ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

コーヒー・カンタータを聴く

マレーシアの教会放火問題がエスカレートして、今までのところ、計11教会が被害に遭っているそうです(参照:“Lily's Room”(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/20100118)。地域は国中どこでもターゲットになっている模様。その他に、シーク寺院一つとモスク一つも対象となったようですが、議論が混乱するため、ひとまず置かせていただきます。

もちろん、ニュース収集は続けていますが、何やらわけのわからない議論まで発生し、非常に疲れてしまったので、昨今の日本の「政治指導者のふがいなさ」(←‘ゆっきー’のことです!)も相まって、一休みすることにしました。

家事をしながら積み上がった本を読み、体の思うように動かない主人を気遣いつつ(?)、毎日図書館通いするのも、疲れますよぉ!そこを頑張るのが、‘プロ’なのでしょうが。「おい、夫が進行性難病患者だからって、いばるなよ!みんな、大変な思いをして生きているんだ!」「あなたね、そんなことやっているから駄目なのよぉ!ほめられたいのぉ?」「ばっかかぁ!とても研究者とは思えません」という声が、大学関係者から聞こえてきそうです(実際にそういう人が、過去に何人もいた....)。しつこいようですが、一度発せられた言葉は、二度と消すことができないのです。

何年も前から思っているんですが、病理研究のみならず、患者の家族の心理負担研究を、是非ともしていただきたいものです。もう、保健師さん達にはずっと前から訴えてありますが、そういう発言は一般社会では通らないのだそうです。では、なぜ大学ならば居座り続けられるのか?政治のみならず、大学の水準もがた落ちだと感じるのは、こういうことがあるからです。もっとも、発した側は「それはおまえが悪い」「そんなつもりで言ったんじゃない」「それはあなたの誤解です」と居直るでしょうが。

さて、スシロ先生からは早速、『ヘブライ語インドネシア語訳聖書』が送られてきたようです(参照:2010年1月13日付「ユーリの部屋」)。昨日、郵便配達不在通知が入っていました。早いですね、さすがに。そして、お心遣いがとても温かいのです。指導者たるもの、かくあらねば...。

そこで1月16日には、コンチェルト・コペンハーゲンの奏するJ.S.バッハの「コーヒー・カンタータ」(BWV211)と「農民カンタータ」(BWV212)を聴きに、西宮の兵庫県立芸術文化センターへ行ってきました。
小ホールは初めて入りましたが、ほぼ9割以上の満席状態で、中高年中心。今回は、妙なところで拍手する不愉快さもなく、落ち着いて楽しめました。当たり前ですが、オール・ドイツ語ではあっても、とても楽しく、つい歌詞を聴いて何度か笑ってしまいました。こちらがクスクス笑えるほど、この歌い手さん達は観客を惹きつけるのが上手だということです。特に印象づけられたのは、ソプラノのマリア・ケオハナ。パンフレットの写真よりも、実際にはかなり白髪が多い人だったのですが、とにかく愛らしくかわいい感じの歌い手さんで、声の質のよさもさることながら、年齢を重ねても女性たるもの、かくならねば、と思わされました。歌うことがとにかく喜びだというタイプのソプラノ歌手で、変に気取ったところもなく、この世俗カンタータのコケティッシュな雰囲気を見事に演じていらっしゃいました。
日本の冬のコンサート・ホールは乾燥するためか、後半で一部、歌詞が乱れたところもなきにしもあらずでしたが、全体としてとても楽しめるいい時間でした。
合間とアンコールには、テレマンが演奏されました。「フルートとヴァイオリンのための協奏曲 ホ短調 TWV52: e3」および同曲から「アダージョ」です。
ヴァイオリンなど弦楽器は、古楽器ということもあってか、奏法で手の構え方が違うことは、当然のことながら目の前で見られて勉強になりました。

もともと、この「コーヒー・カンタータ」を知ったのは、某大学の神学部教授が、何年も前にご自身のホームページに書いていらしたことがきっかけです。その教授もコーヒー党だそうで、「葬儀に流してもらいたい曲は決まっている。バッハのコーヒー・カンタータである」という意味のことを書かれていたのを読み、初めて(そういう曲があるのか)と思った次第です。その後しばらくして、その教授の研究室で面会させていただくことになり、もちろん、先生の手でコーヒーが振る舞われました。「コーヒー・カンタータですね?予習してきました」と申し上げると、うれしそうに笑っていらっしゃいました。
後になって、ラジオのFM-NHKからある日、「コーヒー・カンタータ」が流れてきました。その時には確か、歌詞なしでしたが、とても聞きやすい曲だったので、今回、送られてきたプログラムを見て早速チケットを購入したというわけです。
それにしても、どうして若い人達は来なかったのでしょうか。こういう諧謔を含む曲こそ、若い頃に聴いておくべきではないかと思います。学生なら、ドイツ語を勉強している人達だって一定数いるはずではないでしょうか。
そうすれば、上記のような妙なやりとりは、少なくとも自分から発することはないでしょう。