ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

最新のある映像を見て

米国流といえるのかどうか、表面的に忙しなく活動を続け、その記録更新が業績となる風潮が、日本にも定着しつつあるこの頃です。
物事はそれこそ是々非々で、能力と体力に自信のある人ならば、従来の日本の年功序列よりも、生き生きと自己を伸ばせることでしょう。一方で、いくら自信があったとしても、不慮の出来事により、必ずしも自分の責任とは言えないことで人生行路の変更を余儀なくされる場合も、少なくありません。身内の話で恐縮ですが、うちの主人などが、その典型です。しかしながら、決して悪いことばかりではなく、それによって、「それまで見えなかったことが見えるようにもなった」と、よく言っています。
活動成果の内実は、ご本人が最もよくわかっていることであろうと思います。その場に出て行って何かを話し、その活動が記録として公表されれば、「業績」と換算されるというのは、一つのやり方ではあります。ただ、問題は、資金集めのこともあり、パブリシティの競争のためもあり、どうも内容に不完全なことが出てきた場合、引き際をどのように考えるかが勝負どころともなります。つまり、仕事内容を拡大するのではなく、整理していき、確実なものだけに絞るということです。私は、後者のやり方の方が好きですし、自分に合っていると思っています。
アメリカの競争は、移民社会ということもあって、非常にシビアだと、主人も言っています。何しろまだまだ若い国。しかも国土が広大。大変は大変。落後しても再挑戦が可能だなどと、日本で本に書いたりする人までいますが、果たしてどうでしょうか。
いったん、メディアなどで有名になってしまうと、最初は好調で興奮状態であったとしても、そのうちに、それを上回る情報提供者が出てきたり、分析能力のより精緻な人々が出現したりすると、もうその競争は激烈なものとなります。従って、生き残り、資金提供者たる人々を惹きつけ続けるには、多少、汚い手を使わざるを得なくもなるのかもしれません。しかし、それが他人に気づかれた時には、既に時遅し、ではないでしょうか。
沖縄を旅行していたのは、昨年の3月上旬。米軍基地の問題で、騒ぎがあった頃でもありました。ところが、別の角度から、ガイドを務めてくださった地元男性が「アメリカさんとは、何とか共存していますよ」とボソリとおっしゃったのを、今でも新鮮な発言として覚えています(参照:2012年1月31日付「ユーリの部屋」)。もちろん、文字通り信じるのは、無粋以外の何物でもありません。しかし、「アメリカさん」という表現そのものに、地元人の誇りというのか気概というのか、(わかってない人々ですからねぇ)という憐みの心情がにじみ出ているかのように、私には感じられました。間違っているかもしれない憶測に過ぎませんが。
昨日、早速届いた映像を見ていて、いろいろと感じ入ることがありました。
1.ご本人は、会場をある面で特殊な場(クネセト)に設定して短くテーマ講演することによって、議論を刺激する機会を提供したと主張するかもしれないが、会合に集った人々は、旅行道程の中でもあり、比較的気楽な服装で、コーラなんかを飲みながら、時々、いぶかしげな表情で熱心に聞いていた。
2.質疑応答がなかなか活発だった。皆、自分を含めた家族や親戚や孫達の命運がかかっている国勢の動向を真剣に考えている人々ばかりのため、ヘブライ語と英語で、丁重な態度ながらも、ストレートに意見を述べていた。
3.最も勉強になったのが、「一体、その情報を講演者はどこから仕入れてきたのですか。我々は、あの地域には近づかないよう、言われているのですが」と、権威に媚びたり盲信的に従順になったりせず、確実性や事実の当否を真っ直ぐに尋ねていたこと。
4.その場で新聞記者がすぐに記事を書き、即座に電子版に掲載されたこと(http://www.jpost.com/DiplomacyAndPolitics/Article.aspx?id=261916)。この記事は、決して講演者を擁護するものではなく、むしろ客観的ながらも批判的であった。その批判がどこから来たのかと言えば、同席した別の研究所の研究員からだった。最初は英語で、途中でヘブライ語で語るよう、講演者に促されていたので、詳細は不明だが、この一こまから、さまざまな状況が読み取れた。
5.なぜ、ヘブライ語で語るように促したかと言えば、講演者が自分の見解にどこか不安があり、反対意見を英語で述べられたら、全世界に伝わってしまう恐れがあるからであろう。自信があれば、英語のままで結構だ。ヘブライ語を聴いて理解できる人々は日本にもいらっしゃるが、それでも全体からみれば、まだ限られてはいる。その細工のしぐさに、考えさせられるものがあった。
6.しかしながら、その電子版記事を、講演者は隠すことなく、自分のメーリングリストに含めて紹介していた。この勇気と公平さは、当然のことながら重要な側面であろう。自分にとって都合の悪いことを無視するようになったら、本当に終りだ。
7.一つ、今回の一連のケースから私が感じたのは、世界中、あちらこちらを飛び回って、交渉と講演と会合設定に駆け回る時代は、年齢的にも実力的にも、そろそろ引き際に近づいているのかしら、ということ。40代50代の頃は、自分でも何をやっているかわからないほど、忙しく何でもこなしていたそうだが、その年齢ならば、体力的にも無理が利く。しかし、ちょっと金属疲労のような状態になっているのかもしれない。
8.アメリカのシンクタンクは、我こそはと思う人が自分で勝手に名称をつけてオフィスを構え、資金集めをしては人々にある分野の分析や専門情報を提供して、事業を成り立たせているようだ。もちろん、資金力と人材がものを言う。中小企業の経営者感覚なのかもしれないが、日本を見ても、大企業の方が、内情はともかくとしても、資金力や人材の質と量においては、ある程度、ゆとりがあるのは否めないであろう。そこをどのように考えたらよいのだろうか。
9.以前から気になっていたことは、人間関係の構築の仕方。どうも一匹狼的な行動を取る傾向にあるようだ。自分に余程自信があるのか、それとも、本当は信頼できる友人がもっとほしいのに、何かと壊れがちなのか。若い頃は、それなりに国際情勢の先端に触れる場で下積みのような仕事もされていたようだが、その時に培ったはずであろう人脈は、その後どのように生かされているのだろうか。
10.世間的には有名にはなっても、大学の同窓会に出席したところ、やはり学生時代と同じように、自分が受け入れられずに孤立していたと、会報のインタビューで自ら述べていた。プライヴァシーは明かさないものの、あの世代の米国人にしては、結婚した年齢が比較的遅く、しかも、理由は不明だが再婚しており、何かと家庭生活が落ち着かないこともあるのではなかろうか。家庭生活の安定は、何よりも、健康維持と、よりよい仕事を続けるための重要な基盤である。何だか、そんな余計な心配までさせるような、そんな映像であった。