ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

自信を持ち過ぎると....

http://hirobuchi.com/archives/2015/10/post_700.html


October 09, 2015
「一億総活躍社会」は疲れないか?


一億総活躍などと唱えると、昔の首相経験者で、在任中もその後もろくなことができなかった連中が、「そうだ。俺たちもまだまだ必要とされているのだ」と勝手に思い込み、ただマスコミに出たい一心で現役の首相のすることなすことに難癖をつける醜悪な社会が、再現するのではないでしょうか?

(部分抜粋終)
「一億総中流」という言葉が流行ったのは1970年代から80年代半ばにかけてだったか。人口縮小社会に突入しているというのに、どうして「一億」が変化しないのだろうか。
...と書いていたら、コメントがついた。追記として以下を。

http://hirobuchi.com/archives/2015/10/post_700.html#comments


・「1億云々」という言葉はかつての「国民運動」の蒸し返しと取られる可能性が高く、使うのは控えるべきでしょうね。
・今回の「一億総活躍」はセンスがなく、これを進言したブレーンは早急に取り替えるべきでしょう。

(部分抜粋引用終)

久しぶりにmugiさんブログからの抜粋を(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20141024)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20141227)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150123)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150209)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150214)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150218)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150312)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150406)。

http://blog.goo.ne.jp/mugi411/e/2cc28d44ea2532adf2633aa272a53d13


・最盛期のイスラム世界では、イスラム以前の異教の夥しい古典がアラビア語に翻訳されたが、全てを正確に訳したのではなかった。中世の翻訳活動においての選択基準は役に立つかどうかであり、役立つと判断したものを訳していた。つまり第一に医学、天文学、化学、物理学、数学を翻訳し、さらに当時は有用だと考えられていた哲学も訳した。


・どんな種類であれ文学は翻訳されなかった。中世のイスラム世界でギリシア語からアラビア語に翻訳された作品の厖大な目録からも、詩人や劇作家、歴史家は見当たらなかった、と著者は言う。関心の的にならなかったため、翻訳計画一覧にも姿がない有様。これは明らかな文化的拒絶であり、役立つものは異教徒からでも取るが、彼らの馬鹿げた考えに注目したり、劣った文学を理解しようと務めたり、意味のない歴史を研究する必要はなかった訳だ


・中世イスラムは非常に歴史志向の強い社会であり、豊かで多様な歴史文献を生み出したが、やはり中世のムスリムムスリムの歴史には関心を持たなかった。さらにイスラム以前の歴史にも、コーランで言及されている個所に多少の関心は払っても、それ以外は無関心であり続け、異教時代の自らの祖先にさえ殆どそうだったという。さすがにオスマン朝トルコ人は隣人の歴史に少しばかり関心を寄せたが、このようなテーマはあまり高く評価されなかったらしい


ムハンマド自体が“最後にして最大の預言者”なので、ユダヤ教キリスト教は過去の滅びゆく宗教と見なされており、キリスト教徒やユダヤ教徒、まして多神教徒の歴史は学ぶ価値なしと、唯我独尊になってしまったのだ。現代でもイスラム原理主義者はそう見ているはず

(部分抜粋引用終)

上記の抜粋は、バーナード・ルイスの邦訳書の要約。バーナード・ルイス教授については、ダニエル・パイプス先生がインスピレーションの源泉と仰ぎ、お誕生日にご自宅までお祝いに伺っている。2015年6月1日付のフェイスブックより、マルティン・クレーマー先生のフェイスブックのシェアを。

https://www.facebook.com/ikuko.tsunashima/allactivity


Today, Bernard Lewis marks his 99th birthday. In May 1916, Sykes and Picot concluded their agreement to partition the Ottoman Empire, and Bernard Lewis came into the world. Bernard has proved to be more enduring. Daniel Pipes and I visited him at his home outside Philadelphia in February, and Daniel took this photo: right to left, Buntzie Churchill (Lewis’s companion who assisted him with his memoirs), Bernard, and myself. Bis hundert und tzvantzig—until 120!

(転載終)

ダニエル・パイプス先生がバーナード・ルイス教授に言及された拙訳リストは、以下に。
http://www.danielpipes.org/11572/)(http://www.danielpipes.org/11608/)(http://www.danielpipes.org/11786/)(http://www.danielpipes.org/11825/)(http://www.danielpipes.org/11975/)(http://www.danielpipes.org/12018/)(http://www.danielpipes.org/12050/)(http://www.danielpipes.org/12188/)(http://www.danielpipes.org/12256/)(http://www.danielpipes.org/12508/)(http://www.danielpipes.org/12863/)(http://www.danielpipes.org/12891/)(http://www.danielpipes.org/13262/)(http://www.danielpipes.org/13355/)(http://www.danielpipes.org/14382/)(http://www.danielpipes.org/14424/)(http://www.danielpipes.org/14738/)(http://www.danielpipes.org/14890/)(http://www.danielpipes.org/15425/)(http://www.danielpipes.org/15772/)(http://www.danielpipes.org/16096/)(http://www.danielpipes.org/16101/

過去の英語ブログから(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/archive?word=%22Bernard+Lewis%22)。

•2012-05-10 Prof. Emeritus Bernard Lewis (1)
•2012-05-19 Prof. Emeritus Bernard Lewis (2)
•2012-06-20 Prof. Emeritus Bernard Lewis (3)
•2012-08-30 Prof. Emeritus Bernard Lewis (4)
•2012-09-17 Prof. Emeritus Bernard Lewis (5)
•2013-04-05 Prof. Emeritus Bernard Lewis (6)

ルイス教授に関する日本語ブログのまとめは、こちら(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140605)。