ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

通じ合うコミュニケーションとは

というわけで、外国語の問題は、おそらくは一生つきまとうものだろうと思います(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120412)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120628)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120629)。それが宿命だと最初から覚悟を決めておいた方が、かえっていいのかもしれません。
ところで、今朝、新聞を読んでいた主人が笑って言いました。「楽天ユニクロって、TOEICが700ぐらいしかなくても、英語を社内で使うんだって」。それで通用する業種もあるのかもしれませんが、私はまっぴらゴメンですね。かえって時間のロスや誤解を生み、非効率なことこの上ないのではないでしょうか。

パイピシュ先生とだって、誤解のないよう、先生が気を遣って、平易な英語で簡潔にメッセージを送ってくださっているのに、それでも略語(jp)の件では、ひととき、おかしな悶着があったぐらいですから...(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120620)。

それに、パイピシュ先生の公式サイトにしても、「フォーラム」つまり公開討論の形式にしているので、トピックによっては、さまざまな感想や意見や議論が、一応のスクリーニングの上で掲載されていますが、この半年、ざっと見ている限りでは、レベルは十人十色。
一神教社会ではない日本でも、というより、むしろ一神教社会でないからこそ、(いくら何でもそのレベルは素人過ぎる)と私自身、感じることもあります。それに、あまりにもバカバカしいコメントが長々と勿体ぶって書かれていると、パイピシュ先生から、「あんたのその長々しい文章は、一文で要約できる」と、バシリと切られて終わっているものもあります(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120522)。
ほとんどのコメントはアメリカ合衆国からのものが中心ですが、時にはカナダ、イスラエルからのものがあり、たまにフランスやドイツやインドやエジプトなどが入ってきます。珍しいところでは、ギリシャポーランドなどでしょうか。これまで見た範囲では、日本からは一名ほど。いかにもアングロ・サクソン風の名前で日本在住の男性です。
パイピシュ先生の短い回答は、アメリカ以外の国からのもの、特に珍しい国からのものには、まじめな内容であれば、応答が掲載されています。ただ、自分の知識を披露したがっている風のものや、いかにも一見さん風ならば、見事に無視されています。
それでも、あるフランス在住女性からの必死のコメントで、最初は一生懸命の英語で書き綴っていたものの、途中で「ごめんなさい。私、英語がどうしても下手なんで、フランス語で書きます」と切り替えていました。それに対しては、パイピシュ先生もフランス語で親切に応答されていたのです。
アラビア語でのコメントというのか質問に対しても、内容から察知されたのか、「個人的にメールをくださいますか」と回答されていました。
たとえ電子版のコミュニケーションでも、見抜く目さえ確かならば、このような気持ちの通じ合う交流が可能だという一例だと思います。
さて、この頃はレヴィ君(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120623)が夏休みに入ったのか、ウェブ更新が最小限に留まっていますが、そういう時こそ、こちらの刈り入れ時。あ、違った、仕事を張り切る山場です。
というより、欧州では夏のヴァカンスの時に、我が日本支部はむしろ蟻のように勤勉に働くべし...(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120522)。
さすがにパイピシュ先生からは、相変わらず即座にお返事が届きます。最近の習慣として、なぜその文章を日本語に訳す気になったかという理由や日本語環境の説明を、一、二文ずつ添えるようにしています。また、書評を訳した場合には、手持ちの日本語出版物があれば、それも書き送っています。ニュアンスが異なる場合があるからです。(例えば、パイピシュ先生がいささか皮肉を込めて諧謔的に論評しているミニサイズの本が、日本語訳では、かなりまじめで穏健な印象を与え、本のサイズも大きくなっています。)
案外に、そのような情報が役立つのだそうです。時には、とても喜ばれている時もあります。
実は、このようなプロセスそのものが、私にとっては貴重な得がたい経験および勉強になっています。