ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

些末にとらわれた本末転倒

昨晩、今年5月上旬にダラスで開催された1時間ほどの会合の様子を見ました。
ディヴィド・ホロヴィツ氏(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120811)の名前にちなんだ自由センターで、ダニエル・パイプス先生を含む4名のパネリストが、混沌とする世界情勢を率直に分析しているものです。その中で、別のパネリストが北朝鮮http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120904)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130108)と尖閣諸島問題(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120627)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120917)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20121109)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130209)についてもスライドで触れられていて、何だかとても心強く、うれしく思いました。
共和党のおじさま達って、強面で怖そうに見え、一見近寄りがたいのですが(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20121111)、実は現実をしっかりと見て、何とかアメリカの建国理念と憲法に沿って、アメリカ人としての自分達の役割をきちんと果たそうとしている、頼もしく男っ気のある人達なんだな、と思った次第。
パネリストは男性ばかりで、中途半端な発言を、いかにももっともらしくする女性は一人も壇上に出ていませんでした。それこそが、私にとっては気持ちがいいのです。大事なのは性別比の形式的平等ではなく、発言の内容と質であって、このような危険な世界情勢に対しては、大抵の女性ならば、率直に専門的に語ること自体、無理が伴うことは自明だからです。
話を元に戻しますと、尖閣諸島についても、「センカク」と、よどみなくきれいな発音で背景説明。「第二次世界大戦後、センカク諸島は日本の領有であり、台湾北部と沖縄との共有でしたが、中国が最近、領有権を主張し始め、戦争を挑むとまで言い出しております」「センカク諸島は魚釣りの島ではありません。天然ガスなど資源の豊富な貴重な場なのです」。そして、当然のことながら、話の路線は、中国をいかに牽制するか、アメリカの役割は何か、という方向でした。共産主義の大嫌いな共和党保守派のパネリスト陣だけあって、中東とイスラーム専門のパイプス先生も、さも満足そうにその説明に聞き入っていらっしゃいました。
確かに、オバマ政権が中国寄り政策を打ち出したことに対して、日本でもさすがに懸念が広まっているようですが、こういう時、パイプス先生達がこのような会合を開催され、全世界に向けて公表してくださるなんて、心強い限り。パイプス先生が指名前から辛辣にこき下ろしていたヘーゲル国防長官も、(何だか頼りない人だなぁ)って、この頃では私でも感じるぐらいですから(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130116)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130311)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130323)。
さらに、日本に関する言及としては、パイプス先生がご自分のウェブサイトで、故「五十嵐一」先生の件を二度引用されましたが(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130310)、その後、最近のブログの方からは、取り消されました。記述にやや曖昧さが残る懸念があったからです。
会合での「センカク」諸島についても、ウェブサイト上の「五十嵐一」先生についても、何も私から申し出て言及してもらったのではありません。すべてはパイプス先生側の自発的選択によるもので、ウェブで公表されてから、私がお礼なりコメントなりをお送りするという形式です。
例えば、ブログでの言及を取り消されたきっかけは、故五十嵐一先生の殺害状況について、具体的にどうだったのか、ブログで公表直後にパイプス先生から問い合わせがありました。私自身、手元の古い新聞切り抜きを読み直し、いろいろと日本語情報を調べた末に、概ね次のように書きました。

まずは、故五十嵐一先生に言及してくださったこと、その深刻さをもう一度思い出させてくださったことに感謝申し上げます。
1.事件発生当時の1991年には、私はマレーシアで働いていましたので、直後にどのような報道があったのかもわかりません。関連ウェブサイトは大半が閉鎖されています。
2.(殺害の第一発見者のこと、当初の状況説明の後)本件は今でも調査中ですが、夏休み中の夜から早朝にかけてキャンパスで発生した事件のために、証拠が極めて少なく、目撃証言もほとんどなく、難航しています。
3.日本政府も、事件前にホメイニー・ファトワの撤回のためのイラン説得に失敗した後は、イランとの外交関係の悪化を恐れて、今でも詳細を一切公表しておりません。
4.殺傷に関する英語のさまざまな単語の意味の違いは知っておりますが、現場で自分の目でご遺体を見ていない以上は、何も申し上げられません。この特殊な事件については、言葉の使い方にセンシティブでありたいと願っております。
5.ただし、筑波大学には20代の頃に二度行ったことがありますので、現場がどのようだったかは想像できます。
6.私達は、どのような殺害方法だったかよりも、我々の社会で、どのように言論、表現、思想の自由が保持できるかの方に関心があります
。」

そして、もう一通のメールで、背景説明と追加情報をお伝えしました。

1.五十嵐先生と親しかったI教授が、実は1990年代半ばに、私のマレーシアに関する大学での講義を見学に来られて以来、16年以上、年賀状を書かさず送ってくださっている(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20071128)。
2.I教授や故五十嵐先生の立場は、異文化の知的解釈者として訓練されたものであって、イスラームに対する政治的宗教的動機からではない。東洋思想としてのイスラームを研究し、日本人として、西洋とムスリム世界(イラン)の間で第三者的な仲介をするというのが、故五十嵐先生のお考えだった。
3.故五十嵐先生の師は、クルアーンを日本語に翻訳(解釈)された学問的業績で非常に高く評価されている東洋学者の井筒俊彦先生である。
4.イスラーム革命前のイランで3年間、スーフィズムを中心に研究されていたので、故五十嵐先生は身辺警護に関しても楽天的な態度であり、「真のイスラーム」は、もっと健全で異なる解釈も包容するものだと、当時もまだ幻想を抱いていらした。
5.I教授が当該事件について懸命に説明しようとした、2005年の韓国での学会発表を元にした英語論文を添付でお送りする。
6.現在でも本件は記憶されているが、ムスリム改宗者になった日本人で中東に滞在したイスラーム学者の中には、確かにこの事件を軽視する人もいる。例えば、2003年に京都で私が仰天した事例として、「中東では、このことは一切語られてもいない」と人前で言ってのけた某教授がある。即座に私は、ターキーヤ(イスラームを擁護するためには嘘をついてもいいという教え)だと思った(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/20120301)。それは、学問の場では、明らかな理由によって回避されるべきものである
。」

それに関するパイプス先生からの直接のお返事はありませんでしたが、わからないものはわからないと、私が正直にはっきりさせたことと、背景事情も箇条書きでお送りしたことで、このところ前にも増して、パイプス先生からは好意的に扱っていただけるようになったという感触を持っています。
当然のことながら、こちらに尋ねる一方で、パイプス先生の方だって、全世界に分析を公表するシンクタンクを率いている以上は、ご自分の発言に責任がありますから、「自分でも少しチェックしてみたけど」と添えられていた上、最初から私がどのように反応するかも見ていらっしゃるのだろうと思うのです。それに対しては、背伸びもせず、畏縮もせず、礼節を保ちながらも、淡々と箇条書きに必要事項だけを返答するのが、私のやり方。
もちろん、日米では文化の相違があり、日本人の場合は、ビジネスライクを冷淡だと受け止られるのを回避したいばかりに、とかく前置きが長かったり、余計な情緒的な情報をだらだらと加える傾向があるように見受けられます。ただ、欧米では、優秀な人ほど、頭の中がすっきり明晰で、シンプルに本質だけを短く表現する訓練を実践されていますから(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120229)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120524)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120819)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120822)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120830)、ここまで「メル友」になって、訳文も200本以上は提出するようになった今、私もパイプス路線に沿って、何事も簡潔を旨としています。

昨年は面識のないパイプス先生だったので、こちらを一体どのように理解されているのか不安でしたが(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120313)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120626)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120811)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20121020)、今ではすっかりパターンがつかめたので、この頃は「正直に申しまして」と打ち明け話もしています。
例えば、「私の個人メッセージ」と題して、次のように書きました。

読者コメントの中に、『単純化して見えるけれど、ダニエルさん、あなたの分析は長年のハードワークと深い経験や査定に裏打ちされていなければできないものだよ。』とありましたが、まさに私も同じことを、以前、日本語ブログで書きました。表面的には、先生の著述は一見して単純に見えますが、この複雑なテーマについて、学界人にも一般人にも広い層にわたってアピールするように書くことが、誰にとってもいかに難しいか認識しなければならない、と(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20121128)。簡潔さは美です。それは、私達の美学でもあります」(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20121111)。

すると、すぐにお返事。
「簡潔さは美です」のみを引用して

あなたの言葉は、何て感動的で鼓舞させるものなんだろう。賞賛をどうもありがとう!

表向き積極的に堂々と強気で活動されているようでも、私生活を含めて、さまざまなことを相当犠牲にしたのであろう、水面下でのご苦労が偲ばれます(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120521)。

それに、ムスリム世界での陰謀論に関して、とかく昨今は、ムスリムを責める論調がアメリカを中心に華々しいのですが、ナイジェリアの事例ブログについても、私は訳文に添えて書きました。

馬鹿げたように聞こえますが、私は常に、自分達も同じ陥穽に落ちるべきではないと考えています。これは、笑い事ではなく、私達にとっての教訓でもあるのです」。

すると、お返事にはこうありました。

そうなんだよ。陰謀論の本を二冊書いた者として、笑い事なんかじゃないんだよ」。

そこで、私は書きました。

正直に申しまして、去年の今頃、先生の『陰謀論』の二冊の本を読んでいて(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120521)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120524)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120612)、なぜこの著者は、歴史や中東の変な事例ばかり集めたのだろうと不思議でした。昨年の初頭にも書きましたように、私はしょっちゅう笑いながら読み始めました。先生は、シニカルな世界観を持つ非常にユーモラスな作家に違いないと私は思いました(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120804)。
でも、違いました
。」

そのお返事は、

あなたが正しく認識したように、馬鹿げて笑えるように見えるとしても、これは悲惨な物語なんだよ」。

冒頭の会合に戻りますと、やはり「極右」だの「右翼」だの「ネオコン」だのという、けたたましくも不正確で誤ったレッテル付けがいかに間違っていて、恐ろしいことかを再認識させられます(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120421)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20121126)。パイプス先生だって、通俗的な事項をコマゴマとネットに書き散らしているように見えながら、実は、そうでもしなければ、自分やユダヤ共同体やイスラエル国家に対する無責任な噂が一人歩きして、実を結んだ場合、取り返しのつかないことになるという経験を身にしみて感じていらっしゃるからだろうと思うのです。
それと、最近のトルコ暴動に際して、トルコから過去に118回も反パイプス見解を寄せてきていたある男性が、やっとこの度、ようやく認めました。「ダニエルさん、あなたは正しかった」と。パイプス先生も、それに関しては率直に喜ばれました。「君、119回目の投稿にして、やっとわかったね」。
トルコだけではなく、日本の大学関係者やジャーナリストやメディアにだって、このトルコ人と同レベルのことが散見されます。アメリカのすることには、何でも反対して批判的見解を出せばいいというものではない、という証左なのです。
異論を提出する際には、その証拠と論拠をきっちりと出すべきで、ただニュースを断片的に聞いて反応しているだけでは、ただの頭の悪い子ども。
私が観察するには、この頃はさすがに筋金入りの反米思想ははやりませんが、大体において、アメリカ批判を簡単に口にする日本人は、まず何よりも英語がきちんと理解できていないのはないかと思えて仕方がありません。基本的な理解ができず、曖昧な感覚で受け止めて、それに感情的に反応しているのではないか、と。
そして、言葉以上に、思考の基盤となる幅広くしっかりとした教養が欠如しているのではないか、と。特に、自国の歴史および世界史の常識的な知識がなければ、なぜそのような話が話題として取り上げられるのかもわからないのではないか、と思うのです。教養とは、塾で教わった受験テクニックや知識、一夜漬けの詰め込み試験勉強で勝ち抜いた学歴では全くなく、子ども時代からの総合的な判断能力の積み重ねでもあると思います。その際、背伸びや知ったかぶりは禁物。知らないことには軽々しく口を出すな、ということです。
アメリカに二年以上、留学で滞在していた日本人にも、「日常会話はできるけれど、専門の話となると、英語は全くお手上げ」と平気で言ってのける人がいて、仰天させられます。明治時代から現在に至るまで普通は話が逆で、目的を持って外国に滞在する以上は、専門の話の方が、スラングも混じった多様な背景を持つ人々の話す言葉よりも、はるかに楽なはず。つまり、専門が外国語で話せないということは、日本語でも充分にわかっていないということではないでしょうか。
そして、そういう人に限って、どうでもいいような形式的な言い間違いをいちいち指摘したり、「日本語としてこなれていない」という知ったかぶりの批評を下すのです。つまり、指摘すべきことと、わかっていても看過するのが礼儀でもあることの区別がつかず、センスが悪いということです。
パイプス訳文も、読点の打ち方やどの表現を選ぶかなど、短くても毎回悩みながらの作業です。日本語として自然で読みやすくしようとすると、現実面では、パイプス先生の意図を勝手にこちらが無視する可能性も出て来ます。あの先生は、実は非常に言葉遣いにうるさいタイプなのです。そして、フランス語も含めて、英語の語彙量がとんでもなく豊富な方です。一方、ウェブで一般公開している以上、読者層や聴衆の顔ぶれから、相手に通じる語彙選択をしなければならず、それは私に対しても同様です。自分自身を平静に保ちつつ、世界中を相手にこうすることが、いかに難しいか。
だからこそ、最終的には何事も「相手を知り、己を知れば、百戦恐るべからず」に尽きます。言葉そのものはもちろん知っていましたが、孫子にあったことをすっかり忘れていて、パイプス先生の今年初めの論文で教わりました。
考えてみれば、私が高校生の頃、漢文の授業で、孔子孟子老子の他に孫子のテクストも部分的に必読書に挙げてあり、有名な文を幾つか暗唱するよう求められたことを思い出します。孫子と言えば兵法のため、当時の女子高生にとっては無縁のように感じていましたが、実は、本来の平和教育にとっても、ビジネス戦略にとっても、人生訓としても、充分に重要な古典教養だったのです。
パイプス先生に、訳文提出の際、「高校の時の孫子を思い出させてくださってありがとうございます」と書いたら、その昔、アメリカの軍事系の学校でも教鞭を執っていらしたパイプス先生らしく(日本では高校生にも教えていたのか!)と驚かれたのかどうか、その部分をそのままにして「もう一度、ありがとう」とお返事をくださいました。もともと、その論文の邦訳を熱望されていたようですから。
というように、詰め込み暗記教育の弊害が当時も今も主張される嫌いがありますが、この歳になると、決してそんなことはないと痛感します。点だけ取って、試験後にさっぱり要領よく忘れようとするから、そんなバカなことを真に受ける人が出てくるのであって、こうして、全く別筋から役立つこともあるからです。
訳しながらそんなことを考え、久しぶりに孫子を近所の図書館から借りてみたところ、借りる本ではなく、手元に置くべき本だということを察し、今、注文しているところです。この図書館というのが、実に形式的な点で小うるさいというのか、鬼の首でも取ったような対応というのか、実に本質の要を得ていないところがあり、それもまた、教養の欠如かとも思わされます(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120210)。要するに、係の人自体、図書館司書の資格は持っていたとしても、図書館で本を借りる人の立場になったことがあまりないのではないか、と。本末転倒。