自分の人生を振り返るよすが
昨年の夏、学会から突然紹介された中国系アメリカ人の男性研究者と(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120815)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120819)、非常に細かい点までリサーチ資料の上で話が合い、感謝しています。何と、ドイツやオランダなどの研究者(学者)で日本の大学に来られている人や東南アジアおよび中国のキリスト教史の専門家の一覧表まで、こちらが頼みもしないのに親切に送ってくださいました。
東南アジアのキリスト教が(副)専攻だと名乗り、立派な肩書きを有するのであれば、懇親会の席で「これが権威の証拠だよ」と見せびらかしながら、博士とついたお名前の名刺を配っていないで、具体的に海外の資料および学者を率先して紹介してくださるのが、専門家の仕事というものではないでしょうか。
これまで長年、日本で発表していても、非常に失礼な態度や筋違いのコメントを寄せる人が幅を利かせていて(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20081202)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090111)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20100423)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130107)、(こんな人生、最初からなければよかった)と思っていました。その一方で、(よし、今後絶対に「視野が狭い」「偏った思想」だと言わせないように(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130105)、もっともっと頑張って勉強しなければ)と、必死になっていろいろな本を読み、外国語など各種勉強を続け、クラシック音楽も聴き、あちらこちらの講演会や催し物に出かけて行き、国内外を旅行し、リサーチ資料を集めて分析に励んでいました。
ところが、世の中は広いもので、一度会っただけでも、こんなに共通項が多く、刺激のあるいいやり取りができる研究者が存在するのです。失礼な態度なんて、微塵も感じません。しかも、その方は二つ目の博士号に取り組もうとされているのです。しばらくしたら、ドイツの大学に行くと書いて来られました。
つい、うれしくなって「私がこれまで一人でやってきた主な理由は、よき指導者が日本で見つからなかったからです。でも、これからは私は一人じゃないと確信しています。昨夏、京都に来てくださってありがとうございます。私のよき助言者でいてくださることがうれしく思われます」と書いたところ、「メンターじゃないですよ。ただの同僚ですよ」と、これまた謙虚なお返事が返ってきました。
似たような気持ちの通い合うやり取りは、ダニエル・パイプス先生とも続いています。
実は、今もちょうどメールを受け取ったばかりなのですが、パイプス先生がこの頃、イランのテレビに続けて出演されていて(http://www.danielpipes.org/search.php?cx=015692155655874064424%3Asmatd4mj-v4&cof=FORID%3A9&ie=UTF-8&q=Press+TV&sa.x=0&sa.y=0&sa=Search)、ご自分でも「過去35年間のテレビ出演の中で、最も軽はずみで思慮なきものだった」「自分の威厳を損ねる」とわざわざメーリングリストに書いて来られたほどだったので、私も訳文提出の際、つい、意見を添えて送りました。
「あのテレビ番組って、時々日本で部分的に放映される北朝鮮のテレビ放送に非常に似ているように思われます。初め、どうしてパイプス博士が、あんな質の低いプロパガンダ番組に出られたのか理解できませんでした。単純に時間とエネルギーの無駄だと思いました。今、ちょっとだけご説明に同意していますが」。
そのお返事。
「こうするかどうか自信はないんだけど、自分ではその方向に傾いている。意見に感謝するよ」。
別件のついでに、再度私から。
「そうはおっしゃいますが、もしあんなテレビ番組に出続けたら、ひょっとして、視聴者あるいはイラン側に、いわば‘おとり’として扱われるかもしれませんよ。私個人は、もし一外国人として意見することが許されるのでしたら、近い将来、もっと洗練された上品なテレビ番組で先生を拝見したく存じます。日本では、馬鹿者とは議論すべきではないと頻繁に言われています。ひとたびそうしたら、自分自身の品位を貶めることになるからです。もしかしたら、日米間の文化相違なのかもしれませんけれども」。
お返事。
「全く異存ないね。肯定面では、そうでもなければ私のことが伝わらない視聴者に声を届けられることだよ。それに、誰が自分と共に出演するか、言われなかったんだ。次からは、そのことを主張してみるよ。いつも有益な考えや情報をありがとうね」。
とまぁ、こんな具合。実は、イランのテレビ以上に、アントニオ・グラムシの話題がきっかけでした。
と、訳文提出の時に質問を添えたところ、
「うん、グラムシは、あまり言及されないとしても、巨大な影響力があるよ。マルクス経済学はほとんど滅びたけど、グラムシ系の文化は強力だね」。
そこで私から。
「先生の著述の翻訳を始めるまで、グラムシについて充分に熟考したことがありませんでした。唯一、一人のアメリカ人研究者がグラムシの『ヘゲモニー』理論をマレーシアのマレー語国立機関(後注:Dewan Bahasa dan Pustaka)に当てはめた(博士)論文を読んだだけです。自分の現地社会の観察のために、ほとんど同意することができませんでしたが。そう言えば、グラムシ由来の『カルチュアル・スタディーズ』は、ここ日本でも非常に影響力があります」。
こういうやり取りこそが、パイプス先生の人となりをうかがわせる断片ではないかと思います。そして、夢中になれる真の理由は、まさに自分の人生を振り返るよすがになっているからです。