ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

ハートフォード神学校について

昨日は、一通りまとめが終わったところで、気が抜けたのか、どっと疲れが出てしまいました。なんでこの程度で、と我ながら思いますけれども、「価値観の違いを認め合う」とは、このような作業の連続だということの証左でもあります。
ところで、2007年8月23日付「ユーリの部屋」で、文化相対主義に対する反論めいたものを書きましたが、その補足として、アラブ系ムスリムの開かれた知識人からも、文化相対主義批判が出ているという興味深い資料を「コメント」欄に追加しました(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20070823)。ご興味のある方は、どうぞご覧ください。
また、昨晩は、ライプチッヒの聖トーマス教会合唱団による『マタイ受難曲』のCDが無事に届きました。似たようなCDが、大阪のシンフォニーホール会場でも演奏会当日に販売されていたのですが(参照:2008年3月10日付「ユーリの部屋」)、5000円という高さに驚いたのと、カバーに日本語のみならず韓国語でも表示がついていたため、(探せばもっと安いのがあるだろう)と買うのをやめました。主人も同意見だったので、その後がんばって探し続け、確かに、送料込みで4500円のCDを見つけたというわけです。
それにしても、このような音楽に触れているので、何とか上記のような作業が続けられるのでしょう。そうでもなければ、(なんなんだ、これは!)で終わってしまいそうですから...。

ハートフォード神学校が発行している『モスレム/ムスリム世界』の遍歴(1911年から2003年まで)については、既述のように、2005年12月と2006年3月のマレーシア研究会で、導入程度の口頭発表は済ませました。いずれ、もっときちんとした本格的な発表を、正式なキリスト教系の学会でしてみたいと考えています。もちろん、原稿の形にもまとめる予定です。
上記ジャーナルから、英領マラヤやマレー語に関する記事や論文を1ページずつ丹念に探し出した結果、プラスチック製の透明箱に、かなり複写コピーがたまりました。これを整理するだけでも一仕事ですが、楽しみな作業でもあります。昔のキリスト教宣教師のムスリム観察については、ムスリム側がいかに反論しようとも、また、確かに社会経済状況はかなり上昇しましたけれども、今も基本はあまり変わっていないように思います。
一方、キリスト教社会やクリスチャンの方は、世俗化への対応や、多宗教社会の現実に適応するため、大幅に変化が起こりました。ある面、キリスト教にとっては残念な結果といえば残念ですが、他方、そのように隠れた場においても生き延びているのがキリスト教だとも言えます。また、個人レベルで、卓越したクリスチャンの社会活動も看過できないでしょう。

ハートフォード神学校と上記ジャーナルの変遷について、その概略を研究会で口頭発表したとお伝えした時、ジクモント教授は大変喜んでくださいました。それもそのはず、先生が学長をされていた時期にも、大きな転換が一つあったのですから。こういう神学議論は、非常に時間がかかるのです。しかし、関与する人々は真剣そのもので厳しく非常にストレートな面を持ち、比較するならば、日本での宗教議論が、まるで世間知らずの子どものおしゃべりのように軽薄に感じられるほどです。

日本社会は、概して宗教に関して当たらず障らずの態度を持つので、かえって平和で問題が少ないような感触がありますが、国外に出ると、少なくともその方面の知識を持っているかいないかで、接触する人々との交流の度合いや、社会を見るまなざしが異なってくることにも、経験上、気づきました。
繰り返すようですが、個人的に私の場合、聖書の知識が皆無ではなかったことが、マレーシアでも私的公的に、とても助かりました。別に危害にみまわれたわけでもありませんけれども、身を守る上でもかなり助けになったかと思います。こちらに対するムスリムの態度も、断然違いますから。

ともかく、昨日までの論文紹介の作業を通して痛感したのは、ムスリムが信奉するイスラームを尊重せよと主張するのであれば、同時に、非ムスリムが築き上げてきた価値観や非イスラーム諸宗教の信条を犠牲にすることがあってはならないという点です。特にクリスチャンにとって、これは難題です。表面的な外交辞令でならば、なんとか平和は保てますが、マレーシアでの経験や日本の某大学でも直面した問題として、私自身も含めて、やはりどこかで犠牲を伴っているように感じています。ジクモント教授によれば、「アメリカのムスリム人口は、少数派だから大丈夫ですよ」とのことなのですが、アメリカがそうだからといって、日本でも真似をしたら、キリスト教系大学がもはやキリスト教ではなくなってしまいませんか?

モスレム/ムスリム世界』のバックナンバーを、京大の文学部や付属図書館に通い詰めてざっと通して読んだ限り、英領マラヤに関するならば、1970年代以前の古い版の方が、民族・宗教別の人口統計もきっちりと出ていて、法的整備の問題や学校教育などについても、スルタンやマレー人指導者の言い分とキリスト教宣教師やクリスチャンの英国人官僚側の意向とが、全体像も含めて比較的わかりやすく論理的に綴られています。また、聖書翻訳の活動についても、相当の敬意が払われています。
ところが、1990年代後半以降のマレーシアに関する掲載論考は、ほとんどと言ってよいほど、クリスチャンやキリスト教の話が出てきません。執筆者がマレーシアかシンガポールの大学に属するマレー・ムスリム教官ばかりで、マレーシアのイスラーム文学やムスリムイスラーム議論やムスリム社会の現状などが焦点になっているからです。換言すれば、本来はキリスト教神学の研究教育機関でありながらも、ハートフォード神学校では一見、イスラームムスリムのあり方を、ムスリムから教えてもらう形態をとっているかのようにも見えます。
さらに、1980年代から90年代半ばまではちらほらと見られた、非ムスリムの欧米人研究者によるマレーシア関連の投稿論文でも、明らかに、キリスト教植民地主義を批判するような立場で書かれていました。自己批判といえば確かにそうなのですが、同時に、マレーシア国内の非ムスリムがどのような状況に置かれているかについては、唯一、現在はエディンバラ大学神学部の教授を務めるRev. Dr. Michael S. Northcottだけが、懸念を示している程度です。この方は、1980年代にマレーシア神学院で教えていましたが、マレーシア研究者ではなく、あくまでキリスト教倫理学神学者なのです。
こうしてみると、一辺倒のキリスト教礼讃をする意図は全く持たないものの、正直なところ、残念だなあ、淋しいなあ、という感触がぬぐえません。シェラベアの時代に、貧しく遅れたままの素朴なマレー人に対して、あれほど密かに祈りを捧げ、健康を害したり家族を病気で亡くしたりしながらも、十字架上のイエスの犠牲になぞらえつつ、自分達の業が主にあって無駄ではないと信じ、将来に希望を抱きつつ、種蒔きとして、聖書翻訳や学校教育や医療活動に専念していたのです。シェラベアの手書き原稿やタイプ打ちの手記をハートフォード神学校で見ましたが、実にこまごまと熱心にマレー人問題について考え、祈っていたことがわかります。現在の知見からすれば、批判や欠陥がなきにしもあらずという点も確かにありますが、当時としては、実に善意の人であり、相当の勇気と才能の持ち主でありました。
戦争を経て、1957年にマレーシアが政治的独立を獲得してから、状況は全く逆転してしまいました。シェラベアやその娘婿にあたる宣教師の、まさに血のにじむような努力は、まるで無駄となってしまったのです。