ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

リンゴの苗木を植える

もう一言だけ書かせてください。(もっと状況が落ち着いて、日本全体に先の見通しができかけたら、3月中旬の沖縄での見聞を綴って、お分かち合いができればと思っています。)

昨日今日と、道を尋ねた見知らぬ若い人々やご近所の方達との接触を通して、この度のことで皆の心が改まったのか、普段以上に丁重で心のこもった挨拶が増えたような気がしています。
ところで、海外からの賞賛の声として、「この突如の大災害に及んでも、日本人が落ち着いて行動し、略奪などが発生していない」ことが指摘されています。先日の天皇陛下のビデオメッセージにも、その旨触れられていました。
こちらの正直な気持ちとしては、表面的には「落ち着いて」いるように見えても、危機的な原発の影響を懸念し、日ごとに疲労感が募っていること、この先の地域「復興」と心の回復には、いったい何年かかるのか、途方に暮れてしまっているというのが実情ではないでしょうか。少なくとも、私はそうです。生きるか死ぬかの究極状況に及んで略奪行為に走ろうとする原初的な欲望が、一体全体どこから出てくるのか、むしろ、そちらの方が考察に値する難題でさえあります。
今朝の新聞に、被災地以外の人々ができるだけ日常生活を落ち着いて続けることも「回復」を早める手助けになる、という意味のことが書かれていましたので、それに倣って、思い出したドイツ語のことばをご紹介いたしましょう。
小塩節先生のラジオ講座でのご解説によれば(2011年2月18日)、マルティン・ルターの言葉だと確固たる根拠なく思われていた表現だそうですが、「いかにもドイツ人らしい発語」とのことです。

Wenn ich wüsste, dass morgen die Welt unterginge, würde ich heute noch ein Apfelbäumchen pflanzen.

世界が明日滅びると知っても、私は今日のうちに、リンゴの苗木(若木)を植えるだろう。)[小塩訳]