ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

教育に関して願うこと

東アジア共同体」とはいうものの、まだ超えなければならない壁は高いなあ、と感じることがあります。
今回、シンガポールでは随分気分良く過ごさせていただきました。しかし、これとて、シンガポールの一人勝ちでは危険なのであって、Dが言ったように、「マレーシアは、もっと人々の教育に投資してもらわなければ困る」のです。片方だけが伸びていって、片方が停滞したままでは、外交交渉のみならず、日常の連絡事でも非効率この上ありません。また、もしも何らかのねたみを買うなら、配慮するための相当のエネルギーやコストを払うはめにも陥ります。それぞれの違いはあれども、一緒に成長してくれなければ、人間世界がたちどころに困るというのは、国連ニュースを見ていても、ほぼ常識でしょう。
イスラエルと周辺アラブ諸国との関係を見てもそうです。どれほど、平和交渉が縦から横から試みられても、歴史認識や事実確認に、これほど大きな格差ができてしまうと、時間ばかりかかって、危険度はますます高まるばかり。日本のある大学が、「両者の橋渡しになる」とか何とか言っていましたが、場所が「中立な日本」であったとしても、会合に出てくる顔ぶれは、国境を越えて世界各地で並行移動していることも多く、あまり役には立ちません。それに、情報など、どこからどのように流れるか予測もつかないのが現代ですから、研究の蓄積が限られているなら、身の程をよくわきまえるべきであり、あまり大きなことは言わない方が賢明ではないか、とも思います。
シンガポールで気持ちよかったのは、人々の言動に信頼が置けたこと、ビジネスライクでありながら、物事の理解が早くて余計な介入をしてこないために、目的さえはっきりしていれば、日本と同じような感覚で過ごせたこと、などです。これがマレーシアに入った途端、いろんな人から、何やらごちゃごちゃと余分なことを言われたりするので、非常に疲れます。結局のところ、教育の全面的普及がいかに大切か、ということです。

とはいっても、私の言っているのは、学歴競争のことではありません。全般的な教養を伴う生涯研鑽のようなものです。

今朝の新聞には、日本以上に学歴重視の韓国の受験競争が記事になっていました。韓国文化については、韓国・朝鮮語を6年間も勉強した経緯から、雅びなカヤグムや宮廷文化には関心があっても、あまりに露骨な競争には感心しません。韓国人には、もっとどっしりとした大陸風のおおらかな態度と頭の回転の速さと機敏さが合うのではないか、と愚考しているのですが。

メールの送り方一つとってもそうです。マレーシア人の中には、少し親しくなると、気を許すせいか、単文メールを一気に何度も小分けに送ってくる人がいます。こちらも忙しい毎日なので、メールはできる限り簡潔に処理したいのですが、一呼吸置いて、用件をまとめて文章にする、という訓練を施してほしいものですね。(だからケータイは嫌いなのです!)
それから、英語とマレー語の両方で文書を作成する場合、どちらを先に書いたかが即座にわかるようなスペル・ミスが見つかることもあります。多くの場合、まず英語で書いてから、誰かマレー語の上手な先住民族の指導者層か、ババ・ニョニャで大卒の人などに、マレー語の翻訳を頼んでいるそうです。それにも関わらず、非マレー人が「マレー語は我々の国語です!」と叫んでいると、マレー人から見れば、疑わしくも感じるでしょう。この点でも、人を出し抜いてやろう、少しでもより卓越しようなどと、小賢しい思いを抱いたりするなら、それが即座に自分達にはね返ってくるんですってば!
今朝も、その点で指摘せざるを得ないことがあり、不愉快になりました。
あるインドネシアの先生が、自分は韓国の大学で集中講義をしたのだ、と誇らしげに(?)連絡してきたことがあります。ただ、その大学は、どうやら大学名から私立の新設校だったようで、私の知らないところでした。調べてみると、案の定、1995年に地方で設立された学校でした。こちらも悪気なく「韓国の大学なら、古くに設立された主要な諸大学か、メソディスト系大学しか知りません」と正直に返事をしました。
東南アジアの人々の中には、韓国人が植民地支配をした日本人に対して恨みを持っていることを、自分達の有利に用いようとする場合がないわけではありません。ただし、残念ながら私は、学生時代に韓国のペンフレンドと文通をしていましたし、韓国人の国費留学生がクラスメートにいて、一緒に院生時代を過ごしましたし、結婚披露宴にも、そのうちの一人を招きました。だからといって、向こうが日本人に気を許しているわけではないだろうことは、こちらは百も承知です。ただ、なすべき時にできる限りのことをしたかっただけです。
そういう適度な距離感というのか、位相の諸相というのか、その微妙なところは、無理に距離を縮めるばかりがいいとは限りません。日本は島国で、国境を海に囲まれており、極めて均質度の高い民族構成なので、それ相応の気風や態度というものがあります。とはいえ、決して、内向きなだけの気質ではないのです。また、立国条件として、移民国家ではありません。インドや中国などを経由して、長年、高度な外来文明を吸収しながら、土着文化と融合を育んできた土地柄です。
そういう歴史風土を理解できるような教育を、是非とも行ってほしいものだ、とマレーシアに対して強く感じます。