オーストラリアからの訃報
昨日の続きです。
今朝、パソコンを立ち上げてみると、ハント先生から、Rev. Benjamin P. Keasberryによるマルコ福音書のマレー語訳スキャンが届いていました。
早速、お礼かたがた、ずうずうしくも「説教やトラクトなども、もしかしてお持ちでしょうか。オーストラリアのIan Proudfoot博士による厚い著書『初期マレー語の印刷文書』(1993年)の目録を見ていた時、Keasberry師は、ムスリムとクリスチャンの間におけるいわゆる‘共通項’に焦点を当てた文書を作成していたように思ったのですが」と書き送りました。
すると、一時間ほど経ってのメール返事には、悲しいお知らせが含まれていたのです。
「今しがた、オーストラリアにいる同僚から届いたところだ」という前置きで、「9月23日にキャンベラのオーストラリア国立大学のIan Proudfoot博士が逝去されました。彼は東南アジアのイスラーム世界、特に初期ムスリム印刷に関する偉大な学者の一人でありました」という引用が付されていました。そして、Proudfoot博士による二つのディジタル・オンライン・プロジェクトのアドレスも教えてくださいました。
実のところ、その一つは、2008年に、830ページ以上もある上記文献を民博図書館で部分複写した後に、たまたま自分で見つけて保存してあったものです。もちろん、2010年9月と2011年9月の学会発表では、二人の宣教師に関して、マレー語文書リストを作成するのに、大いに利用させていただき、レジュメにもお名前を入れました。(ただし、今年の発表では、資料過多になったために、マレー語文書リストは、直前に省略することを決めました。)
それに加えて、2011年3月の学会発表の際、「このテーマでは、オーストラリア国立大学の先生方が、たいへん進んだ、よいお仕事をされています。既に1990年代までには、一次資料収集なども終わってしまっているんです」と、文献紹介を添えました。事実として、述べ伝える必要性を感じていたからですが、それを聞いて怒り出したご年配の先生も....。
「それだけじゃ、証明になっていない。オーストラリアや現代の視点からの説明は、駄目だ。当時の観点に立って論述しなければならない」と。
恐らくは、マレーシアやインドネシアやシンガポールも含めた、世界各国の主要図書館に分散保存されていた大量の資料を、長期にわたって一つにまとめ上げた、Proudfoot博士の膨大なお仕事も知らず、ましてや、マレー語文献も読めないから、そうおっしゃっているのだろうと思ったのですが、何だか、この場に及んで何をかいわんや、という脱力感もなきにしもあらず。こちらは21年前から問題意識を抱いていたものの、日本のどこかに資料がないかと駆けずり回って無駄にした時間を残念に思っているのに...。
ハント先生宛に、お悔やみをお送りいたしました。
「大変悲しい突然のお知らせと共に、メールを拝受いたしました。
Ian Proudfoot博士が、オーストラリア国立大学のご同僚であるAnthony Reid教授やAnthony C. Milner教授のように、ご講義のため、過去に来日されたかどうかは、確かではありません。ただ、2008年に大阪にある国立民族学博物館の図書室で、『初期マレー語印刷文書』の厚い文献を見つけて以来、私はずっと敬愛の念を抱いてまいりました。その後まもなく、ディジタル・オンライン企画を知りました。去年と今年の3回の学会発表では、Thomas Beighton師とBenjamin P. Keasberry師の宣教活動のリストを作るのに、フルに利用させていただきました。近い将来、Shellabear博士についても同様の試みをするつもりです。
この素晴らしいオンライン企画については、ご参考として、Dr. Ng Kam Wengにもご紹介したことがあります。
Ian Proudfoot博士のご逝去は、少し早いように感じておりますが、これらの長期企画が、ひどくエネルギーを消耗させたに違いないでしょう。
オーストラリアのご同僚に、心からのお悔やみをお伝えください。」
驚いたことに、昨日付で、モナシュ大学の研究者がお悔やみを述べているメールが、ネット上にありました。Proudfoot博士は、元々、サンスクリット学者としてインドの研究をされていたことから、20年以上も前、面識もなかったのに、丁寧に文通で、古代インドの肉禁止の源流に関してご教示くださったことを感謝する内容でした。また、これらの経験から、自分が教鞭をとり、学生に対する時の模範でもあった、と。