ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

舞い込んだメーリングリスト

Tikvah Fund: Advanced Institutes in Grand Strategy, Economics, Jewish Thought & History
というところから、なぜか突然、メーリングリストが届きました。ニューヨークのセミナーだそうですが、参加費が12日間で1万ドルのコースもあり、客層が目に浮かびます。

ユダヤ思想には、いくら「戦略」という言葉が入っていても、そこはまず聖書の創世記から。コース参加に招かれている対象は、「専門職の人生で知的範囲と影響を拡大したいと望む、何らかの達成を成し遂げたい男女。ラビ職、ユダヤ思想とユダヤ事情に関する研究者、学者、著述家。教師や管理職としてユダヤ教育に関与する個人。ユダヤ系の知的、政治的、宗教的人生の発展に献身的な組織の指導者層」だとのことです。
コースによっては、修士レベルの学歴の講師も含まれているようですが、とにかく前向きで積極的で意欲的な人々向け。見ているだけでも、ため息が出て勉強になりました。
その他には、イディッシュ文学、20世紀のユダヤ教、現代の戦争における倫理、アメリカの大戦略イスラエル大戦略がテーマで、それぞれ予習用のテキスト指定があり、相当なセミナーのようです。こういうものを見ていると、人生観や活力源が違うというのか、人生や国家のあり方が相当違ってくるのも宜なるかな、と思わされます。

日本でも、ユダヤ思想に関する一般向けの本や研究会などがあり、私も参加している会合などが複数ありますが、一つの特徴として、日本の場合は、戦略的というよりは教養志向、著名な人物研究ではあっても、一側面を研究者の好みで強調しているような傾向があるように感じています。
ただし、若い頃からこういう場に触れていれば人生が変わったのかどうかについては、何とも言えません。時代や自分にマッチしていなければ空振りですし、その時その時の判断と選択の積み重ねが人生を形成するのですから。
例えば、昔はやはりユダヤ文学は魅力的だけれども難しいという印象でしたし、私の学生時代には、イスラエルといえばまだ「社会主義西アジア」というくくりで、今ひとつピンと来ませんでした。1980年代に聖地旅行の機会とお誘いがあった時でも、(まだ自分には…)と遠慮がち。参加した友人がくれたイスラエルのお土産も何だか懐かしい写真を見ている感じ。日本の方が遙かに快適な環境だと率直に思っていました。
ところが、今のイスラエルのイメージは全く異なります。アメリカがイスラエルを贔屓にし過ぎだとの批判に関しても、逆を言えば、アメリカにとっての戦略的価値を認めてもらえなければ、そもそも同盟関係などは変化してしまい、魅力が薄れるということでもあります。少数派のユダヤ系がアメリカで目立つとは言え、それも戦略的教育を受けて、生き残りをかけて自分の得意な方面で能力を伸ばした結果だということに過ぎません。だから、ユダヤ陰謀論や反イスラエル・ロビーに加担する論調は、倫理的にも反しているばかりか、実は自分の足を引っ張っていることになります。
おとといから今日まで、マルティン・ギルバート卿の『イシュマエルの家で:ムスリムの地のユダヤ史』(イェール大学出版 2010年)を読んでいました(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130417)。
ユダヤ人迫害は、キリスト教圏はひどかったが、中世のムスリム世界はそれほどでもなかった、悪化したのはイスラエルが建国されてからだ、という論調をしばしば聞きます。この本によれば、実はそれほど単純でもなく、地域や時代によって繁栄したユダヤ共同体もあれば、迫害の結果、衰退したり、離散して消滅したりした共同体もあるのはもちろんのこと、社会階層(学者、貿易商、指導的なラビなどとして、上流階層に食い込んで影響力のある地位を占めたかどうか)、スルタンの資質(開明的なスルタンか、厳格にシャリーア法を実践するスルタンか)、個人としての有用性(たとえ貧しくて零細であっても、その地域で最古のシナゴーグの守護人として残っている)などによって、多少はバリエーションがあります。
皆が皆、優秀で知性に富むわけではなく、宗教派から世俗派までいろいろ揃い、超裕福な人から貧しい人までそれぞれ多様なユダヤ民族ですが、基本的に教育を重視し、伝統保持の点で、見せ方ややり方が上手なことは確か。中東のユダヤ人は欧州のユダヤ人から「後進的だ」と見下げられていた時代もあったようですが、迫害のひどさが伝わると、途端に送金や援助ルートが始まったりしたそうです。

ともかく、反セム主義、反ユダヤ主義の原因として、宗教や民族の問題の他に、裕福で世俗的に成功しているので、同じく現世的で成功を旨とするムスリムからねたまれて虐められ、迫害されたという条件も含まれるようです。

結論として、イスラーム圏内でも上手に共存して繁栄を誇っていたユダヤ共同体の事例、迫害や差別に耐えつつ細々と生き延びていたユダヤ共同体の事例、表向きはイスラーム改宗を迫られても隠れユダヤ教徒として信仰を守った事例、キリスト教改宗を迫る宣教師の影響から逃れるためにユダヤ学校を設立し、その学校が地域でも卓越した人材を輩出した事例など、バランス良く理解することが必要だと思った次第です。
そうすれば、現在の欧米や中東で発生している諸問題に関しても、実はイスラームではなく、イスラーム主義が問題だというパイプス原則が、よくわかるのではないでしょうか(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130521)。
PS:気になったので、いろいろと調べてみたところ、冒頭のファンドには長文の批判もありました。透明性がないとか、宗教がらみのネオコンだ、曖昧で大さっぱに主旨が書いてあるが内実は視野が狭い、資金が寛大過ぎる、などの内容です。結局のところ、ユダヤ基金の啓蒙講座といっても、世俗から宗教派までさまざまあり、それぞれが自分に合った場を選んで態度決定するという点では、日本と変わらないと思いました。
ちなみに、一部のキーワードやキーパーソンの名前を検索してみたところ、ダニエル・パイプス氏のウェブサイトとはほとんど重複しないことが判明。また、訳業で慣れたためもありますし、お父様の著作にも触れて、だいたいの傾向がわかったこともあって、パイプス氏の路線に自分が反していないことも再確認できました。