ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

種切れにならない秘訣

今日から12月です。あと一ヶ月、がんばりましょう!
ところで、昨晩の佐藤全弘先生の「第二ヴァチカン公会議」の前座に当たるご講義、なかなか楽しかったです。27名ぐらいの出席で、ご年配者中心でしたが、皆、真剣そのもの。熱心にノートをとり、質問も活発でした。
先生は、2時間ずっと休憩なしで、お立ちのまま大きな声で話されるのですが、恐らくは鍛え方が違うのでしょうねぇ。とても78歳とはお見受けしません。また、関西風のユーモアが混じっていて、遠慮無く笑わせていただきました。
例によって、興味深く感じた箇所をメモを頼りに部分抜粋しますと...。

公会議はたいてい誰かの考えをぶっつぶすために開いている。


・1245年の教皇インノケンティウス四世の召集によるリヨン公会議では、神聖ローマ皇帝フリードリヒ二世が破門されたが、これは、十字軍に行くのを延期したためであった。


騎士修道会は、周囲をムスリムに囲まれたエルサレムのクリスチャン達を守るためのもの


・ダ−ウィン本人よりも、ダーウィン主義者達の方が過激になった


・1414年から4年間、開催されたコンスタンツ公会議では、教皇ヨハネス23世が、併立3教皇の一人であったため、第二ヴァチカン公会議を1962年に召集した教皇は、先代を無視して「ヨハネス23世」をもう一度名乗った


・第二ヴァチカン公会議に出席したのは、日本から16人を含む2860人。カトリック教会は資格を細かく決めるのが好きで、出席者の中の「定住司教」は、名前がおかしい。ちゃんと住んどることが当たり前でして、阪大教授なのに東京に住んで新幹線で通う、というのは変。それと同じ。


・同じく、「名義司教」というのは、キリスト信者がいなくなったのに、司教だけはその地に残っている、という名誉職。ユーゴやバルカン半島などでは、イスラム教徒侵入のために、キリスト信者がいなくなってしまったが、名義司教はあり。


カトリック教会は、お高くとまってなお雅量を保つ。今一つ感心しないものもあり。しかし、カトリックの方が一歩進んでいるという点もあり。


ベネディクト16世は元大学教授でして、学者としては優秀でも、教皇としての度量の広さには欠けている。自分の発言がどのような影響を及ぼすのかのセンシティビティがない。去年、「プロテスタント教会は欠点のある教会だ」とある大学で発言した。いらんこと言わんでもいいのに。


・今はドイツでも牧師のなり手が少なく、日本人の留学生でも、ドイツで牧師をやってくれ、と頼まれることがある。千人単位で牧師が減っている。

佐藤先生が、一般向けに本格的なご講義をずっと続けられる秘訣は、どこにあるのだろう、と考えていましたが、ふと思い出した矢内原忠雄先生の文章があります。

そこへもつて来て、無教会伝道には、方法上の強味がある。それは聖書の研究といふことである。教会のやうに説教を主とする伝道方法では、よほどの大思想家でない限り、すぐに説教が種切れとなつて聞く者の興味をつなぐことが出来なくなる。しかるに無教会では、伝道は聖書を共に学ぶことであり、聖書研究だけが伝道であるから、種切れになることはない。又人の言葉でなく、聖書自体の言が真理を語るから、伝道に生きた力がある

(「伝道の心得」『嘉信第十九巻第八号昭和三十一年一九五六年八月矢内原忠雄全集 第十五巻』pp.411-412)

というわけで、全集をまだ全部読み通していないのですが、重複する可能性も踏まえた上で、近所の図書館から、次のような本を借りてきました。
人間の記録⑨ 矢内原忠雄:私の歩んできた道日本図書センター1997年
では、今日はこの辺で失礼いたします。