ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

「ムスリム改革運動」の考察

昨日付ブログ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170226)から、小さな考察の続きを以下に。
ムスリム社会全体にとっては痛ましい話だが、北米におけるムスリム改革運動の行き詰まりの事例を通して、現代のイスラームあるいはムスリムに対して、非ムスリムの我々が、どのような態度を取ればよいか、これで明確になったと思われる。

日本人は、概して物事を曖昧にし、一緒に行動することで相手を理解したつもりになったり、相手に受け入れられたつもりになったりする甘さがあると思う。または、相手を助けることによって、自分の善意や誠意が真っ直ぐに相手に伝わると考えがちだ。あるいは、西洋のやり方の一種のアンチテーゼとして、「自分達はムスリムとうまくやっている」というポーズを見せたい人もいるかもしれない。

だが、危険を侵して棄教しない限り、ムスリムムスリムとして生まれ、ムスリムとして生き、ムスリムとして生涯を終える以外に道はない。そして、それこそが「真っ直ぐな道」であり、天国への道が約束されている。その信仰が、この世での苦難を支えるのである。

従って、我々日本人の大多数を含めた非ムスリムとは、根本的に世界観や人間観が異なっていることを、まずはわきまえなければならない。話し合いや対話を通して平和共存が成立するという思想は望ましいが、ここまで時間やエネルギーを費やしても実現しなかったという現実を、まずは直視すべきであろう。

北米に移住したムスリム移民として、リベラルで西洋的な振る舞いを身に付け、西洋文脈と調和して生きることのできるムスリム個人は、残念ながら、現在でもあくまで極めて少数派であることが判明した。また、北米在住の大きなムスリム共同体から支援されているわけでもないことが明確になった。
とすれば、ごく少数の「ムスリム改革運動」に賛同した西洋化したムスリム個人は、今後、何をすればよいのだろうか。
まず、この「ムスリム改革運動」グループの署名者は、このままではムスリム多数派諸国に戻って再定住することは恐らく不可能であろうと想像される。脅迫や迫害や死の危険も予想され得る。とすれば、家族や孫世代に及んで、自分達が選択したような世俗派ムスリムの生き方を遵守することで、北米に移住したことによって得られた自由と寛容の享受を守り続けなければならない。逆に言えば、あの活発な活動は、ホスト国の西洋人を喜ばせる以上に、まずは自分達の存在価値を認めてもらいたいがための願望や衝動から来ているとも言えるのではないだろうか。
現在、米国では、中東出身のムスリム移民を、どの程度、どこまで受け入れるかという議論が活発だが(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170221)、建前はともかく、地元のアメリカ人の本音において拒否感覚が根強いのは、充分に理解できることである。なぜならば、当初は温かく寛大に受け入れてみても、移住後、時間が経つにつれて出身国の慣習が表に現れるのは、いわば自然の成り行きであり、その慣習が暴力的だったり、地元の西洋文脈から見れば後進的だったり、西洋的な価値と明らかに矛盾や葛藤を伴うならば、まずもって統合は無理であることが明らかだからである。
統合が無理とすれば、昨年9月にパリやベルリンで私が観察したような飛び地のように、米国(カナダ・オーストラリア)においても、既に荒々しく薄汚れたムスリム密集地区があちこちにできる。そして、北米に居住していても、精神や行為においてムスリムのままであれば、いくら世俗化したとはいえ、米国のユダヤキリスト教文明が侵食されていくという懸念が地元の米国人に生まれるのは、時間の問題であろう。また、暴力行為やテロ事件が発生し続けるならば、まずは安全保障、つまり自分達の身を守ることを第一に優先するのは、極めて自然なことである。
本来ならば、ムスリムムスリム世界で生きるのが最も良い、と私は思っている。ムスリム地域は、概して資源に富み、土地も広大で、やり方次第で充分に繁栄可能である。
それなのに、内戦や統治のまずさから非ムスリム世界に出てきて、長い時間をかけて西洋社会が到達した人権や社会保護の便宜を当然のように受け取りながら、一方で自分達のイスラーム生活様式を主張し、理解を相手の非ムスリムに押し付けて、どんどん居住領域を拡大しているのが現状である。
これに対しては、明確に一線を引き、非ムスリム文明を断固守り抜く決意を表明しなければならない。
問題は、いつまでこの状態が続く見通しなのか、不明だということである。
2017年12月13日追記:
2016年9月下旬に欧州三ヶ国の旅行でご一緒した「カラチ夫人」(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%A5%AB%A5%E9%A5%C1%C9%D7%BF%CD)のブログを、今ふと開けてみたところ、なんと今年10月29日にジョージ・W・ブッシュ元大統領の昼食会に招かれていたという(https://raheelraza.wordpress.com/2017/10/29/meeting-george-w-bush-for-lunch-an-eye-opener/)。
「戦時下の大統領」として、ローラ夫人なしには仕事ができなかったこと、国にとって最善だと感じた重要な決断を非常に速やかに下さなければならなかったことを述べられたという。元大統領は「温かく、思いやりがあり、ユーモアに満ちた」方で、以前とは全く異なった人だったようだ。
イランに関しては、「地上で最も不安定化している勢力」であり、「圧力を掛け続けなければならない」。
ロシアのプーチンは、「戦略的に非常に頭がよい」ものの、石油と権力のために変わってしまった。
イスラエルについて、「反セム主義は危険であり、合衆国の役割は、国内外で反セム主義を拒絶することだ」と述べた。

日本では、ブッシュ政権時代に反米スタンスで大統領を批判することがメディアや大学で流行っていたが、当時の私はただひたすら困惑状態だった。アメリカといえば、国が広過ぎて捉えどころがなく、日本に来るアメリカ人も、大衆的な観光客はお行儀が悪く、キリスト教宣教師は偏った表面的な日本理解をしており、大学に招かれて来日する教授は民主党支持者が中心だったので、何が何だかよくわからなかったのだ。
それに、共和党は裕福な白人プロテスタントが支持層で、特に、ゴリゴリの宗教右派つまり福音派が中心なので、怖くて日本人には向かない、とも聞いていた。
ところが、私が個人的に見聞したブッシュ氏は、お父様はともかくとして、南部人らしく、気さくで温かくて気配り上手で人の良い「アンクル・サム」という印象だった。
「カラチ夫人」の率直な描写は、恐らくその通りだろうと私も思う。
ダニエル・パイプス先生には現役時代のブッシュ大統領と並んで写った写真があり(http://ja.danielpipes.org/blog/10990)(http://www.danielpipes.org/1061/bush-nominates-daniel-pipes-to-board-of-us-institute)、今回「カラチ夫人」もブッシュ大統領と二人で並んだ写真が掲載されている。恐れ多いことに、私はパイプス先生とも「カラチ夫人」とも、過去にご一緒に旅をして、お話したり、写真を撮ったりしたのだ。つまり、テキサスにもワシントンにも行ったことのない私が、大統領と接したご両人を通して、間接的にブッシュ元大統領に接する機会を頂戴したということになる。
こんな平々凡々で地味に暮らしている、何ら地位も取り柄もない日本女性の私が、と本当に不思議で仕方がない。
そういう者をも掬い取って仕事(コラムの訳業)を与え、広い世の中の最新の動向を知らせようと啓蒙するのが、アメリカ人のアメリカ人たる醍醐味なのだろう。