ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

夏の終わりに想う

この夏は、原発問題のために、節電に努めるよう広報が回ってきていたので、普段よく聴いているクラシック音楽も棚上げ。夜間に電気を使うならば何とかなる、との知恵も一緒に回ってきました。たまたま、この7月8月は、ダニエル・パイプス先生の訳業に夢中になっていた時期だったので、電気代はその分、浮かせられました。こうしてみると、世の中って満更でもなく、結構うまく回っているのではないか、と楽天的な気分にもなってきます。
その訳業ですが、昨日、久しぶりに支払い請求のメールを書いていたところ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120606)、二回目の支払い日だった6月5日以来、61件もの新たな訳文を提出していたことに気づきました。もっとも、書評やブログなど、短い文章も含めてですので、一概には言えませんが、ここへ来て、特に6月以降は、他事そっちのけで、こればかりに集中していた内外共に熱い日々を感慨深く反芻したという次第。
経理担当の人も、どういう風の吹き回しなのか、突然、改まった調子でメールの返事を寄こしてきました。初回(3月下旬)が7本、二回目(4月中旬から5月下旬まで)が9本だったのに、修正原稿の差し替えなどの期間を含めて、フォーリン・アフェアーズ中央公論の件が一件落着した6月上旬からは(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120604)、本格的に始めましたから。三回目(8月下旬)の支払い分になったら、いきなり61本に増えていたとなると、さすがに「ハイ!」ってな気楽な調子にはなれない、というところでしょうか。
特に、この頃、少し秋めいて来ましたし....。
そして、パイプス先生の2週間のオーストラリアの講演旅行も(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120815)、数日前には無事終了した模様です。
3月の訳業を正式に受諾する前の時期には、パイプス先生、スイス(少なくともベルンとチューリッヒ)とイスラエル(こちらは50名以上の参加者と共に)を集中的に旅されていたにも関わらず、私のコマゴマしたメールにも、「ごめんね。今すごく忙しい旅の途中だから、短く返事する」「返事が遅くて悪いね。とりあえず、簡単に答えるよ」みたいに、実にマメなお返事をいただいていたことを、今から振り返ると懐かしいようなありがたいような気分で思い出します。帰国したかと思ったら、その後は西海岸を講演して回っていらしたようで、私としては、その精力的な活動ぶりに、ひたすら圧倒されていました。
今回は、あれから4ヶ月ほど間を置いての海外講演旅行。全部の行事が公表されているわけではなさそうですが、少なくとも、私の知る限り、二つの研究所で中東に関する講演、テレビ取材が一回、ラジオでのコメントが一回、その合間に隔週で続けているコラムが1本、地元紙の短い取材記事が1本と、ほぼ二日に一度は公の行事があり、その合間を縫って、シドニーメルボルン、キャンベラなどを移動、それに加えて主催者によるディナー会....と、慣れていらっしゃるとはいえ、結構きつい日程ですよね?
というわけで、この度、気づいた点を三つほど...。
1.6本ほど新たな訳文および修正文を送ったが、お返事は三度のみ。つまり、いったん訳業が軌道に乗れば、「いつも慎重な仕事ぶりを感謝しているよ」「どんな訳文でも歓迎するよ」で、それ以上は特にコミュニケーションの必要性がなさそうだということ。
2.講演会の場所の一つは、実は初めての施設ではなく、去年も関わりがあったところ。つまり、一度呼ばれたら、(またあの人の話を聞きたい)という要望があってのことらしく、同じ場所での講演が開かれた模様。
3.しかし、昨年のビデオ映像と比べて、今回は全体として、講演が10分から15分とかなり短くなり、後は質疑応答に時間を当てている。また、会場に集まった人々を撮らない細工になっている。
まず、メールそのものは、直前までは、ほぼ毎日あるいは毎回のお返事でしたから、今回の旅はそれほどまでに「集中した旅行」だったのでしょう。そもそも治安面から、オフィスに表札がなく、タクシーを呼ぶ時にも別名を使い、ホテルに宿泊する際には違う名前で通すこともあると、インタビュー記事にはありましたから、最初のテレビインタビューの画像で初めて、オーストラリアにいらっしゃることを知ったぐらいです。もともと、ここしばらくは、毎年8月に一週間から二週間ほどをオーストラリアの講演やテレビ出演などで過ごされるそうで、そのことも、過去の記録を見て今回初めて知りました。
次に、講演旅行の大変さを改めて感じたこと。これまで知る限り、大抵は、紙に話す内容を準備して、それを見ながら話したり、スマートフォンのような小さな電子道具を使ってお話されていたパイプス先生でした(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120227)。後でウェブに載せたり、どこかの出版物に公表する予定だからだろうとはいえ、人前で話す以上は、いくら忙しくてもきちっと用意して、責任を持っていらっしゃるんだなと、その高く厳しいプロ精神に感銘を受けていたのです。
ところが、今回は時間がなかったのか、どこか体調でも悪かったのか....?流動化の激しい中東情勢の分析や予見とはいえ、既にウェブサイト上で情報収集したり文章化したりした内容を、特に準備することなく思いつきのまま話されていたように見受けられました。ちょっとお疲れだったのかも?少し淋しく、かつ残念にも思いました(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120229)。
その一方で、講演を聴く側にとっては、みずからが遠距離を移動する疲れも時間差もなく、直前までパソコンなどを通して関連事項の情報収集に専念できるという強みがあるわけです。つまり、ウェブに書いてあることを肉声でご本人を目の前にして聴けることだけが、唯一の特権、ということになるのではないか、と。つまり、情報の新しさや質量や分析力の鋭さと新奇さが売り物のはずが、(あの人ならこう言うだろう)と、予めわかってしまっているならば、既に講演会の意味が半減するという恐ろしさも含むことを、自ら仕事として課していらっしゃるんだな、と。
古い文章も少しずつ、つまみ食いのようにして訳していますが、もともと勤勉で人の二倍三倍以上は働いて勉強していらしたとはいえ、2001年から2004年頃までの、売れっ子学者としての言論活動上の働きぶりからすると、パイプス先生にとっては、50代が仕事の質量共にピークで、60代に入られた今は、組織の拡大化や後進の育成にむしろ力配分を注がれているのかもしれないと思いました。
それに、2004年頃、別のジャーナルを共同発行していると公にパイプス先生が説明されていた研究者が、その同じ年にそのジャーナルをやめてしまい、今では全く別の組織で研究活動をされていることも知りました。つまり、流動性の激しいアメリカ社会ではよくあることとはいえ、せっかく運が向いてきて、一緒に事業を拡大していこうと意気込んで公表したところが、何が起こったのか、その後まもなく道が分かれてしまったのです。その研究者の中東情勢についての分析や解釈を、先程少し見てみたところ、シリアに関する見方が、明らかにパイプス先生とは違っていることを発見。もちろん、多様な解釈や物の見方があっていいのですが、あのような複雑な地域を専門的に分析するとなると、同じ方向を向いていたつもりでも、ちょっとした齟齬から別れ別れになってしまうこともあるのだな、と。
で、実のところ、正直な感想としては、その分かれていった研究者の書いている内容の方が、私にはしっくりきたというのか、落ち着いて読める気がしたということも申し添えます。(ユーリ後注:2012年9月25日付で受け取ったメーリングリストには、上記の別ジャーナルの共同発行者だった男性が、他の数名と一緒に、前と同じくシリアなどの専門家として、再び新たな研究員として戻って来られた由、綴られていました。さすがは、ユダヤ系組織の物の考え方は、非常に長い目で見ていらっしゃるんですね!)
結局は、親イスラエル派のパイプス先生のこと、どうしてもイスラエルを擁護したいという立場を堅く守っていらっしゃるので、他の要素が抜け落ちてしまうというのか、あまりにも明快な分析ではあるものの、その他の面を切ってしまっているような、ちょっと危うげな点にも気づかされています。
そういえば、先程、96歳のバーナード・ルイス氏の新著について、先程、iPodで電話インタビューのような十数分の番組を聴きました。やはり、イラク戦争には反対していた、との由(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120811)。もしそれが本当だとすれば、ルイス氏に対して、学術権威者の名を用いて随分ひどい言いがかりを語る人がいたんだな、という恐ろしさを感じます。誤った情報が、日本でも蔓延していたのですから。長生きはするものですね、ルイス先生?
パイプス先生は、高齢にも関わらずますます意気盛んに本を執筆されたりしているルイス氏の姿に、「自分も頑張らなければ」みたいなことを書かれていた文章があります。お二人とも再婚されていますから(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120316)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/20120830)、中東のようなストレスのたまる難しい地域を第一線で研究し続けるには、プライベートな面で、相当の犠牲も払っていらっしゃるのでしょう。その反面、だからこそ、憂さを晴らす(?)ためにも、ますます公の仕事に専念されるのかもしれない、とも思います。私生活が充実していると、何となく満足してしまう傾向って、人間にはありませんか?