ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

日本文化はイスラームの一種か?

イスラーム映画なるものの騒動が、今でも続いているようですが、私としては、(このパターン、もうそうろそろ何とかなりません?)って感じ。時間とエネルギーの無駄で、飽き飽きしているんですが、そこはパイピシュ先生、胆力が違います!大贖罪日として最も大切なヨム・キプールを迎える前のユダヤ新年10日間にも関わらず(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120916)、相変わらず、言論(と精神の)自由を求めて、怒りながらあちこちに文章を書きまくっているという次第。
ねぇ、先生。私思うんですけど、長年の中東イスラームの研究のせいで、先生もちょっとパターン化してません?相手の挑発に乗っかっちゃっているんですよ。そりゃねぇ、言論の自由は大事ですよ。それなしに、人間社会は改善も前進もしませんからね。日本だって、そうやって自由を尊重しながら、試行錯誤の上、こうして何とかやってきているので...。
それと、マレーシアのニュースを見ていると、私のよく知るキリスト教指導者層が、「ムスリムの宗教感情を大切にすべきだ」って発言していますけど(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/20120921)、あれは国内で置かれた位置づけから、自分達の共同体を守る意味での発言でもあります。一種のアジア的な文化表現の一端でもありますし、それと米国や欧州とは、基準がまだ別なんですってば。だからダメって事もあるし(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120623)、だから何とか表面的な「穏健さ」を保っていられるということなのかもしれません。マレーシアに米国基準を押しつけても、すぐにはうまくいかないでしょうねぇ。
いえ、だからって、賛成しているんじゃないですよ。そうでも言っていなければ自分達が危ないっていう、そういう社会だってこと。
今回のパターンも、私としてはすっかり飽き飽きしているけれども(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120917)、セキュリティだけは万全に高度化しておいて、大使館も最低限の人員以外は帰国させて、何なら経済援助も技術支援も打ち切って相手にしないことですよ。もっと、通常の業務に黙々と励んで、新しいテーマを開拓して、我々はそんな暇ありませんって、無視に徹する。
さっきも、アル・カーイダのドキュメンタリーを前編後編の二本立てでテレビで見ました。普段は全くと言っていいほどテレビを見ない私でも、映像ってリアルでやっぱり重要だなって。そして、ますます、安易な援助や相互理解(のふり)をしても、結局は相手に吸い取られるだけだということも、併せて学びました。だから、厳しい態度を保ち、自らの文化や社会の安定と発展を守ることが大事だって。
というわけで、9月16日夕のユダヤ新年から訳文提出はお休みしていますが、その代わり、13本ぐらい新たな訳文が作ってあります。ヨム・キプールが無事に終わったら(第四次中東戦争は、ヨム・キプールの日に急襲されたので(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090210)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090404))、また、数日かけてまとめてお送りします。
レヴィ君ったら(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120916)、この10日間は仕事に従事できない割には、気がつくとこっそり一日1本ずつウェブ掲載を続けていたりして、何ともユーモラス。でも、なぜか日本語はお休みのまま。皆さん、それぞれに現代生活と宗教のおきての間で、苦労されているんですね!
もし、9月中に全部の訳文が掲載されるようになったら、日本語訳は120本ぐらいになる計算です。そのうちの4本+2本は前任者(日系アメリカ女性で2004年頃(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120505)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120531))と専門の翻訳者(『フォーリン・アフェアーズ』掲載論文の『中央公論』版(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120528)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120531)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120604))なので、それを除けば114本は私の仕事分です。7ヶ月でこれだけということは、一ヶ月に約15本以上なわけで、つまり、一週間に3〜4本の割合で仕上げたということになります。6ページぐらいの長文もあれば、1ページ未満の短いものもある上、長さに関係なく内容によっては、自分が知らなかったり、非常に込み入って調べるのが大変なものも含まれているので、一概には言えませんが、それにしても、割合に頑張っている方では?ミスに気づき次第、自分で再提出(#2)、場合によっては再々提出(#3)もしているし....
パイピシュ先生の訳文も、この頃のは内容が重たいし、問題の性質上、重複が多いので(これは、パイピシュ先生がワンパターンの思考だというのではなく、中東イスラーム情勢が不安定なまま停滞と後退を繰り返しているため)、訳文を仕上げるにも、一つの原稿だけに集中するのは精神的にきついところ。なので、パイピシュ先生がまだ初々しいハーヴァードの学生さんだった頃、雑誌や新聞に掲載された原稿や、20代の頃の随想(ブログ掲載)の短文を同時並行して訳しています。そうすれば、一週間から十日ぐらいアキがあるように見えても、いざとなれば、10数本ずつ、まとめて送れるというわけ。(ただ、たまにレヴィ君が見落として、1本、しばらくアップを忘れていることもありましたが。)
学生の頃からパイピシュ先生はフランス語の本も読んでいらして、基本的な思考の型が既にできていることがわかり、私にとっては、大変に興味深いところです。訳文を引き受けたのも、そもそも、できあがったものの一部だけを上澄みで批判して見捨てるには、非常に惜しいような輝かしい部分がたくさんあることに気づいたためですが(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120330)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120804)、確かに、訳していて勉強になると思うのは、こういう時です。もちろん、私なりの感想というものもあり、提出時に、一、二文添えておくと、とても喜ばれます。世界に電子版で公表する前に、パイピシュ先生の方から翻訳者チーム宛に、二週間に一度、オリジナル原稿がメーリングリストで届きますが(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120809)、それとて、決して「是非ともこれを翻訳しろ」などという命令ではなく、「このメールを受け取るのを拒否したければ、連絡をください」と銘記されていますし、そういう原稿を全部翻訳しなければならないというものでもなさそうです。
訳業で一番律儀なのがフランス語訳者ですが(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120606)、もともとフランス語の担当者は、スイスのフランス語圏に一人、フランスに二人いらっしゃるようで、今の中心は、フランスの元大学教授だった女性のようです(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120505)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120525)。
これまでざっと見たところでは、翻訳言語が十以上集まっている文章は、確かに内容もしっかりしていて論考に重要なポイントが含まれているし、少しでも大勢の人々に読んでもらいたいと、それから十年ほど経った今の私でも思うような原稿が多いです。つまり、人間社会の関心事は、文化によって比重に濃淡があるとはいえ、ある程度は傾向があるということでしょう。
ただ、3本程度掲載されている「日本論」については(http://www.danielpipes.org/topics/16/japan)、中東およびイスラーム問題および米国の権益が中心のサイトという建前なので、ほとんど読者からの熱狂的な反応はありません。部分的に、フランス語やイタリア語やアラビア語の訳文が出てはいるようですが、私から見ると(ちょっと今では古びた情報を含む、バブル全盛時代の標準的な日本論かな)というところ。原稿提出時は、確か湾岸戦争などで超多忙だったはずなのに、(それにしても短期間で一生懸命に調べましたねぇ)というのが率直な印象。ただし、日本人の端くれにとっては、特に目新しくオリジナルでユニークな日本論というわけでもありません。
1986年の3ヶ月の日本滞在中は(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120904)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120917)(2014年5月8日後注:実際にお目にかかって確認したところ、実は1985年の4月から6月までの滞在だったとの由。ご長女が生まれる直前のことだった)、中東研究者達にイスラエルのことで冷たくあしらわれたようなのに、それはおくびにも出さず、ひたすら日本を好意的に見て、褒めちぎり(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120127)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120429)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120822)。これは、お父様が「広重」の浮世絵を収集されていたという経緯もあるでしょうし(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120507)、パイピシュ先生お得意の‘賢い’戦略的思考の一環でしょうか。いざとなれば、1930年代から40年代のナチに協力した‘ファシズム日本’と、1980年代半ば頃からの日本国内における‘反ユダヤ主義の出版物のリスト’を挙げることで(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120505)、ご自分の立場を守るという戦法なのかもしれません。
ただ、日本論にしては特に顕著なユニークさがない割に、この3本の論考にもし存在意義があると私が考えることが妥当だとするならば、それは、アフリカを含めた中東ムスリムの大使や大学関係者達が、「日本文化はイスラームに合致する」などという、わけのわからない発言を堂々と日本の大学で述べているのを、直接知っているからです(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120127)。
中東イスラームの専門家としてのパイピシュ先生の「日本論」は、視点の転換(?)も兼ねてなのか、「中東の近代化の失敗」との比較の上に成り立っているので(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120916)、一日本人の私としては(当たり前でしょう?)と、正直なところあまり喜ばしくはありませんが、訳文をコンスタントにこなすには、確かに「気分転換」にはなります。ただ、とうに過ぎ去った時代のことを書かれていることから、一種のノスタルジー気分。慢心を厳しく制御しつつも、(こんないい時代もあったんだなぁ)と励みにしながら、きちんと書き残してくださったパイピシュ先生に、感謝の念をお献げしたいと思います。