ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

祈りの輪と和

例年なら、この時期は花粉症もどきで、贅沢なことに、家にこもって読書三昧。ところが、今年は年明け早々から、私にしては珍しいほど忙しい日程が続き、その上、今回の巨大地震のために、なんだか緊張感と疲労感が抜けきれない毎日を送っています。もちろん、花粉症など、どこかへ吹っ飛んでしまいました。
被災地から距離のある私でさえ、こんな状態なのに、東北地方や首都圏を含む関東地域の人々は、どんな気持ちで過ごされているのかと思うと、何ともやりきれなく鬱々。
ドイツ語の「リンゴの苗木」を思い浮かべ(参照:2011年3月24日付「ユーリの部屋」)、なすべきことだけは淡々としているつもりですが、沖縄旅行で中断した日課の勉強が、まだ開始できていません。申し訳なくて、それどころじゃないって感じで....。
昨日、久しぶりに近所の図書館へ立ち寄って、数ページずつ複写してきた雑誌数冊の中に、“Newsweek”(March 28 & April 4, 2011)があります。表紙には‘Apocalypse Now’とあり、つい「黙示録」を想起してしまうのですが、一般的には「究極の大惨事」とでも訳せるでしょうか。
27ページには、「フクシマ50」と呼ばれる、福島原発で命懸けの危険な作業に従事されている人々のことが書かれています。ところで、今朝受け取ったメールには、マレーシア在住の知人経由で「一人でも多くの方々に祈ってほしい」という昨日付の添付メッセージが含まれていました。
ご存じの方も多いかとは思いますが、できる限りのご加祷の結集をお願いしたく、無許可で恐縮ながら、ここにその抜粋の一部をご紹介いたします。

自衛隊特殊化学防護隊の隊員たちは志願者です。しかも年齢は55歳から上でもう子育ても終わったので思い残すことは無いと志願者となったようです。その様な志願者が50名。


原発での作業中は、放射線による被曝が有ります。国が定める限界被曝単位100ミリシーベルト。それが250ミリシーベルトになりました。何故なら彼らが望んだからです。100ミリシーベルトではすぐに時間が経ってしまい数分では作業が出来ないからです。だから彼らは国に250シーベルトに上げてくれと言いました。その為の自分たちへの被爆量は覚悟のうえです。そのお蔭で昨日、あと一歩で臨界点と言う所で臨界が止まりました。もし臨界点に達していたら私達は今、この時、この時間を過ごす事が出来なったかもしれません。半径300KM内、生物の生存率は限りなくセロに近かったんです。今この時間は彼らのお蔭なのです。お願いです。皆さん祈って下さい。作業が成功するように祈って下さい。みなさんの思いを送って下さい。

いくら「子育てが終わった」からとて、寄り添うご家族やお友達の気持ちを思えば、言葉もありません。何より、我々の快適な現代生活が、このような人々の命懸けの労苦の上に成り立っていると思うと、もう罪悪感というのか、何かが根本的に間違っているのではないか、という...。
私のブログは、毎日アクセス数をノートに記録していますから、だいたい何人の方が読んでくださっているかは把握しているつもりです。どうか、皆様それぞれの方法で、このお祈りの輪/和を広げていただけませんでしょうか。ちなみに、知人に発信したのはグリークラブの指揮者で、このメッセージは、その指揮者さんの高校の同窓生の友人からのご依頼だそうです。どうぞよろしくお願い申し上げます。