ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

芸術の秋なので

ただ褒めあげるだけの批評ではなく、ちょっぴり辛口というのがいいですね。まずはエレ―ヌ・グリモー。

http://musicarena.exblog.jp/10066417/
2008年 11月 04日
Bach vs Bach Transcribed@Grimaud
久々にDGの輸入新譜、グリモーのバッハ。彼女はデンオン時代にもエラート時代にもバッハは録音していなかったようで、これが初めての収録となるようだ。
http://www.hmv.co.jp/product/detail/2782449
国内盤はこちら↓

Hélène Grimaud - Bach vs Bach Transcribed

 エレーヌ・グリモー(ピアノ)
 ドイツ・カンマーフィルハーモニーブレーメン


例によってグリモー独特の感性と価値観で選ばれた曲集で、「生」のバッハ作品とブゾーニやリストがピアノ用に編曲した作品を交互に並べた構成となっている。それがアルバム名ともなっているBach vs Bach Transcribedの意味するところだ。以前にエマールのフーガの技法についても述べたのだが、バッハの作品を現代ピアノで弾くことの困難さをこのグリモーのアルバムでも強く感じた。


最初のBWV847 Book1 #2は相当に荒れた弾きっぷりでこの先どうなるのだろうと不安になったのだが、やかましいのはこの曲だけだった。


チェンバロ協奏曲の名曲中の名曲、BWV1052は元々はVnのための協奏曲だったのだが譜面が燃えてしまって、現在残っている原典はこのチェンバロ用のみ。この曲は強弱の付けられないチェンバロをソロ楽器として小編成バロックアンサンブルが伴奏を付けるという明晰な構成なのだが、このグリモーの弾き振りはちょっと編成が大きく感じられ、またスタインウェイの光沢感溢れる旋律は絢爛豪華過ぎるきらいがある。過度にメランコリックに振ったこの演出は現代調で乗り易いがすぐに飽きが来る。もうちょっと寂びた風情が欲しいところ。


この曲集のメインディッシュは無伴奏Vnパルティータ#2, D-min BWV1004のブゾーニ編と見られるのであるが、個人的にはどうも空回りの感があってグリモー独特の高いテンションが感じられない。


一方、着目したいのはその次の次に入っているプレリュードとフーガ A-min BWV543のリスト編で、これは原曲がオルガン曲であり静謐と躍動の交錯が白眉な名曲で、ヴァルヒャなど名演に事欠かない。ここでのグリモーのキータッチは驚くべき精密さであり、ピアノという鍵盤楽器が発音機構においては打弦楽器であるという事実を全く忘れさせてくれるもの。要するにピアノの鍵盤を押下したときに普通予期される音は出ておらず、まるでオルガンのパイプが音を持続させて振動しているような透き通った音が左右の指から生み出されている。これはピアノでオルガンを丸ごとシミュレートした様な演奏だ。


但し、この曲に関してはこの演奏 http://musicarena.exblog.jp/7468361 が条件反射的に脳裏に蘇り、このグリモーの演奏をもってしてもその鮮烈な記憶を薄めることは出来なかった。


全体としてみれば良く出来たテーマ性のあるアルバムで、世の中的には絶賛ではなかろうか。グリモーのDGデビュー作、Credoの感動には及ばないまでも。


(録音評)
DG 4777978、通常CD、録音は2008年8月、ベルリンとある。音質は例によってDGらしい演色の強いものでメタリックでピーキーなグリモーのピアノが少々耳に障る。と思ったらトーンマイスターはStephan Flockで、まぁ、この人らしい少々尖った調音である。現代においては特段コメントに値する音質ではないが、演奏内容が悪くないだけにちょっと残念な仕上がりだ。

次は庄司紗矢香さん(参考:2011年2月20日付「ユーリの部屋」)。

http://musicarena.exblog.jp/tags/%E5%BA%84%E5%8F%B8%E7%B4%97%E7%9F%A2%E9%A6%99/2011年 09月 22日
Bach - Reger: Sonatas & Partitas@Sayaka Shoji


MIRAREの春の新譜で庄司紗矢香のバッハとレーガーの無伴奏だ。ラ・フォル・ジュルネにおける露出が増えたなぁ・・、と思っていた矢先、MIRAREの社長=ルネ・マルタンが例によって惚れ込んで録音に至ったという芸人レンタル・シリーズだ。庄司は16歳という若さでパガニーニ国際で最年少ウィナーとなった才媛であり、今やDG(UNIVERSAL)の看板売れっ子アーティストなのだ。尚、このCDは直輸入盤ではあるが、例外的に日本語訳ライナーが付属しているので英語/フランス語が不得意な人でも安心だ。

http://www.hmv.co.jp/product/detail/3977478


庄司紗矢香はデビュー直後、リサイタルで何度か聴いたことがある。その庄司ももう20歳代後半だという。専属するDGから何枚かCDが出てはいるが買ったことはなかった。それがなんとMIRAREから、しかもレーガーとバッハなのだという。評判はとても良く、では、ということで遅ればせながら買ってみた。


レーガーは日本においても、またフランスにおいても割と過小評価されていて演奏機会は少ないように思われる。彼は20世紀を代表するドイツの近現代作家の一人であり、その作風はとても斬新でありながらバッハを規範とする厳格な形式主義者でもあった。レーガーはオペラや交響曲は書かず、また管弦楽曲も多くは書いていない。その代わり夥しい数のオルガン曲を残しており、これはまさにバッハへの並々ならぬ傾倒を裏付ける側面であると同時に、幼少期から優れたオルガニストとして名を馳せていた結果と思われる。彼自身、生きた時代における「現代のバッハ」を目指していた節もあり、それは若くして心筋梗塞で急逝したのがライプツィッヒであったこととなんとはなく符合するのである。


このアルバムはそういったドイツ近現代における不世出の作家=レーガーの代表作品・・・恐らくその殆どがバッハへのオマージュであるが・・・と、当のバッハの不朽の名作であるソナタ&パルティータ全6曲の中から2つを選んで交互に並べたというテーマ・アルバムである。バッハに纏わる同様のアルバムとしては、昨今ではグリモーのこれが記憶に残る。


Op.117は、レーガーがバッハ及びブラームス、リストらからインスパイアされたというロマン派的和声と旋律進行は極度のデフォルメと前衛性とによって限りなく調性を失おうとしている状態なのだが、旋律というか、コントラプンクトゥス(=カウンターポイント:対位法)自体はバッハのオルガン曲(BWV500番台)と殆ど同じ展開であり、レーガーのこれらはBWV500番台のトランスクリプション集だと言われても何も疑わないだろう。調性の方は無調性や12音技法、トーンクラスタと言うよりは超調性とでも言うべき超越した拡張的な離散和音から成り立っているようで得も言われぬ独特の不安定さ・浮遊感といった気分を現出している。


かたや、バッハのBWV1001からの6曲は無伴奏作品としては数百年の音楽史に名を残す名作中の名作であり、その一つの頂はBWV1004パルティータ2番とされる。そしてコーダに充てられるシャコンヌのメロディーラインとしての完成度の高さ、シンメトリーな理想的楽曲構造は取り分け有名だ。そして、その前に挿入されたレーガーのシャコンヌOp.117-4はそのバッハのシャコンヌへの彼なりのオマージュなのである。庄司のレーガー解釈はとても優秀である。闊達にしてソリッド、そして強く毅然としたパッセージの弾きこなしは堂々としており、どのトラックも外れがない。


ところが、残念なことに挟まれているバッハのトラックはどれもが中途半端であり、尚かつゆとりのないスケールと歪み感の多いダブルストップがノイジーで耳障り。全体的なエナジー感も削がれており、肩肘張らず力を抜いたソナタ&パルティータと言えば通りは良いかも知れないが、どうも違うのだ。これはMIRARE的、いや、フランス的にファンシー&ドレッシーに演出した結果である可能性も否定し得ないのだが・・。特に最終のBWV1004、その中でもコーダであるシャコンヌの出来映えが余りにも残念である。こういった重く図太い演奏や、揺らぎのないストレートな解釈で成功を収めている録音に伍していくには小手先のファッションでは通用しないと思われる。


それと、もう一つ気がかりな点がある。レーガーのトラックでは気にならないのだが、バッハのソナタ或いはパルティータでは、E線とA線の直後または同時に弾かれるD線ないしG線が1/4音ほど下がる傾向にあり、特に速めのパッセージにおいては顕著。これがどうもだらけた風情で気になって仕方がない。よくよく聴くと、リゲッティなどが書いた通常の平均律とは異なる旋法(=Lydian mode、Mixolydian mode)、つまり、自然倍音の順序で並べた音階(純正律)に似たような調子外れな雰囲気を醸しているのであるが、そういった意識的な特異な旋法を敢えて採用しているわけではなくて調律または純粋な技巧上の問題と思われる。バッハのBWV1001シリーズは現在の庄司にとってはまだ荷が重かったのかも知れない。今後の伸びしろに期待したい。


(録音評)
MIRARE、MIR128、通常CD。録音は2010年8月、パリ、ランファン・ジェジュ教会とある。音質はMIRAREにしては過剰なほどのアンビエンス成分に包まれており、非常にエコーが強く、そしてその残響時間も長い。エコー過多のきらいはあるが音質はリアルで良好だ。庄司の息遣いや衣擦れ、弦と弓の擦過音なども臨場感豊かに捉えられている。マックス・レーガーの無伴奏作品は音響的効果も手伝ってか非常に面白い。この豊かすぎる残響に埋もれることなく庄司のVnがセンターに定位すればあなたの装置の解像度は合格点と言える。この際、バッハの作品は参考出品程度と割り切って聴くべし。

(終わり)