ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

使える通訳・使える翻訳とは?

小松達也先生のお話のあらましを(参照:2012年3月14日付「ユーリの部屋」)、昨晩の夕食時、主人にもダイジェスト版を伝えたところ、かつて元気だった頃、野心と向上心に燃えたエンジニア研究者として、アメリカとの交渉の際に通訳をお願いした経験と照らし合わせて聞いてくれたようでした。結論としては、「本当に使える通訳は、ほとんどいなかったね」「そこでそんなことを言っているようじゃ、駄目だね」。
つまり、小松先生のおっしゃっていることの厳しい妥当性が、我々の小さな経験からも判別できたというわけです。
ついでながら思い出話を披露すると、MITに来る日本人男性研究者を、アッシー君のように顎で使う日本人女性もいたとか。つまり、あの辺りで日本語教師をするぐらいだから、相当ご自分を高く見積もっていらしたのでしょうか。交際期間中、「日本語教師やっている人って、変わった女性が多かったよね」と言われたことを覚えています。ドキッとしましたが、どういうわけか、私を選んでくれました。主人のように、黙って口数の少ない男の人って、案外に鋭く観察しているもので、表面的にはモサい男のようでも、要注意、要注意....。
小松先生も、お立場上、守秘義務から黙っていらっしゃるものの、これまでの通訳経験から、興味深い裏話を相当たくさんお持ちではないでしょうか。
とにかく、私が好きなタイプの男性は、寡黙で有言実行で含羞をたたえたような感じの人です。うちの主人も、まさにそうなんです!って、ちょっと余計なことを申しました。失礼いたしました。
こんなバカ話をしているのも、昨日がホワイト・デーだったからでもありますが、以下に続く転載記事があまりにも深刻なため、緊張緩和の前座を必要としているのです。どうかお許しを。


メムリ」(http://memri.jp/bin/articles.cgi?ID=SP453912

緊急報告シリーズ

Special Dispatch Series No 4539 Mar/9/2012


アラブ世界は身内の殺人なら許容しイスラエルなら大騒ぎする
―アラブ語紙編集局長の批判―



タリク・アルホマエド



ロンドン発行アラビア語紙Al-Sharq Al-Awsat編集局長アルホマエド(Tariq Alhomayed)が、「アサドをイスラエルと比較しよう」と題する記事を、同紙に掲載した。そのなかで編集局長は、シリアの現状を「アラブの典型的ケース」、「解決なき問題」と呼び、「我々の民主々義は歪んでいる。奇形である。共和制も然り」と述べた。更に編集局長は、暴力的アサド独裁政権の行動をイスラエルの行動と比較し、「アラブは、アラブ人がアラブ人を殺せば許容できるがイスラエルが殺すなら、途端に非難の大合唱となり、大同団結して決着をつけよ、と言いだす」と主張。「この暴君(アサド)の退陣は、我々のこの地域における偽善を根こそぎするのに一役かう。この偽善の典型的シンボルがアサド政権であるからだ」と結んだ。以下その記事内容である※1。



シリアの状況はアラブの典型的ケース―解決なき問題



「我々のこの地域において、上から下まであらゆるレベルで繰返されているのを考えると、頭が混乱してしまう。第1の派は現在起きていることを正当化し、第2の派は疑問を呈し、第3の派はずるくたちまわり、高みの見物をきめこもうとする。これを見ると、理解不能な不条理の世界を眺めているような気分に襲われる。つまり、アラブの典型的ケース即ち解決のない問題を、見ているのである。或いはベリ(Nabih Berri アマル運動の指導者)の筆法を借りれば、「勝者も敗者もいない」ケースで、私はこれを政治的流動性のケース、と名付けている。


我々は同じようなことを前に何度も見てきた。サッダム・フセインクウェートを占領した時、レバノンヒズボラの最高幹部連が意図的に筋の通らぬ戦争を煽りたてた時、そのレバノンヒズボラベイルートを占拠した時、そして、3分の1(議会)阻止勢力という概念をつくりだした時が、そうである。


我々は同じようなことを前に何度も見てきた。自分達をエリートと考える(ヒズボラの)同盟者の行動が然りである。同じことがハマスにも言える。この組織が武力クーデターを起すと、人々はこれを正当化し、擁護した。占領下での武力クーデターという奇妙な状況であることを知りながら、である。これは、まさにアラブの典型的なケースである。論理も解決も出口もないケースである。



アラブの民主主義は奇形、共和制も然り


イラクでは、マリキ首相が選挙に敗北したが、まだ権力の座にいる。レバノンでは、或る党派のメンバーが、権力を得るために自分の運動を中傷、誹謗する。〝椅子取りゲーム〟或いは〝権力のたらいまわし〟をそこに見る。我々が目撃しているのは、エリートの主導する、たるみきった敗北のアラブである。それは時と共に悪くなるだけである。ナセルからサッダム・フセインへ、(ヒズボラ書記長)ナスララから(オサマ)ビンラーディンへ、落ちる一方である。


それだけではない。我々の民主々義は歪んでいる。奇形である。共和制も然り。それは本物の共和制ではなく、王政でもない。それは、アサド(親子)体制に適用される特殊なものである。



イスラエルの行為と狂気の独裁国家を比較せよ


ここで、この狂気の独裁国家について考え、近年イスラエルが我々に対して行なったことと、対比してみよう。近年というのはこの5年間のことで、具体的にはレバノン戦争(2006年)とガザ戦争(2009-2010年)をさす。


2006年、イスラエルレバノン侵攻に対して、全世界が阻止にかかった。この戦争は2ヶ月ほどで終り、レバノン人1,200名が犠牲になった。ガザ戦争についても同じことが言える。この戦争でもほぼ同数の犠牲がでた。


この二つの戦争でアラブ世界の世論は行動を求めて沸きたち、その一方で偽の〝イスラエルの友人〟リストなるものも、発表された。アサド政権が考案したのである。実際アラブの政治家の多くがこの悲劇を利用しようとした。最も悪辣なのがアサド政権であった。しかしながら、我々は、疑問の声を一度も聞いたことがない。つまり、何故この戦争が起きたのか、今日に至るまで誰も疑問を発しない。誰の損得でこの戦争が起きたのか。誰に奉仕する戦争だったのか。戦争の責任は誰にあるのか。疑問の声を全く聞かない。



自国民を虐殺するシリア軍―アラブは身内の殺人を許容する


今日のアサドはどうであろうか。シリア軍は自国民を情け容赦なく虐殺している。その模様はテレビで伝えられてきた。ここ2−3ヶ月の話ではない。1年も前から起きており、死者数は既に8,000人を越えている。それだけではない。ダマスカスの暴虐政権軍は、モスクを破壊し、女子供や老人に暴力をふるい、虐殺している。アサドが権力にしがみつくだけの、只それだのために、自国民を殺す。


このようなことが起きているにも拘わらず、アラブ諸国、政治家、報道機関そして名土達は、ぐずぐずと先延ばしをするだけ(で何もしない)。人殺しがアラブ人なら許されるが、イスラエル人なら総掛りで抑えつけ、結着をつけなければならぬ。そういう態度である。ハサン・ナスララ(ヒズボラ書記長)のような人物が、恥知らずにもアサド擁護にまわっているのを見ると、その思いはひとしおである。


アサドの退陣は偽善根絶の第一歩



我々が、アサドとイスラエルを比べるなら、この我々の地域における偽善の大きさが、判る。この偽善は大きくなるばかりである。そして、今日ではアサド政権が偽善の発信源。父親と息子の両政権である。レジスタンスなどという口あたりのよい嘘をベースに生きのびてきたのである。


偽善の最も突出した象徴がアサド政権であるから、この暴君の退陣は、我々の地域に蔓延する偽善の根を断つうえで、役に立つであろう。


※1 2012年1月3日付 Al-Sharq Al-Awsat(ロンドン)