ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

トルコについて考える

3月の学会後の懇親会で、トルコ駐在中の外交官のいとこがいるという人から、いとこ氏が赴任先のトルコ滞在をとても嫌がっているという話を聞きました。行ったこともない国のことを無責任に語る資格はないと承知の上で、(その感覚って日本人としては真っ当ではないかしら?)と感じた次第。
その理由は、大島直政イスラムからの発想講談社現代新書6291981/1991年 第12刷)にあります。本書については、過去ブログ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120113)と2013年5月12日付ツィッターに記しました。

https://twitter.com/ituna4011 Lily2 ‏@ituna4011 12 May 12

イスラムからの発想』(講談社現代新書 629) 大島 直政(著) (http://www.amazon.co.jp/dp/4061456296/ref=cm_sw_r_tw_dp_5LNRpb0HWGE1F …)を中古で買い求めました。図書館から借りると、ノート取りなどに時間がかかり過ぎ、返却催促が気になるので。 大島氏は既に逝去されたそうですが、よく書いてくださったと感謝!)

もう一つの理由は、2007年3月のイスラエル旅行(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080509)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120115)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120309)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120321)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130403)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130516)でご一緒させていただいた元中学教師の女性の話。お姉さんと一緒にカタールの飛行機でトルコ旅行をされたそうですが、パウロゆかりのキリスト教の遺跡やブルー・モスクなどを見学した後、「食べ物はおいしかったし、遺跡も素晴らしかったけれど、全体的にトルコは雰囲気が暗かった」「トルコ人ガイドは、英語が話せたし表面的には愛想がよかったものの、一度不明な点を尋ね直すと、途端に機嫌を損ねた」などというエピソードを披露されていました。
その他の理由には、トルコ領域内の極少数派のキリスト教共同体において、殺害されたり迫害にあったりするなどの事例がしばしば発生することを1980年代の学生の頃から読んでいたからでもあります。
政教分離し世俗化に成功したと賞賛されて有名だったトルコも、2002年以降、公正発展党が政治主導権を握るようになり(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130103)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130214)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130625)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130628)、経済の表向きの発展はともかく、数年前に某大学でエジプト人ムスリムの先生が(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20071025)「今はトルコではモスクがいっぱいある」とうれしそうに喋っていた姿を横目で見ながら、内心(だからトルコは元からムスリム社会なんだってば…)と一人で納得していた私。
日本政府の公式見解では、「トルコは中東」に含められているとの由。私もそれで妥当だと思っています。1920年代初期にアタチュルク革命があってもなくても、それもこれも、15世紀にコンスタンティノープルイスタンブールになった時点で、トルコは中東のムスリム世界。ピリオド。
ところが、NATOの一員でもあり、欧州連合加盟の悲願が訴えられるにつれて、かのダニエル・パイプス先生も過去に「トルコはアメリカの同盟だ」と主張するのみならず「トルコが欧州連合に加盟しても自分としては構わない」と書いていた時期がありました。若い頃、イスタンブールトルコ語学習をされた時期があったこともあり、オスマン帝国時代のパレスチナ(現イスラエル)地域支配を尊重されてのことかしら、と想像しつつも、私としてはいささかびっくりし、見解の相違をまざまざと感じたことでした。エリート高級軍人の知人やイスタンブールの華やかな知的エリートとの交流から、西洋化世俗化をここまで達成したならば、欧州連合に含めることでムスリム諸国からも西側の味方を増やしたいという意図だったのでしょうか。
その点、ある程度、通史としての聖書翻訳や教会史などを中心に勉強しておくと、世界史を見る時に大変役立つと、経験上、思っています。そして、パイプス先生はやはり世俗ユダヤ人だな、と改めて実感した次第…。
この7月に入って、ちょっとおもしろいメール交換がありました。モルシ大統領の解任騒動を巡るエジプト動乱で相当にお疲れの様子でしたが(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130713)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130715)、それはそれ、これはこれ、と私にはきちんとお返事をくださったトルコ談話です。
7月7日付メールで、私から質問をお送りしました。

2013年6月19日付の最近のコラム『トルコの暴動が意味するもの』(http://www.danielpipes.org/13057/)や以前の二本の邦訳文に関連して(http://www.danielpipes.org/12135/)(http://www.danielpipes.org/12477/)、フェトフッラー・ギュレンと彼の運動について基本的な質問をさせていただきたく思います。


私は一度も彼や彼の運動を現代ムスリム改革運動だと考えたことがなく、最初から政治的イスラーム運動あるいはイスラーム主義だと思っていました。それには二つの理由があります。


(1) 過去に何度か言及した日本人イスラミストの教授(ハンバリ学派でワッハーブ主義)が、2000年4月と2001年3月にフェトフッラー・ギュレンについて論文を書きました。ギュレン運動をはっきりとイスラーム主義のトルコ集団の一つだと範疇化しています。


(2) 2006年にロバート・ハント博士が編集した『グローバル化した世界のムスリム市民:ギュレン運動の貢献』という本を持っています(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080925)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20081028)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130628)。(その中の184ページには、先生の『神の道:イスラームと政治力』(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120114)の第二版(2002年)が引用されていました。)ハント博士はギュレン運動を、スーフィ伝統と正統派イスラームの融合において現代世界に合致しているとして、肯定的に描写しています。しかしながら、その本を瞥見の限りでは、その運動に対する私の印象は、これは知的イスラミストの思想だというものでした。表面的に、ギュレンのアプローチは平和的で洗練されていて現代化しているように見えますが、その中身は明らかにイスラーム志向です。


私の質問は、フェトフッラー・ギュレンと彼の運動について、先生は見解を肯定から否定に変えられたのかどうかということです。もしそうならば、いつ、なぜなのかお尋ねしてもよろしいでしょうか?


例えば、2005年8月には、先生はこのように書かれました。
「結局のところ、トルコの数百万人の信奉者を持つ組織の指導者フェトフッラー・ギュレンは、最も優れたヌルシの生ける弟子である。私は彼の運動と素晴らしい関係を持っている。」


しかし、2010年6月には、このように書かれました。
「第一に、トルコは世界で最も洗練されたイスラミスト運動をもてなしている。公正発展党のみならず、フェトフッラー・ギュレンの大衆運動もである。」


そしてまた、季刊中東誌の論文も、その知見において変化したように思われます。1998年9月号の『トルコのイスラームの穏健な顔』から2009年冬号の『フェトフッラー・ギュレンの壮大な野心:トルコのイスラミストの危険』です。


イスラミスト達がウェブサイト上で先生の著述を読み、非ムスリムとしての先生の見解に対抗してどのように闘うかのヒントを得ているのではないかと、時々私は心配になります。」

そのお返事が、数時間後の翌日に届きました。

あんたって、一つも事を見逃さないねぇ!
2005年頃まで、僕は単純な経験法則を持っていたんだ。僕のことを尊敬してくれるムスリムなら誰でもイスラミストではないって。その後、イスラミスト達がこれをわかっているから何人かが尊敬しているのだと僕は悟った。だから、自分の法則はもはや機能しないってわけ。それ故に、ギュレンに対しても変化したんだよ
。」

思わず笑いを誘われたというのか、それはいくら何でも判断が甘過ぎないか、と思った私。いかにもアメリカ人らしい楽天性というのか、単純さというのか…。人を信用し過ぎる上、余程、ご自身に自信があるのか何なのか…。やっぱり「かわいいおじさま学者パイピシュ先生」ですよね?(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120508)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120528)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120607)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120616)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120627)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120804)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120812)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120924)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20121101)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20121128)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20121129)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20121230)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130405)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130516)普段は威風堂々と振る舞っているようでも、あまりにも率直で子どもみたい。
広範囲にわたって旅行を数多くされてきたようでも、結局はお父様譲りの理論構築と文献研究が中心で、後はご自分に味方してくれる取り巻き(?)の人々のもたらす各種情報にかなり依存して判断し、分析されているのかもしれませんね?または、ユダヤシオニストである以上、ムスリム全般とは対決状態にあるという前提から、自分に好意的に遇してくるムスリムならば、自分の仲間の範疇に入ると簡単に信じてしまったのかもしれませんね?もっとも、かなり幅広いテーマをたくさんお持ちで、人の数倍も多く働いてこられたので、いちいち吟味する余裕などなかったのかもしれません。
そこで私はお礼がてら書きました。

お返事をありがとうございます。いえ、私はただ、フェトフッラー・ギュレンと彼の運動に対する先生の過去の態度が気になっただけです。今では米国でも影響力のあるその運動について、先生がちょっと楽天的過ぎたようだと、私は思いました。


ムスリム世界からも西洋諸国からも地理的な距離があるために、イスラーム主義やイスラミスト達のこととなると、感情的心理的な障壁から私は自由なのかもしれません。ある日本人ムスリム達は、世界中のイスラーム運動について日本語で書いていますので、全体的に彼らが戦略として何を心に抱いているか把握することが、私には時折もっと容易なことがあります。」

ギュレン運動のドキュメンタリーについては、ドイツ語でどうぞ(http://pub.ne.jp/itunalily/?search=20519&mode_find=word&keyword=Fethullah+G%C3%BClen)。パイプス先生がお住まいのペンシルヴェニアでの活動状況も映像に含まれています。

もう一つは欧州連合とトルコの関係についてで、パイプス先生が「トルコは欧州の一部ではなく、欧州連合の正会員になるべきではない」と書かれたブログを最近訳しましたので、2013年7月16日付メールで、気になった疑問点をお尋ねしました。

私はトルコがヨーロッパ諸国の一つに含められたなどと一度も考えたことはありません。また、決してそうなることもないでしょう。


2010年1月に駐日トルコ全権大使が京都でなさった講演をお聞きした時でさえ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20100131)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20111009)、私はその考えに同意もしなかったし、支持したいとも思いませんでした。その講演の目的は、日本の聴衆者に、トルコの欧州連合加盟の願いを理解し支持するよう説得することでした。


トルコはNATOの一会員です。トルコは数十年間、世俗国として自らを維持しようと努めてきましたし、部分的に‘西洋化’してきました。また、トルコは欧州諸国と幾つかの政治的連携を持っています。


でも、トルコは偉大な民族的誇りと長い歴史を持つ大きなムスリム国であったのです。


ところで、W.C.スミスhttp://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120729)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130625は雄弁に記しました。「トルコの人々はムスリムである。この事実は充分よく知られている。それが深く重要な事実だということは、あまり広く認められていない(1957:161)。」


そこで私の質問です。もし私の記憶が誤っていなければ、2002年以来、公正発展党が強力になるまでは、トルコはアメリカの一同盟だと先生がお考えだったと、どこかで読んだと思います。先生は、もし公正発展党やギュレン運動のような他のイスラミスト集団がトルコの政界で浮上しなかったならば、トルコは欧州連合に加盟することができるとお考えでしたか?

数時間後に早速、短くお返事がありました。

考えていたよ。それに、ヨーロッパの一部だと見なしてはいなかったのもの、欧州連合のトルコ会員資格を奨励した。それは、人には理解できない、ましてや、ちょっと数年後に正当化もできない意見の一つだね。」

ウェブ上の読者とのやり取りでは、素っ気ないほど強気で教導するかのようにコメントしているパイピシュ先生。私に対しては、面識のない極東の一人だから安心されているのか、名前を出して責任を持って訳業をしたいと自ら申し出たためなのか、案外に正直過ぎるほど率直なのです。またもや、あっさり認められました。やったぁ!日本の勝ち!それほど悪くもないんじゃないですか、日本って…。トルコの人々は概して親日的だと言われている上、特に日本もトルコと戦争したこともなく、つかず離れずの良好な関係。トルコのアジア的な面と、近代化めざして共に西洋吸収に頑張ってきた歴史的経緯が、間接的にでも見抜く目を我々に与えているのかもしれません。でも、そこはそこ、次のようにお礼をしたためました。

「トルコに関する先生の以前の見解を責める意図はありませんでした。最初、先生がトルコをアメリカの同盟だとされ、欧州連合加盟に賛成されているのを読んで、ただ単純に少し驚いただけです。そして、なぜそのようにお考えなのだろうと不思議でした。


私の臆測です。


(1)トルコ支配の下で、他のムスリム多数派諸国におけるよりも、ユダヤ系がもっと繁栄することができた。
(2)トルコとイスラエルは、最近まで数々の側面で比較的良好な関係を維持できた。
(3)イスラエルもまた、西洋諸国の一つとして、欧州連合に加盟する望みを有している。


基本的に、私は他国を歴史的文化的観点から見る傾向にあります。それで、欧州連合欧州連合であり、トルコはトルコなのです。彼らが相互に別々のアイデンティティを保つことが、地域全体の安定にとってベストだと私は考えています。」

トルコの状況でも、エリートや世俗化した人々だけを見ていたら誤ると思います。エルドアンを支持しているのは誰かということです。イスラーム主義が問題を孕んでいることは周知のこととしても、「民主的」な選挙をすればそこに票が集まることぐらい、昔から予測されていたのではなかったでしょうか?