ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

イスラーム映像と尖閣諸島

というわけで、日本時間によれば、ユダヤ暦新年となったわけですが(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120916)、暦の区切りが大切な機能を果たすと同時に、普段の心がけや生き方そのものも重要だということでもありましょうか。
今朝の朝日新聞に、ネタニヤフ首相が「過去一年の罪」について問われて回答したには「イランの核開発を止められなかったこと」。この問答からうかがえるように、ユダヤ教で問われる「罪」の内実が、我々一般の日本人とは異なっています。だからこそパイプス先生も、土地と深く結び付くユダヤ教の教えに沿って(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120505)、現在のお仕事に身を粉にして没頭されているのであって、それが表面的な律法遵守とは必ずしも見かけ上は一致しなくても、それはそれでよしという解釈なのかもしれないと、愚考します。
ところで、いつもパイピシュ先生に伝えていることは、「日本は独自の中東外交政策を持っているけれども、政府と私のような個人の立場では、見解が違う」「日本人が中東問題に無関心だとか知的にわからないというのではなく、文化的相違と地理的距離がなせるわざであって、それは私も理解できるところだ」「私は中東の専門家ではないので、いろいろと関連書籍を読んで勉強しながら、時間をかけて訳している」「先生は、ミアシャイマー教授などのことについて(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120803)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120807)、長い間、内部にいらして事情をよくご存じだから、そうやって簡単に切って捨てられるけれど、私は外部の者(アウトサイダー)だから、改めて日本語訳で出版された当該本を読んで、日本文脈の中で再解釈しなければならない」「ただ、日本やマレーシアでの自分の経験に基づいて、私は先生のお考えに共感するところが多い」「先生と私とでは、世代や国籍や民族や宗教の違いのために少し意見が違ったりすることもあるが、それは何とか乗り越えられるとは思う」「一般化は危険だが、東洋文化の特徴として、著名な人について、その人の思想や見解そのものよりも、むしろ個人的背景や人柄に関心を持つ傾向があると思う。だから、日本語訳で、書評やインタビュー記事がグーグル検索の上位に出てくるのかもしれない」などです。
ところで、報道によれば、9.11の11周年に合わせたかのように、中東イスラーム圏の各国で、アメリカ大使館に向けてのムスリムの非理性的なパターン行為がまたもや繰り返されました(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/20120916)。発端は、アメリカ国内の素性のはっきりしない人による14分程度のイスラーム映像だそうですが、それにしても、ここまで騒動が広まり、米大使なども殺害されるとは、またもやといった感。こういうことがあるので、普段から対話が必要だとされていて、オバマ氏のような複数のアイデンティティを有する人がアメリカの大統領に選ばれたのでしょうが、しかし、こういう事態が繰り返されると、そのような努力自体、まるで意味がなかったということがよくわかります。
言論の自由を守るという観点、しかし同時に、ムスリムの宗教感情を挑発することは許されない、という主張、この拮抗する考えについて、どのように考えるべきなのでしょうか。
改めて私が思うに、ムスリムは一方的です。穏健だとされるマレーシアでさえ、「宗教感情を尊重せよ」というならば、なぜ30年以上もマレー語聖書がたびたび発禁になり(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120623)、教会が壊され、ヒンドゥ教の施設も破壊されているのでしょうか。また、こういう事件が発生する度に、「私もムスリムだけれど、皆が同じ風だと考えないで欲しい」みたいなことを言うムスリムが、テレビに出てきたりして訴えますが、私に言わせれば、(しかし、あなたの属するウンマ(共同体)から、そういう人々が繰り返し出現しているんですよ。責任逃れをしないでほしい)と。
今の中東イスラーム圏の騒動は、ちょうど、日本文脈で相応するのが、尖閣諸島問題。まさに、パイピシュ先生のラシュディ著作(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120610)の先見性と資料読み込みの凄さについて言及するのに、尖閣諸島問題を事例に挙げたことと(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120627)、時期的にも見事に一致します。
パイピシュ先生が、最初から私を一種の「特別扱い」されていたらしいことは(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120607)、単なるお世辞や自己利益のためではなさそうです。もともと、頑固一徹みたいなところがあり、人付き合いもぶっきらぼうで癖のあるタイプですから、心にもないようなことを気楽に口にしたり書いたりする方ではないとは思っていましたが、理解や洞察に関しては、さすがに「白髪頭の我々保守派」(http://www.danielpipes.org/blog/2012/09/nro-symposium-fatal-arab-spring)と自嘲されているだけあってか、年の功で見抜くのが早いのです。かたや私は、数ヶ月ぐらい遅れて、やっと合点がいくところも多いのですが、結局は、背景事情や取り組んできた経過が異なっていても、最終的に根本的な見解が一致するということが大事なのでしょうねぇ。
しかし、現実に地理的には距離の離れた両地域(中東イスラーム圏と中国)でのデモ騒動を映像で見ると、問題の質が違うように見えても、相互に共通する要因に気づきます。
第一に、双方ともイデオロギー的な煽動に乗っていること、第二に、このような問題が生起するずっと前から、マグマのように地下で渦巻く土壌があること、第三に、間歇的に繰り返し循環して発生していること、第四に、いずれも発端は小さな現象(14分の不出来な素人映像+小さな島)が原因とされているが、広大な土地に住む大人口(中東地域+中国大陸)が反応していること、第五に、歴史上の史実を、デモを起こす側が学校教育でしっかりと教え込まず、歪曲していること、などです。
と考えていたら、昨年、図書館から借りて読んだF・A・ハイエク(著)西山千明(訳)『隷属への道』(春秋社)(1992/2008/2012)が届きました。パイピシュ先生宛にも、1968年という年に対する長年の懐疑主義と「アラブの春」という誤称との関連付けの件で(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120916)、私なりの経験談と考察を書いた手紙でハイエクを引用しましたので、今回は手元に置こうと思って購入したのです。
パイピシュ先生は、1997年のテレビインタビューでも、「自分が感化を受けたのはハイエク」とおっしゃっていました。シカゴ大学で会ったかどうかと問われ「もちろん、ありません」とも。それから十数年も経って、思いがけないところから突然、日本の名もない平凡な一女性が、「先生のおっしゃっている意味、私はわかると思いますよ」なんて、生意気にもハイエクを引用してくるところが、インターネットの便利な点でもあり、煩わしい点でもあるということでしょうか。
結局のところ、こういうことです。学生運動と対抗文化の華やかなりし頃に、ちょうど多感な学部生時代を送られたパイピシュ先生。お父様のハーヴァード大学教授(ロシア史・ソヴィエト学)というお仕事から、体制派の子弟ということで、友達だと思っていた過激派学生達から、相当にひどくいじめられたようです(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120507)。それが今でもしこりとなって(いるようで)、特に中東研究(やラテン・アメリカ研究など、いわゆる「第三世界」研究)が左派研究者達によって占拠されているという状況を理由に、元々望んでいた大学の職も嫌になり、テニュアをもらっていたのに叩き付けてアカデミアを出てきてしまった(らしい)のが、1986年ぐらいのこと。ちょうどその前後、日本に3ヶ月ほど滞在されていたわけです(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120904)。
ファシズムを脱却した日本でも、社会全体は活力に満ちて、非西洋圏では唯一、近代化に成功したということで好意的に観察していたところが、中東研究に至っては「イスラエルに対する敵意の壁」を感じたり(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120804)、反ユダヤ主義文献がちょうど流行した年と合致していたこともあってなのか(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120505)、「日本の大学も左派傾向にある」とおっしゃっています(http://www.danielpipes.org/1759/the-end-of-american-jewrys-golden-era)。
ともあれ、なぜハイエクなのかと言えば、「年齢と外見に関して、まだ‘白髪頭’じゃない私ですが、先生の味方ですよ」と書いたところ、ちょっとムッとされたのか「よろしい、アラブの春に懐疑的であるためには‘白髪頭’になる必要はない。でもね、僕達みたいに1968年を切り抜けてきた者にとっては、懐疑主義には別の理由があるんだよ」と。そこで私が、黙っていればいいものを、余計なことに、ハイエクまで持ち出して頑張ったというわけです。

先生、私は、オーストラリアの『レイトライン』のホスト役のアリ・ムーアさんと同い年です。だから、1968年には3歳でした。以前にも書きましたように、父方の大叔父が国立大学の医学部教授でした。特に、過激派学生達が、キャンパスで学生と教授が同等に扱われなければならないと主張したことに対して、歴史的見地からその考えは間違っている、と厳しく叱り飛ばしました」(この大叔父については、(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080422)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20091215)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20091216)を参照のこと)。

1980年代の学生時代、私はどういうわけか、今は80代かもう亡くなった年配の教授達にひいきにされました。時々、教授達は若い教員達について、伝統的な厳しい学問のやり方を曲げていると、文句を言っていました」(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080325)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20100407)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110217)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120126)。

数年前に(後注:実は昨年の誤り)、フリードリヒ・フォン・ハイエクの『隷属への道』『致命的な思い上がり』と題する本を日本語訳で読んだ時、マレーシアやその周辺地域のトピックを追求しようと望む限り、現代の主流のアカデミックな傾向に自分の見解や考えを適合させるために、自分がどれほど多くの時間とエネルギーを浪費してしまったかを悟りました。例えば、人類学者達による文化相対主義は、ある程度までは善ですが、実際のところ、万能ではありません。多文化主義は、表面的にはよさそうに聞こえますが、事実上、伝統的な高文化を維持するのに、そして、真の相互理解を促進するのに、障害となっています」(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20070823)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080418)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080520)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20100408)。

私は、決して反米であったことはありませんが、1960年代と1970年代のいわゆる『対抗文化』には影響されたくありませんでした。しかしながら、ここのアカデミアでは、米国のある一定の強力な影響によって、「学術的な」努力という形態のうちに、それがまだ生きているようです」。

...と、偉そうに書いてしまったところが、パイピシュ先生からは、昨日書いたように(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120916)、「とても上手に英語が書けるね。あなたのメール短信が一番楽しいし、意見展開(evolution of mind)を楽しみながら理解しているよ」というお返事を頂戴したというわけです。
ドキッ!嫌みなのかしら、この忙しい時期に、長々と煩わさないでくれよ、という意味なのかしら?
主人曰く、「そんなこと、あれこれ考えてもわからんよ。でも、あの先生、世界中からたくさんのメールが毎日届いているんでしょう?その中で、こうして毎回、短くともお返事が来るということは、それ相応に気に入られているんだよ。嫌みや皮肉なんて書いている暇ないよ。外国人にしてはミスも少ないし、内容のある英語がよく書けますねぇってことじゃないか?」
私なりの理由としては、まず、もし日本に対する誤解があるようならば何とかして解いておきたいという、一種の愛国精神が私のうちにあること、第二に、訳業も、単に形式的にご依頼に応えているだけじゃなく、自分なりに一つ一つ考えながら進めているんだということを折に触れてお伝えしたいこと、この二つに尽きます!
でもねぇ、過去の映像などを見ていると、まるで住む世界が違い過ぎて、(会ったこともないのに、私なんかによくぞ訳文を頼んで来られたものだ)と身震いしそうな気もします。そうはいえども、同じデモでも、日本の場合は、原発問題など自国政府に対する責任を問うている一方で、中国や中東の場合は、根拠が曖昧なままに他国のせいにして大騒ぎになっているわけで、本質的に社会のあり方が異なるため、パイピシュ先生としても、ほっと日本の話題で気が楽になるという側面もあるのかもしれません。