ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

トルコのイスラーム主義情勢

イスラーム主義の現政権トルコがどこへ向かうのか、以下の記事を参考に考えてみたいと思います。経済成長の目覚ましさばかり強調して報道する日本の新聞がありますが、その根底に何が起こっているのか、思想をよく見極めるべきではないでしょうか(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130214)。ギュレン運動も注視すべきではないかと思っています(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080925)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20081028)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20101011)。

メムリ」(http://memri.jp
「緊急報告シリーズ Special Dispatch Series No 1596 Jun/9/2013」


憲法は嘘の塊、主権は国民に無くアッラーに属す―イスタンブール市長時代のエルドアン語録―」



トルコの現首相エルドアン(Recep Tayyip Erdogan)は、イスラム過激政治運動Milli Gorusに所属していた人物である。この運動は元イスラミスト首相エルバカンが元々創設したものであるが、エルドアンは、イスタンブール市長時代トルコの世俗政権とトルコ憲法を頻繁に攻撃していた。本記事は、2007年5月23日付発表記事であるが、トルコの現国内状況にかんがみて、エルドアン語録を再録した。


イスタンブール市長時代(1994-1998年)エルドアンは世俗批判の演説をよくやったが、その収録ビデオのひとつを紹介する。画面で見る場合は次を参照。
http://www.youtube.com/watch?v=egzhkWCnA8c


世俗主義を否定するエルドアン首相の見解


人民が望むなら、無論世俗主義は無くなる。人民を力で支配することはできない。支配者には、そんなことをする力はない。この(世俗主義)は人民を無視しては機能しない。


それに、この世俗主義とは一体何なのであろうか。皆にたずねたらよい。皆定義できないと言う。人により所により定義がまちまち、と言うのである。世俗主義など、まことに不思議な代物ではないか。
今日、辞書にはどの概念にも定義が書いてある。どの概念もそれぞれ定義がなければならない…。内務相が来て、国家は宗教に介入できるという。では、ほかの事項についてはどうなのか。彼は宗教が国家に介入できるとは言わないのである。


昨日私はボスポラス大学に行った。大学の若者のなかに、多分感受性の強い学生達と思うが、私に「市長さん、世俗主義をどう思いますか。世俗主義が消滅しつつある。これが心配です。一体どうなるのでしょうか」とたずねたのである。


そこで私はこの青年達に次のように答えた。「西側では、チェザル(シーザー)のものはチェザルに返し、神のものは神に返せ、という言葉がある。しかし、この国の内務相は、チェザルは権利があるが神には無い、と言い張るのである。
しかし、この国の人民の99%はムスリムである。これは厳然たる事実である。世俗びとであり同時にムスリムというのはあり得ないムスリムか世俗かのいずれかである。ひとりの人間の中に二つが一緒になれば、反撥し合う磁石のようになってしまう。つまり、可能ではない。要すれば、私はムスリムですと宣言する人が同時に私は世俗びとでもある、とは言えないということである。何故そうなのか。それはアッラームスリムの創造主が絶対的力と支配を持っておられるからである」。


・トルコ憲法と民主主義を否定するエルドアン首相の意見


トルコ民主々義のモットーは、「主権は無条件に国民に属する」である。このモットーは嘘である。途轍もない大嘘である。我々(エルバカン元首相のイスラミストRP(福祉)党)は、憲法についても提言している。主権は無条件に国民に属するという条項には、括弧付きで(5年に1度)とすべきである。


私がそう言うと、彼等は笑いだした。私は、何で笑うのかとたずねた。国民はそんな特権があるのか。5年に1度でよいのだ。すると、何とかいう人が言った。何処で言ったと思う。時は1985年、マルマラホテルでの会議で、我々が憲法について討議している時だった。その何とかいう人が立上って、「いや、それは権利ではない」と言った。


すると、財務相が、完全に酔払っていたが、ロレツのまわらぬ口で何か言い出した。そこで私は、アルコール摂取の席で、憲法準備の話をしなければならないのか、何故だと言った。答は判っている。彼等はシラフでは憲法の話ができないのだ。酔払った頭でしか検討できない。その時の憲法が2年しかもたなかった理由はそこにある。


さて、今の憲法だが、穴だらけ、すきが一杯ある。つぎはぎだらけのボロ服のようである。先日はジャーナリスト達が、この憲法をどう思うかと私にたずねた。そこで私は言ってやった。主権が無条件に国民に属するという話だが、よく考えなければならない。この主権が国民に属するのは何時か。それは、5年に1度投票に行く時だけ、主権が国民の手にあるのだ。しかし本質的には、主権は常に無条件にアッラーに属しているのである。


エルドアン首相の主張を更に精しく知りたい場合、次のMEMRIリポートを参照。
http://www.memri.org/report/o/o/o/o/o/o/1554.htm
http://www.memri.org/report/o/o/o/o/o/o/1600.htm


エルドアン首相はイスラミストか


次に紹介するのは、イスタンブール市長時代とトルコの首相としての本件に関する発言を集めたものである。MEMRIリポートでは次を参照。
http://www.youtube.com/watch?v=ikao_dyKlpA&mode=related&search
アッラーの恩寵で我々はシャリーアイスラム法)を守る人となった。1994年11月21日付Milliyet。


グレゴリオ暦に反対


※私は、キリスト教/グレゴリオ暦の)新年を祝うのに反対だ。1994年12月19日付Sabah。
※私は、単に礼拝場(tekke)に行くのではなく、学ぶためにイスラムの学びの家(dergah) へ行くのである。1997年1月22日付Gozcu。
アタチュルクを尊敬する必要はない
アタチュルク(ケマル・アタチュルク、世俗の改革者、共和国初代大統領)を尊敬する必要はない。1994年5月14日付Hurriyet。
※毎年毎年11月10日(アタチュルク死去の日)になると、彼等(世俗のトルコ人)が大袈裟に騒ぎたてる。1994年11月14日付Hurriyet


・アルコールは禁止


アルコール飲料は禁止しなければならない。1996年5月1日付Hurriyet。
※我々はイスタンブールを必ずメディナに変える。Akit
学校は全部マドラサ(モスク付属のイスラム学院)になる。1994年9月17日付Cumhurriyet。
※私はイスタンブールのイマム(イスラム教導師)である。1995年1月8日付Hurriyet。
※水着の広告は色欲を利用している。1996年3月6日付Hurriyet。
※国営の宝クジはとんでもない非道である。 1994年9月29日付Hurriyet。
※イン・シャー・アッラー、我々はタクシム(イスタンブールの中央広場)にモスク建設を開始する。1994年7月1日。
※トルコがイスラム学院出身の大統領を迎える日は近い。1996年2月5日付Akit。
イスラムカラーの緑は文明イスタンブールは緑一色となる(1994年6月25日、イスタンブール市役所における発言)。


・民事婚は禁止する


※民事婚は不可。結婚はすべてイスラム教指導師が司祭しなければならない。1995年5月9日付Milliyet。
イスラムが我々の指針
※我々の指針はイスラムである。我々が目指すのは只ひとつ、イスラム国家の建設である。誰も我々を脅すことができない。天地が変動しようとも、我々に向かって嵐が吹こうが、火山の溶岩が襲って来ようが、我々は我々の生き方を絶対変えない。私の指針はイスラムであるイスラムに従って生きることができなければ、生きる甲斐なしではないか。トルコ人クルド人アラブ人、コーカシア人に違いはない。イスラムの屋根の下でしっかり結ばれているからだ(1997年12月6日の演説より)。1998年5月9日付Hurriyet。


・ヤシン(テロリストに対する資金援助者)は信頼できる人物


※私はヤシン(アルカディ)を保証する。私は自分の父と同じように本人を信頼している。私は自分自身と同じ程度にヤシンのことをよく知っている(国連そしてアメリカが、サウジの億万長者ヤシン・アルカディをテロの資金提供者として指弾し、ブラックリストに入れた。ヤシンがお尋者になった時、エルドアンは国営テレビで本人を擁護した)。2006年7月11日付NTV  2006年7月16付Hurriyet。


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(引用終)