御本人は、民主党に籍を置いたまま共和党政権で経歴を残し、「保守派アナーキスト」だと自称されたそうだが、それはどういう意味なのか?


(4)御逝去に際し、共和党保守派内部の対抗軸に位置しているパット・ブキャナン氏は、パイプス氏に関してどのような見解だろうか?


(5)欧州移民の一世が米国の首位大学で学術研究と学生指導に従事し、米国外交の中心を担ったという事例について、仮にホロコーストがなかったとしたら、米国史上、知的外交に関して、どのような相違が観察されただろうか?


(6)御本人はインタビューでも誇らしげに「我々が歴史に関与した」と述べている。確かに、旧ソ連のみならず、出身国のポーランドユダヤ系が多いウクライナへの貢献は大きい。ソ連崩壊は、アメリカの外交政策のみによるのか、それともソ連国の内部崩壊によるものかは、判断が分かれるところであろう。さらに、共産主義を奉じる国には、現在もなお、中国、朝鮮民主主義人民共和国北朝鮮)、ベトナムラオスキューバが残っている。従って、アメリカ人のロシア専門家としては勝利したが、共産主義の研究者としては、未完のままであるとも言えるのではないだろうか。


(7)奇しくもリチャード・パイプス氏の逝去の2日後に、バーナード・ルイス氏も101歳で旅立たれた。両者は長年、家族ぐるみのお付き合いがあり(http://ja.danielpipes.org/article/16785)、ダニエル・パイプス氏は、父親からイデオロギーの枠組みと世界観や歴史観を、ルイス氏からイスラーム学識を、真っ直ぐに受け継いで現在に至っている。そのために便宜も大きかったであろう反面、論争や非難の対象にもなりがちで、経歴そのものに困難を招いた部分が否定できない。御尊父亡き後、氏がどのように活動を展開させ、政治文筆活動に決着をつけていかれるかがポイントとなろう。

重要な点は、ドイツとロシアに常に交互に支配されていたポーランドの出身者であるということである。しかも、家の中ではドイツ語(イーディッシュ?)を、路上や学校ではポーランド語を話す二重言語生活であり、十代半ばまで、カトリックポーランドにおける同化ユダヤ人として、宗教的にも二重文化を営んでいた。その後、外務大臣と通じていた父親が入手した偽造文書によって、奇跡的にナチの迫害を逃れて、イタリア、ポルトガル、スペイン経由で米国に入国することができ、新天地での生活が始まった。ロシア国内のポグロムホロコーストで親戚や友人を失った分、命を大切にし、時間を無駄にせずに、学究を通してモラルを広めることに人生を捧げる決心をし、ロシア語の習得と米国空軍での諜報活動の経験を生かして、ハーヴァード大学で博士論文を作成し、学究生活に入ったのだという。

初めての息子さんが生まれた時、(自分の生まれ変わりだ)と思い、記念に喫煙習慣を断ったそうだ。194センチほどの大柄な息子氏だが、生後まもなく、背広を着てネクタイを締めたリチャード新米パパにしっかりと抱かれたちっちゃな赤ちゃんの姿を、私はお写真で拝見している。

だが、後に同じくハーヴァード大学から博士号を授与された御子息との重要な相違は、以下の点に表れる。

(1) 研究上、習得した言語(アラビア語)に生活実感が伴っていたかどうか。
(2) 軍隊経験(軍事上の諜報訓練)の有無。
(3) イデオロギー上の全体主義や過激派への嫌悪から、共産主義イスラーム主義を対比併存させて思考を組み立てている。共産主義思想は、19世紀に主にカール・マルクスから生じたと考えられるのに対して、イスラームは、預言者ムハンマドの7世紀に端を発する。父親同様に、敵対するイデオロギーを「打ち負かす」ことは至難の業であり、またその手段の是非も問われるべきである。

父親の知的枠組みを受け継いで自分の活動に援用した御子息については、まだ活動中であるが故、詳述は困難であるが、一つの参考までに、以下の書を挙げておきたい(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20151218)。

Richard Bonny, “False Prophets: The ‘Clash of Civilizations’ and the Global War on Terror”, Peter Lang, 2008.

特に第4章の描写が、非常に示唆的である。

バーナード・ルイス教授についての過去ブログ引用リストは、以下に。

http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/archive?word=Bernard+Lewis


・2016-12-08   Legacy of the late Edward Said
・2016-02-25   Translations of the Qur’an
・2015-10-31   PM Netanyahu vs. Husseini (4)
・2015-10-25   PM Netanyahu vs. Husseini (2)
・2015-10-06   Anti-Semitism in the ME Studies
・2014-09-06   Rev. Dr. Mark Durie
・2014-07-01   Protestant Reform in Islam?
・2014-05-09   The closing mind at academia
・2014-04-03   Book lists by Dr. Martin Kramer
・2014-02-18   Islam’s Second Crisis
・2013-12-05   The Mythistory of the Crusades
・2013-12-03   Iran vs. Israel
・2013-12-02   Islamism and Islamists
・2013-10-20   Arabism (3)
・2013-04-14   Saidian pseudo-scholarship
・2013-04-05   Prof. Emeritus Bernard Lewis (6)
・2013-03-09   Lars Hedegaard and Islam (1)
・2013-01-29   Antisemitism in Iran
・2012-11-03   Islamic Europe?
・2012-09-22   The late Edward Said’s influence
・2012-09-17   Prof. Emeritus Bernard Lewis (5)
・2012-08-30   Prof. Emeritus Bernard Lewis (4)
・2012-06-20   Prof. Emeritus Bernard Lewis (3)
・2012-05-19   Prof. Emeritus Bernard Lewis (2)
・2012-05-10   Prof. Emeritus Bernard Lewis (1)
・2012-05-03   Learn from the past to live now
・2012-01-13   Dr. J. Esposito and Dr. D. Pipes
・2007-12-30   Arab & Muslim Anti-Semitism
・2007-10-16   Article from Global Politician

(リスト終)

http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%A5%D0%A1%BC%A5%CA%A1%BC%A5%C9%A1%A6%A5%EB%A5%A4%A5%B9)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=Bernard+Lewis


・2016-07-09   危険な思想から身を守る
・2016-07-08   イラク参戦を巡る英国報告書
・2016-03-09  恐ろしい暴露話
・2015-10-12   バーナード・ルイス関連のメモ
・2015-10-09   自信を持ち過ぎると....
・2014-06-05   壮大なイデオロギーのなせる業
・2014-03-06   知的詐欺は許さない
・2013-07-15   翻訳の意味について
・2013-07-12   ある中東歴史家の回顧
・2012-10-28   西洋におけるイスラーム
・2012-10-25   一つの回顧とまとめ
・2012-08-30   夏の終わりに想う
・2012-08-11   人文系大学の政治的傾向
・2012-07-29   長崎旅行から帰って
・2012-06-26   判別式
・2012-06-20   現代の反ユダヤ主義と反セム主義
・2012-06-17   誤解された知識人?(2)
・2012-06-16   誤解された知識人?(1)
・2012-01-29   ツィッターは続く
・2011-12-17   ツィッター文を転載しました(1)
・2010-06-15   手間暇がかかる作業
・2010-05-14   インターネットよりも本を

(リスト終)